マスターの正体 ―顧問・マスター―
第38話
お待たせしました!
今回は少し長めです。そして顧問ほぼ空気です。
甘いのを期待された方、ごめんなさい!
「~~~っ」
「誰の許可とってあづっちゃんいじめてんのよ、アンタ」
雷先生の頭を分厚い鍋敷きで叩いたのは、この喫茶店、allegroのマスターだった。
久しぶり、マスター!その鍋敷き、ガラスで出来ているような気がするけど久しぶりマスター!先生の顔に苦悶の表情が浮かんでいて凄く痛そうだけど久しぶりマスター!
「ますたぁあ!お久しぶりです!お会いしたかったです!コーヒーください!」
隣でまだ呻いている先生を放っておいて、マスターに飛びつく。あっさりかわされてしまったが。
この一月、長かった…!いや、そう思うのはまだ早い。せめてここのコーヒーを飲んでからにしなくては。
「コーヒー、ください!あと、今日のおすすめのデザート!」
「あら、いつも通りのでいいのねぇ?いいわよ、ちょっと待ってなさいな」
「はぁい!」
そう言って雷先生を無視してカウンターの方へ歩いていくマスター。
その途中で何故か立ち止まり、此方を振り返って思い出したように言った。
「今日の格好、可愛いじゃない。やっぱり前までの地味なのよりそっちの方が似合ってるわよぉ」
「っ!! ありがとうございます!」
わざわざお洒落してきてよかった!
今まではここまで話したことはなかったのだが、久しぶりに来たからだろうか。いつもよりもマスターも話しかけてきてくれるし、返事もすらすらと出てくる。
いつか沢山話したいと思っていたから、とても嬉しい。ここに連れてきてくれた雷先生には感謝だ。表面に出すつもりはないけど。
それじゃ感謝していないのと一緒じゃないかって?それが違うんだな。主に私の精神的に、だけど。
漸く復活した先生と奥の席に陣取る。ただでさえ縦長の店の一番奥にある席のため、いつもより混んでいるとはいえ私たちの席の周りには誰もいない。なにこのご都合主義。
「楽しみですねー♪」
語尾に音符でも付いていそうな勢いで言う。いっそのこと鼻歌でも歌ってしまおうか。
暁学園に入学してから、様々な予定外のことがあった。可愛い友達もできたし、騒がしくて鬱陶しいクラスメイトも楽しいと言えないことはないけれど、神経の磨り減る1週間とちょっとだった。
だからかもしれない。いつの間にか、中学の時よりもコーヒーに依存してしまったような気がする。依存症、とまではいかないけれど、1日に一回は飲まないと落ち着かない。
あれ、これも立派な依存症?
まぁいいや。
自分のコーヒーの味は少しずつ、本当に少しずつ上達しているとはいえ、前世から淹れているのだからそうそう味なんて変わらない。でも、私が好きなこのお店のオリジナルブレンドの味とは程遠い。雷先生の時々淹れてくれるコーヒーも、美味しいけどやはりここの味には敵わない。
つまり、何が言いたいかと言うと。
コーヒー、早く来ないかな!
「…まあ、な」
待ちきれずに興奮している私を見て、苦笑しながら同意する先生。
悪かったなガキで。
いつもなら心の中でそんな悪態をつく筈なのだが、今はそんな気分にもなれなかった。
どうしよう先生への対策がどんどん無意味になっている気がする。先生への対策、と言っても攻略対象ほとんど全員同じ対策なんだけどさ。
とにかく本心を見せない。気を許さない。これが基本。あのゲームは、飾らない本心を曝け出している主人公に攻略キャラが惹かれ、そこから本当の物語が始まるのだ。だから、こうしていれば始まりようがない――んだけど、こうも関わるとそれもなかなか難しい。
でもでも、まさか先生がallegroを知っていて、しかもマスターの知り合いだなんてゲームにはちっとも出てこない。と言うか、allegro自体ゲームには出てこない。だから、今こんな風に本心を曝け出しているのは仕方がないんだ。偽れっていう方が、無理。
あぁ、「喫茶店を運営している知り合い」みたいなフレーズは出てきたかもしれない。細かいところは覚えていないけど、大学時代の友人とか――ってそれがマスターなの!?
