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友樹は救急車に乗せられて病院に運び込まれたのだが、大事には至らなかった。
四階建ての校舎の屋上から飛び降りたというのに、かすり傷やちょっとした打ち身はあったものの、ほぼ無傷と言っていい状態だった。
校舎を貫く吸血樹と呼ばれる大樹の枝が、壁を突き破り中庭にまで飛び出していたからだ。
その枝と葉がクッションになってくれたおかげで、友樹は助かった。
「枝に引っかかったからかな? 制服もビリビリに破れていたけど……。でも、あなたが無事で、ほんとによかったわ」
友樹の母親が涙をぽろぽろとこぼしながら、一緒に安堵の声もこぼし続けていた。
どうして飛び降りたのか。
母親は問い質したりしなかった。
ただ涙を流し、友樹を抱きしめた。
友樹は、本当のことを言おうか迷ったが、余計な心配をかけたくはなかったのだろう、黙っておくことに決めた。
翌日、友樹は退院した。
一旦家に戻ると、友樹は母親と向き合い、これから学校に行くと告げた。
時間は午前十時ちょっと前。今すぐ向かえば、三時間目からは授業に出られるだろう。
「……行かないほうが、いいんじゃない?」
心配そうに友樹の顔をのぞき込む母親。
友樹本人は話していないが、いったいどんなことがあったのか、母親は薄々気づいているのかもしれない。
だが友樹は、
「ううん、大丈夫だから」
そう明るく答える、用意してもらっていた新しい制服に着替える。
そして、
「それじゃ、行ってきます!」
大きく手を振って玄関を出ると、友樹は軽やかな足取りで学校へと向かうのだった。
☆☆☆☆☆
友樹は、ちょうど二時間目が終わり、休み時間になった教室へと入っていった。
「……おはよ~……」
少し遠慮がちに挨拶の声を上げる友樹。
すると、何人かのクラスメイトが友樹の周りを取り囲む。
「仲良さん、大丈夫なの?」
瑞菜がとても心配そうな、それでいて友樹の姿を見て安心したというような表情を浮かべながら、声をかけてきた。
友樹は、いろいろと嫌がらせをしていたのに、と思わなくもなかったが、とりあえず微かな笑顔を返す。
「わたし……、その、ごめんね、仲良さん! ……えっと……」
他のクラスメイトも集まってきていたため、一瞬躊躇してはいたものの、瑞菜は友樹の耳に口を近づけ、小声でささやくように訴えかけた。
「わたし、松園寺さんに、仲良さんが、その……杉崎くんを、狙ってるって言われて……。ふたりきりで、夜な夜な会ってるところを見たって……。それで……その……、本当にごめんなさい……」
「え……? ボ……ボク、そんなこと……」
友樹は困惑の表情をさらしたまま、ささやき返す。
思えば瑞菜は、友樹のそばに薪がいるときに話しかけてくることが多かった。そのことを友樹は思い出した。
つまり瑞菜は薪のことを想っていて、友樹に嫉妬して嫌がらせをしていたのだ。
「昨日、杉崎くん本人にも話したんだけど、そんなこと、あるわけないって……。よく考えれば、すぐわかるはずなのに……」
ごめんなさい、ごめんなさい。
ひたすら頭を下げる瑞菜。
「悪いことだとわかってたけど、どうしても止められなかった。だから許してなんて言えないよね……」
「……もう、いいよ。ボクは、大丈夫だから」
泣きじゃくる瑞菜を、友樹は穏やかな表情でそっと抱きしめ、謝罪の気持ちに応える。
他のクラスメイトにも、会話の内容は聞こえてしまっていただろう。しかし誰も、ふたりのやり取りに口を挟んだりはしなかった。
「……おれたちも、心配してたんだ。でも、こうやって来てるんだから、大丈夫なんだよな?」
瑞菜が落ち着きを取り戻して友樹から離れるのを待って、優助が話しかけてきた。
「うん。大丈夫だよ」
まだ少し陰りはあったかもしれないが、友樹は精いっぱいの笑顔を返す。
「よかった」
薪もまた、心からの安堵の息をついていた。
友樹が元気だからということだけでなく、屋上から身を投げた直接の原因ではなかったにしても、嫌がらせを続けていた瑞菜に関する安堵の意味も、その表情の中には含まれていたのかもしれない。
「仲良さん……あの……」
ふと、おずおずと声をかけてきたのは、冬野の取り巻きである、唯、幸緒、美春の三人だった。
「わたしたちも、その……ごめんなさい……」
素直に頭を下げる彼女たち。
表面上だけ、口先だけ、といった雰囲気ではなく、心からの謝罪だということは、友樹にも感じられた。
「……うん……」
そんな彼女たちにも、穏やかな笑顔を返す友樹。
と、取り巻き三人の背後で、いつもどおり腕を組みながら立っていた冬野が口を開く。
「……ふん! あんたなんて、戻ってこなければよかったのに」
微かに声が震えていたが、冬野はそう言い捨てた。
すぐにクラスメイトたちからの反撃を受ける。
「松園寺さん! そんな言い方、ひどいよ!」
「だいたいお前、仲良さんのことを嫌ってるみたいだったよな! 今回のことだって、お前のせいなんじゃないのか!?」
自分に向けられる怒りの声で、さすがの冬野も怖気づいているようだった。
実際のところ、冬野のせいだというのは正しいわけだから、反論もできない。
「冬野、あんた、そんな言い方ないよ! 素直になりなって! ……わたしたちと一緒に、ずっと心配してたじゃない……」
唯も声を荒げる。
しかし他のクラスメイトとは違い、冬野をなだめようとする優しい想いが、その言葉には乗せられていた。
「な……なによ! べつにあたしは……っ! ふんっ!」
冬野は顔を真っ赤にして、足早に自分の席へと戻ってしまった。
そんな冬野の様子を見て、友樹は苦笑をこぼす。思いのほか、余裕があるようだ。
そろそろ休み時間も終わる。
集まっていたクラスメイトたちも、それぞれ席に戻っていった。
席についた友樹は、すぐ後ろの席に視線を送る。
(……ねみみちゃんは、いないんだ……)
友樹が寂しげな表情を浮かべる中、三時間目の授業開始を告げるチャイムが鳴り響いた。