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どんよりと曇った梅雨空が広がっていた。
雨は降っていないものの、少々肌寒いくらい。
今日、ねみみは休みだった。
風邪でもひいたのかな。
そう考えているのか、クラスメイトは誰も不思議がっていない。
しかし、友樹だけはねみみが樹の精霊だということを知っている。
この教室の中だけでしか存在できないと言っていたねみみ。
だから、ねみみが休みだなんて、普通ならばありえないはずなのだ。
それなのに今、友樹の後ろは空席だった。
樹の中で眠っているのか、ねみみが姿を見せないことは今までにもあった。
だがそれは、放課後の誰もいなくなった教室でのこと。
こうやって授業中にねみみがいないというのは、友樹が彼女と出会ってから初めてだった。
友樹は言い知れぬ不安を感じていた。
そしてそんな友樹の机の中には、汚れた乾拭き用の雑巾が詰め込まれていた。
友樹は黙ってそれを取り出し、床に置く。
濡れていないだけマシではあるが、それでも汚れは手やノートなどに付着してしまう。
さらにそれらのノートは落書きで埋め尽くされ、教科書はロッカーやゴミ箱やベランダなどに捨てられていた。
あまり騒ぎにならないための配慮なのか、すぐ見つかる場所にあるとはいえ、自分の持ち物が捨てられているという現状。
友樹の心は、どん底まで沈んでいた。
ねみみがいれば慰めの言葉くらいかけてくれただろうが、彼女はいない。
そして他のクラスメイトは誰も、友樹に話しかけはしなかった。
少し前までは、友樹をからかうため頻繁に声をかけていた薪と優助さえも、今日は視線すら合わせない。
彼らが寄ってきていたのも、ねみみがいたから――つまりは精霊としての力のおかげだったのかもしれない。友樹はそう思って、さらに沈んだ気持ちに落ちていく。
ふと周りに注意を向けると、瑞菜が友樹のほうに視線を向けていた。
だが友樹と目が合うなり、瑞菜は慌てて目を逸らし前に向き直る。
(やっぱりこの嫌がらせ、光林さんがやってるんだ……)
悲しみと苦しみを耐えながら受ける授業の内容なんて、頭に入るはずがなかった。
☆☆☆☆☆
「ふふふ、よく来たわね。最近はどうかしら? 元気にしてる?」
冬野がいつもの腕組みスタイルで友樹に視線を落とし、いやらしい笑みを浮かべながら問いかけてくる。
場所はもちろん、いつもの屋上へと出るドアの前。
時間もいつもどおり、放課後となっていた。
「……どうって、なにがですか……?」
友樹は懸命に強がって言葉を返す。
瑞菜からと思われる嫌がらせは、ジャージの件ではクラスメイトに姿を見られていたものの、他の件については確証がない。
だから瑞菜が犯人だとは、完全には言いきれないのだ。
それに、ジャージの件も先生の耳には届いていないようだし、他の件に至ってはクラスメイトでも気づいていない人は多い。
ゴミ箱などに捨てられている教科書を拾う友樹の姿は目にしているはずだから、嫌がらせ行為があること自体はクラスメイトもなんとなく気づいているだろう。
とはいえ、犯人が誰かというところまでわかっている人はいないはずだ。
みんな、関わり合いになりたくないとでも考えているのか、余計な詮索はしないようだった。
だからこそ、わざわざ呼び出して、最近はどうかしら? などと訊いてくる冬野には、疑問を感じなくもない。
もっとも、以前からこうして呼び出されていじめられていたのだから、さほど不自然というわけでもないのかもしれないが。
どちらにしても、こんなふうに訊いてくるということは……。
友樹が嫌がらせを受けている現状を、冬野は知っている。そんな可能性を示唆しているとも言えるだろう。
「ちょっと、大変そうじゃない?」
そばに控える取り巻きたちとともに、ニヤニヤと笑いながら言う冬野。
示唆しているどころではない。これは確実に、知っている――。
友樹はそれを悟った。
だからといって、冬野たちがそれに関わっているとは限らないのだが。
「……どうしてそう思うんですか?」
冬野を睨み返しながら、友樹は質問を返す。
誘導尋問といった感じで、犯人しか知り得ない情報をぽろっと喋ったりしたら、冬野が黒だと確かめることができる。
そういった心理が働いたのかもしれない。
だが――。
「今なら、あたしがここであなたをいじめても、そっちの犯人に罪をなすりつけられるってことよ!」
そう言い放つと、冬野は取り巻き三人組に合図を送る。
「冬野の命令だからさ、悪く思わないでよねっ!」
楽しそうな笑みを浮かべた唯が友樹の目の前に回り、言葉で注意を引く。
すかさず、残りのふたりが友樹のことを押さえつけにかかった。背後から幸緒が羽交い絞めにし、美春が両腕をつかんだのだ。
「ちょっと……! やめて、ください……っ!」
身をよじって逃れようとするも、非力な友樹ひとりの力では、その抵抗も意味をなさない。
友樹は身動きも取れなくなるってはいたが、それでも冬野を睨み返す。
「ボクが、松園寺さんたちが犯人だって告げ口したら、それで終わりだよ!?」
「そうね……。だからこそ、そういう気力もなくすくらいに、徹底的にやらないとね!」
冬野はそう言い捨てると、友樹の制服に胸もとに手をかける。
「きゃっ!?」
制服の破ける音が響いた。
「あんたたちも、やっちゃいなさい!」
「ほいさっ!」
唯の手には、いつの間に取り出したのか、ハサミが握られていた。
それを使って、スカートや制服の裾や袖を切り裂いていく。
「や……、やめて~~~! ごめんなさい、生意気言ったのは謝りますから! だから、やめ、むぐっ!」
いくら寂れた階段の上とはいえ、さすがに騒がしくなってはマズいと思ったのだろう、背後から組みついていた幸緒が友樹の口を押さえる。
「んんん~~~~、んん~~~~~っ!!」
涙を浮かべ、声にならない声で、やめて、と懇願する友樹。
もちろんそんな願いが届くはずもない。
ひとしきり友樹の制服を切り裂いたり引き裂いたりしたあと、彼女たちはすっと立ち上がった。
泣きながら倒れ込んでいる友樹を見下ろし、冬野は満足気な笑顔を浮かべる。
「こんなもんね。仲良さん……、それじゃ、またね」
冬野はねっとりとした感じの声でつぶやくと、取り巻きたちとともに階段を下りていった。