…どうしよう、今、がらがらとイメージが崩れた音がした。
「は~い、持ってきたわよぅ」
女性にしては低い声、男性にしては高い声が私の失礼な考えに割り込んできた。
マスターだ。お盆の上にコーヒーを3杯、大粒の栗が乗っているモンブランタルトを持っている。
って、ん?3杯?
「マスター、1杯多くないですか?」
「あら、多くないわよ~」
「こいつもここで話すってよ」
「そういうこと。お邪魔するわね?」
「ちっとも邪魔なんかじゃありません!むしろ大歓迎ですっ!」
先程のような大声を出すとお店に迷惑がかかると考え、小声で話せる程度には落ち着いてきたが、それでも興奮気味に言ってしまった。
引かれていないかが心配だ。
雷先生は心なしか不満そうな顔をしているが、無視。大方昔の知り合いに暴露話をされるのが嫌なのだろう。そんな子供っぽい理由でマスターを拒むなど、私が許すはずがない。
よって、先生の無言の抗議(と言うには弱すぎるけど)は却下された。
「それはよかったわぁ」
雷先生の思っていることなんてお見通しであろうマスターが、気付かない振りをして私に笑いかける。
私も先生の睨みを黙殺してマスターに笑い返す。
ここに来てから先生は無視され続けている気がするが、気にしない。そんなことよりもコーヒーだ。
「それでは、いただきます!」
「どうぞぉ」
ゴクゴク
お上品さの欠片もない音を立てながら、コーヒーを飲む。
うん、舌を火傷するほど熱くもなく決してぬるくもない、絶妙な温度!流石はマスター。味は少し雷先生のものと似ているが、やはり此方が本物だ。長い間飲んでいなかったので先生のコーヒーでもとても恋しさを感じていたが、本物には足元にも及ばない。
マスターは、常連さんそれぞれの丁度いい塩梅の温度を全て覚えているそうだ。それによって淹れ方を変えるらしい。冷めると美味しくないものもあるしな。
「相変わらずだな」
「あんたは変わったわね」
「そうか?」
「えぇ。まさか生徒に手を出すなんて…ねぇ? 確かにその見た目ならそういうこともしそうだけど、中身は真面目だと思っていたのに、残念だわぁ…」
ゴクゴク
「違うぞ!?違うからな!? おい、安土もコーヒー飲んでないで誤解を解け!」
「あら、冗談よぉ。そんなに慌てるなんて…なにか疾しい事でもあるのかしら?」
「ねぇよンなもん!」
「ちっ、残念ねぇ」
もぐもぐ
「美味しいかしら?」
こくこくこくこく
「それは良かったわぁ」
「…カウンターに帰らなくていいのか?」
「大丈夫よぉ。今いるお客さんたちで今日来そうな常連さんは全部だし、もう皆注文を終えているしねぇ。コーヒーのお替りが欲しいならボタンを押すはずだわ」
先生とマスターが話すのを、コーヒーを飲みつつモンブランを食べつつ時々相槌を打ちつつ聞く。
うん、やっぱり美味しいなあ。
お客さんの数がこの程度なのが不思議なくらい、病み付きになる味。まぁその理由はわかっているんだけどさ。
「で、この子と2人で出かけるってことは、そろそろ吹っ切れたのかしらぁ?」
「…まぁ、流石に、な。 言っとくがこいつはそんなんじゃないからな」
「はいはい、分かってるわよ。吹っ切れたのならよかったじゃない」
「ふん、オカマに口出しされることじゃない」
「あら、それは酷い差別ねぇ」
そう、このマスター、おかまさんなのだ。
尤も、私にとってそんなことはどうでもいいんだけどなっ!
大事なのはこの味を生み出す黄金の手です。
雷先生は大分ひどい言葉を投げかけているように聞こえるけど、先程の変わらないという発言とマスターのちっとも堪えていなさそうな様子から、学生時代からこうだったのだと推測。
よくよく見れば、そっぽを向いた雷先生の耳は少し赤い。なにこのツンデレ。
そういうのは主人公とやれ。マスターはおかまさんだけど男だ。このカップリングは、誰も喜ばないよ。
だってマスター、マッチョだし。筋骨隆々という言葉はこの人のためにある、と言ってもいいくらいムキムキだし。顔立ちは精悍だから、きちんと男装?していればモテないことはないと思うんだけどね。
でも、店にいるときはいつもバリバリ化粧している。それも、けっこうな厚化粧。白いファンデーションに薄い赤の口紅、アイラインもばっちり引かれていて、恐らくマスカラも付けている。頬には薄らチークまでしてある。着ているものは花柄フリルのワンピースにハートのエプロン、タイツも穿いている。
ここまでやっておきながらカツラは被らないという、徹底しているのかしていないのかよく分からない女装と女言葉を常に装備しているのが、我らがマスターなのだ。
可愛い、綺麗、という言葉がここまで似合わない人は初めて見た、と最初に見た時は思ったとも。今では可愛い、とまではいかなくても綺麗、くらいなら言えるけどな!
