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「ただ、少し不可解な部分があるんですねん」
ねみみが、ふと怪訝な表情に変えて、疑問の声を漏らした。
「これまでウチが目覚めたとき、クラスは本当に壊滅的な状態、学級崩壊と言ってもいいような状況ばかりでした。でも今回は、そんな状態じゃないみたいでしたし、それになんか、ずっとウチ、体調が悪いというか、おかしい感じが続いていたんですねん」
そう言って首をかしげるねみみ。
「ふ~ん……? 今回目を覚ましたときって、どんな感じだったの?」
友樹の問いかけに、ねみみはアゴに人差し指を添えて思い返す仕草を見せた。
「う~ん、起きてすぐのことは、寝ぼけていたからあまりよく覚えてないですねんけど、なんかこう、パーンというか、花火みたいな音が響いたというか、そんな感じだったような……」
と、そのねみみの言葉を聞いていた優助が、
「あ……。じゃあ、もしかしたら、おれのせいなのかも……」
と言って話し始めた。
吸血樹としての怪談話というか噂話を聞いていた優助は、ちょっと興味を持っていた。
そこで優助は、放課後の誰もいなくなった教室で、この樹にイタズラしてみようと考えたことがあったのだという。
優助が大樹に近づくと、不意に幹の周りがぼやけ始め、いつもはなかったはずの、木のウロのようなものが見えたらしい。
「そ……それは、ウチが寝てるとき周りにできる、防護の役割を果たす空気の膜が薄れてしまっていたんだと思いますねん」
ねみみが口を挟む。
「そうなのか……? まあ、ともかく、おれの家って酒屋だろ? でさ、うちでは夏場、お酒を買ってくれたおじさんたちに、子供や孫を楽しませてもらうための花火をサービスしてるんだ。大量に仕入れてあるその花火を、おれは、その……たまたまちょっと拝借してたんだよ」
動揺した口調で、優助は歯切れの悪い言葉を続ける。
……どうやら最初からイタズラに使うため、こっそりと花火を持ってきていたようだ。
「その中にロケット花火があってさ。樹の前にある仲良さんの机に穴が開いてたから、ちょうどいいやと思って、そこに差し込んで火を点けて……」
そしてその花火が大樹のウロに入り、そこでパーンと大きな音を立てた、と。
「あ……だからボクの机、なんか黒くすすけてたことがあったんだ……」
友樹がつぶやく。
「でも、なにも起こらなくて、つまらないな~と思ってそのまま帰ったんだけど……」
「ウチはそのときすでに起きてしまっていた……そういうことですのねん。そしてウチは、目覚めたときには必ずクラスがひどい状態になっていたから、今回もそうだと勘違いした……」
ねみみはゆっくりとした口調で分析する。
「ということは……」
クラスメイトの視線を一身に受ける優助。
「いや、あの、その……」
「お前が諸悪の根源か~~~~~~~!」
優助がクラスメイトたちにボコボコにされたのは、言うまでもない。
「結果オーライだったし、いいじゃないか~~~!」
「いいわけあるか~~~~!」
大勢のクラスメイトに囲まれ、優助は引っぱたかれ続ける。しかし、クラスメイトの顔には、笑顔さえ浮かんでいた。
友達同士のじゃれ合い、そんな印象ですらあった。
当然ながら、ボコボコにされている優助には、そう思えるほどの余裕はなかっただろうが。
「わ~~~っ! ちょっと、クラス仲よく、でしょ~? 倉梳さん、そうだよねぇ~!?」
追いすがるように助けを求めてくる優助に対して、ねみみは、
「そうですけど、なんだかあなたが言うと、納得できませんですのん」
そう言い放つと、他のクラスメイトと一緒になって、優助を引っぱたき始めた。
「そ……そんな~~~~~~!」
騒がしい教室内に、優助の悲鳴と、他の生徒たちの笑い声がこだまする。
こうして、このクラスの結束は固まったのだった。
☆☆☆☆☆
