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「ひっく……」
夕陽が教室の中を黄昏色に包む。
友樹はとぼとぼと階段を下り、カバンを取りに教室へと戻ってきていた。
勢いこそ弱まったものの、まだ涙は流れ続けている。
教室にはもう誰も残っていなかった。
そうでなかったら、友樹は涙に気づかれないよう、顔を隠して教室へと入っただろう。
泣き顔を隠すこともなく、友樹はまっすぐ自分の席へと向かう。
窓から差し込む夕陽に赤くきらめく雫が、頬を伝ってふた筋の川を形成していた。
夕方とはいえ暖かな五月の陽気、すぐにその川は枯れて見えなくなってしまうに違いない。
誰もいない教室の一番後ろ、窓際にある自分の席に着く。
まだ帰り支度を整えていなかったからだ。
友樹はのそのそとゆっくりした動作で机の中に手を入れ、教科書とノートを取り出す。
誰もいないはずの教室の一番後ろ、窓際にある友樹の席。
その背後には、教室を貫く大樹しかないはずだった。
だが――。
すっ……と。
二本の腕が、友樹の首筋から前へと伸びていく。
きゅっ。
二本の腕に抱きしめられた友樹は、背中に確かな温もりを感じていた。
実際に後ろから誰かが抱きしめてくれているかのように。
「大丈夫?」
不意に耳もとで声が奏でられた。
「……うん」
素直に、そして自然に、友樹はその声に答えていた。
☆☆☆☆☆
「ウチは、ねみみと申しますねん」
目の前の女の子が自己紹介を始めると、思わず友樹のほうも自己紹介を返した。
「はぁ……。ボクは、仲良友樹です」
「あは、自分のことを、ボクって言う女の子なんですのんね。希少価値狙いですのん?」
呆然とした表情を浮かべている友樹に、明るい笑顔を向けて質問攻めを始める、ねみみと名乗った女の子。
自分のことを「ウチ」と言う女の子も、少なくともこの近辺では同じように希少価値ではないかと思うのだが。
それはともかく、返す言葉が見つからない様子の友樹に向けて、ねみみはさらに喋り続ける。
「そうでした。名乗るときには名字というのも必要なのでしたんね。ウチは倉梳ねみみ。この樹に宿る精霊をやっておりますねん」
「はぁ…………は?」
条件反射のように生返事を繰り返していた友樹だったが、ここでさすがに疑問符を飛ばす。
泣き疲れてぼーっとした頭をフル回転させ、必死に考えを巡らせながら、友樹は目の前の女の子をじーっと見つめる。
にこっ。
女の子はそんな友樹に微笑み返した。
この、樹に、宿る、精霊、を、やって、おり、ます、ねん。
さっきのねみみの言葉を、友樹はゆっくりと区切りながら頭の中で反芻する。
後半は助長ではなかろうか、などというツッコミを入れたくなるような思考回路ではある。
しかし今の友樹は、それほどまでに混乱していたということだろう。
もっとも友樹は、普段から少々ズレた思考回路を持った、若干天然ボケ気味な女の子だったりするのだが。
「えええええええええ~~~~~っ!?」
数秒後になってようやく理解できたようで、友樹は唐突に大声を上げる。
そのあまりの大声に、精霊だとのたまう、ねみみという女の子も、耳を押さえてしかめっ面をしていた。
「精霊……」
ねみみを指差し、口をパクパクさせて唖然としている友樹。
そんな彼女に再び笑顔を向けると、ねみみはこう言い放った。
「ウチのすぐ前の席になったのも、なにかの縁。これからもお見知りおきを、ですのん。お近づきの印に、明日からお友達になってあげますねん」
「はぁ……」
再度、生返事しか口をつかない状況に陥ってしまった友樹ではあったが、このときにはすでに、涙なんて綺麗さっぱり、どこか遠く空の彼方へと飛んでいっていた。
☆☆☆☆☆
これが、友樹とねみみと出会いであり、このクラスで繰り広げられる事件の始まりでもあったのだが。
おかしな状況だと頭では理解していたものの、このときの友樹は、友達になってくれるという優しい言葉とねみみの明るい笑顔によって、温かい気持ちに包まれていた。
そのため、この樹が「吸血樹」と呼ばれているという怖い噂話すらも、彼女はすっかり忘れてしまっていた。