私が来てマスターの化粧に口出しをしている内に上達してきたのだ。まぁ、見てられないのは変わらないんだけど。
そして、ここの店は縦長で横が細いくせに、その細い横の部分の、往来に面したところは全面ガラス張りなのだ。
マスターの姿も通りから見えてしまい、普通の人はまず入ってこない。
更に、この店がある場所は大通りから一本外れた道にある。正直治安はあまりよろしくない。悪いってほど悪くもないけれど。
だから、女の人――特に若い女性――が入ることはまずない。
では、なぜ私がこのお店に通い詰めるようになったのか――それは、ただの偶然としか言いようがない。
簡単にまとめてしまうと、迷子だったのをマスターに拾われたのがきっかけだ。
もう少し詳しく言うと、私が中学に入りたての頃に一人暮らしを始めたけど、周辺の地理も分からないまま買い物に出てしまい帰り道が分からず困っていたのを見たマスターがこの喫茶店に連れてきてコーヒーをご馳走してくれたのだ。
その時にここの味にはまってしまった私は、それ以来常連と化している。
そんな経緯もあるしマスターにも可愛がってもらっているという自覚はあったのだが、ここまで親しく話したことはなかった。化粧やコーディネイトに口出しはしていたが。やっぱり時間を空けたのと、雷先生が一緒だからだろうか。恐るべし攻略キャラパワー。
「相変わらず美味しそうに食べるわねぇ」
私が食べるのを微笑みながら見ていたマスターがぽつりと漏らした。
…相変わらず?こういうことを言われたのは、初めてなんだが。聞き間違いかな?
とか思えればよかったんだが。残念ながら私に主人公的スキルはないようだ。特に残念でもないけど。
多分、今まで食べているところを見られていたんだろう。うわっ、恥ずかしっ。
味わってモンブランを食べ終え、マスターに向き直る。
「そうですか?」
「えぇ。作り手からすれば嬉しい限りだわぁ」
あえて“相変わらず”には言及せず、聞く。
作り手、とはマスター自身のことだ。
ここは、コーヒーだけでなくデザートまで全てマスターの手作りなのだ。マスターの見た目からは想像もできないほどの繊細な味が評判だ。常連の間では、だけど。
ちなみに朝一と昼過ぎに作って保存するんだそうな。だから、注文が来てもすぐに対応できる。しかも、マスターの作るものは作り置きでも温めなおしたものでも絶品ときた。
ここに一度でも来た人が以来ここの常連と化すのは当然と言えるだろう。マスターの見た目がどうしても駄目な人はそもそもここに入ってこないし。
「それならよかったです。ですが、マスターの作るものは美味しいですから。当然ですよ」
マスターの淹れたコーヒーを堪能しつつ、素直な気持ちをぶつける。
「あら、嬉しい事言ってくれるわねぇ。よし、お姉さん、サービスしちゃうっ」
照れたようにそう言って席を立ったマスターは、ハート型の生チョコらしきものが数個載った皿を持って帰ってきた。
わ、やったあ!
「やったあ!ありがとうございます、マスター!」
「他の人には内緒よ?まだ試作品だから」
ふふん、ラッキー!試作品でもマスターの作ったものだ。美味しいに決まっている。
一つ取って、口に入れる。
「~~~~~っ!」
美味しっ!美味しっ!