教室を貫く大樹の怪談話に出てきた、自殺した女性の血から樹が生えてきたとか、女性の怨念を宿しているだとかいった話が、はたして事実だったのか作り話だったのか、それはわからない。
もっともねみみは、自分の宿っている大樹が、そんなに怖い樹なわけがないと言って譲らなかったが。
とはいえ、この樹にまつわる怖い噂話は、ずっと昔からあった。
そもそも、学校自体もかなりの歴史があるため、本当に校舎よりも先に樹が立っていたのか、それとも校舎を突き抜けて樹が生えてきたのか、それすらもわかっていない。
長年この大樹の精霊として校舎に取り憑いているというねみみでさえも、そこまではわからないというのだから、相当昔のことになるはずだ。
だが、そうすると単なる噂話でしかないという可能性も高くなってくるだろう。
何十年か前のことになるが、大樹の根もとで宴会をした先生がいて、そこで赤ワインを大量にこぼしたことがあったらしい。
そのワインが樹の幹から流れ出た。
樹の幹から赤い液体が出ている。これはきっと、血だ。ということは、この樹が誰かの血を吸ったんだ。
そんなふうに噂が発展していき、吸血樹と呼ばれるに至ったという話もある。
「ワインをこぼした時期と、生徒が樹の幹から赤い液体が流れているのを見た時期は、ズレがあったかもしれませんです。大きな樹だからなのか、一度流れ込むと、抜けきるまでには時間がかかるみたいですのん……。このあいだ、檜山くんが持ってきたお酒を飲んでしまったときも、しばらく抜けなくて大変でしたから……」
そこまで語ったねみみの言葉を聞いて、友樹はいくつかのことに気づいた。
「……もしかしたら、ねみみちゃんの体調がずっとおかしかったのって、お酒のせいだったんじゃ……。それに、お酒を飲まなくても、においだけでダメってことも……」
思い返せば、優助が家の手伝いをしたと言ってお酒のにおいを漂わせていた日、ねみみはずっと眠いと言っていた。
「あ……、イタズラでロケット花火を打った日も、家の手伝いがどうしても抜けられなくて、午後から授業に出てきた日だった……」
そんな理由で、午前中の授業を休んだなんて、というツッコミはともかくとして。
「やっぱり……」
「諸悪の根源は、お前か~~~~~!」
「ぎゃ~~~~っ! みんなやめてくれ~~~!」
再び沸き起こった笑顔の波で、教室の中はいっぱいになっていた。
ただ、友樹は気づいてしまう。
ねみみも笑ってはいるのだが、その笑顔が心なしか、寂しげだということに。
「……ねみみちゃん、どうかしたの……?」
遠慮がちに声をかけてみる友樹。
と同時に、ねみみの体が、すーっと薄れていった。
「え? ねみみちゃん!?」
「……お別れですのん」
ねみみは力なくつぶやきをこぼす。
騒いでいたクラスメイトたちも押し黙り、今はみんな、薄れゆくねみみの姿に注目していた。
「役目が終わったら、消える運命ですねん。またここが新しいクラスになって、ウチの力が必要になるそのときまで、眠りに就きますのん」
そう言葉を響かせながら、徐々にねみみの姿は薄れ、背後の樹が透けて見えるようになる。
「ウチがいなくても、もうみんな大丈夫ですから……」
震える声をしぼり出すねみみは、とても悲しげな、苦しそうな表情を浮かべていた。
「みんなはすぐ……ウチのことは忘れてしまいますのん」
「ボク、忘れないから! ねみみちゃんは友達だもん! 大切な、クラスメイトだもん!」
消え入りそうなねみみの声に、友樹は力いっぱい自分の想いを乗せて返す。
「そうだよ! 倉梳さんはこのクラスの一員だ!」
「だからこれからも、一緒に勉強したり、お喋りしたり、それから……!」
みんな涙を浮かべながら、それぞれに想いを訴えかける。
「……みなさん、ありがとうですのん」
涙できらめく満面の笑みをクラスメイト全員に送り返しながら、ねみみの姿は薄れ、そして消えていった――。