「ど、どうかしら・・・?」
私の反応に不安になったのであろう、マスターが尋ねてくる。
「最高です!美味しいです!メニューに加えるべきです!」
「そ、そう?ならよかったわぁ。美味しくなかったらどうしようと思ってたのよねぇ」
「お、美味い。 そういやお前、味音痴だもんな。味見しても美味いかどうか分かんねぇのか」
「む、反論できないのが悔しいわぁ…!」
「大丈夫です、マスター!マスターは味音痴なのではなく、何でも美味しく食べれちゃうだけです!」
「それ、フォローになってないわよぅ…」
「それに、マスターが味音痴なお陰で私たちがこうして美味しい思いをしているのですから!」
「味音痴だって認めちゃってるしねぇ…」
「いちいち細かいオカマだな。いいだろそのくらい」
「ちょっと、私はオカマじゃないわ!ニューハーフよ!誤解されるようなこと言わないでちょうだい!」
「いやただのオカマだろ。別に手術とかしてないだろ?」
「気持ち的にはニューハーフよ!」
「…おかまさんとニューハーフ、何が違うんですか?」
うん、何が違うんだ?別にどうでもいいけど。
マスターの生チョコは、やはり絶品だった。
全部綺麗なハート型をしていたが、味は全部違った。ラム、ブランデー、シャンパン、コアントロー、ブラックベリー、ダージリン、クッキークリームなど様々だ。どれも全部素晴らしかった。できれば雷先生が食べたのも食べたかったくらいだ。畜生。
ん?なんでお酒の種類が分かるのかって?前世持ちなめんな。流石にどこ地方の何年物かまでは分からないけど、大体の種類なら分かる。
「…後でじっくりたっぷり説明してあげるわ。 それより、どれが美味しかった?」
「すごく遠慮したいのですが…。 そうですね…どれも美味しかったですが、個人的にはダージリンとシャンパンが特に好きですね。ダージリンはコクが深いし風味があって、シャンパンは酸味がいい味出してました」
「量は?」
「両方とも後ちょっと多くても大丈夫だと思いますよ」
「硬さはどう?」
「丁度いい歯ごたえでした」
あ、そう言う意味での試作品か。感想を聞いて改良するつもりなのね。
もちろんこれ以上に美味しくなるのに異論なんてあるはずがないので、素直に答える。
少しくらい趣味が交じってもいいよね!
「ありがとう。助かるわぁ」
「いえ、こんなのお安いご用です!マスターの試作品が食べられるんですから」
何個か雷先生に盗られたけどな。食べ物の恨みは深いんだ。いつまでだって引きずってやる。
「そこの馬鹿は使い物にならないから、また頼むわねぇ。あづっちゃんの感想は的確だから、本当に助かるわぁ」
「使い物にならないってなんだよ、使い物にならないって」
「そのままの意味でしょう?感想を聞いたって美味いしか言わないんだもの。改良の仕様がないし、つまらないわぁ」
それは確かにつまらない。感想が毎回美味い、だけじゃ作る気をなくしてもおかしくない。
まったく、ホストみたいな見た目のくせに女心の分からん奴め。いや、美味いと言うだけまだましなのか。
まだまだ女性が男性のために何かをするのは当然という考えの奴は蔓延っているわけだし。
うん、取り敢えずこの場を凌ごうか。
「あ、あはは…。えぇと、私でよければ、また食べさせていただきますね」
「えぇ。その時はこいつに送ってもらいなさいねぇ」
「雷先生の都合が付けば、そうさせて頂きます」
「え!?」
「あら、どうしたのかしら?まさか、か弱い女の子ひとりでこんな遠いところまで来させる、なんて言わないわよね?」
ジロッ。
そう擬音語が付きそうなくらい強い目力で雷先生を睨むマスター。
私を気遣ってくれるなんて、本当にマスターは優しいなあ。
先生?都合が付けばって一応言ったし、いんじゃね?
はぁっ
「…何でもない。分かった、また送るよ」
大きなため息を吐いた後了承してくれた先生。やったね!
思わずマスターとハイタッチしてしまった。
そこで、ふと思い出す。
先生、攻略対象じゃん!
何自分で接する機会を増やしてるんだよ!?
ん、あぁ、接する機会を増やすこと自体は別に問題ないのか。生徒会に入るのは決定事項みたいだし。
いや、でも隠していることも多いわけだし、いつぼろを出すか分からない。やっぱり危険だ。今日の行きだってたった40分の間にぼろを出しかけてしまった。
…もしかして私って、迂闊?
予想されてた方もいらっしゃるでしょうが、マスターは実はおかまさん。
イケメンを期待された方、ごめんなさい!
でも彼も一応雷先生と同い年で、そこそこカッコいい顔なのです!
マッチョで女装しているだけで。




