-6-
「さすがに、ひどいよな……」
水飲み場に集まっていたクラスメイトのひそひそ声が、友樹の耳に微かに漏れ聞こえてくる。
「そうだな……。こんなことをするような奴には見えなかったのに……」
その話の流れに、友樹は思わず耳を傾ける。
「たまに仲良さんと話したりしてたし、仲が悪いわけじゃないと思ってたんだけどな、光林さん……」
――光林さん……。
ある程度予想していたにもかかわらず、クラスメイトのつぶやいた名前に、友樹は愕然となった。
瑞菜が犯人だろうと、ほぼ確信に至ってはいたものの、確証まではなかった。
なにかの間違いであってほしい。友樹としては、そう願っていたのだ。
そんな微かな望みは、もろくも崩れ去った。
涙が、溢れた。
「仲良さん……」
薪は声をかけようとして言葉に詰まる。どう声をかけていいかわからない、といった様子だった。
しばらくして、
「……ジャージ、取らないと……」
よろよろと水飲み場の窓に近づいていく友樹に、
「あ……、おれが取るよ」
ようやく声をかけた薪は、水飲み場の土台に足をかけると、窓に貼りつけられたジャージをはがす。
ジャージは、表側の肩口や襟、裾などをガムテープで貼りつけた上、裏側にも輪っか状にしたガムテープを何ヶ所かに貼り、窓に固定されていた。
水に濡れているのはジャージの表側だけだった。
ということは、窓に貼りつけたあと、水道の蛇口を上に向け、指で押さえるなどして狙いを定めて水をかけたのだろう。
現に、ジャージの周りの窓も水に濡れ、その雫は下の窓枠に向けて流れ落ちていた。
瑞菜は今までずっと、隠れて嫌がらせをしていた。
今回も、誰も周囲にいないことを見計らって行動を起こしたに違いない。
だが、突然男子生徒たちが現れ、逃げるようにその場を去っていった。
おそらくは、そういうことだったのだと考えられる。
「……ほら……」
「ありがとう……」
薪からジャージを受け取り、小声でお礼を述べる友樹。その声のトーンは、当然ながら沈んだままだ。
「これ、光林さんがやったのか……」
さっきのクラスメイトの話は、薪にも聞こえていたらしい。薪は小さくつぶやきをこぼす。
「こんなことするような子じゃないはずなのに……」
その声は、とても悲しげだった。
友樹に対する哀れみの念も含まれてはいただろう。
しかしそれよりも、別の想いのほうが強いように、友樹には感じられた。
(……杉崎くん……)
まだ涙に濡れた瞳を向ける友樹に、薪は優しげな表情を返していた。
と、すぐに薪は、はっとした顔になる。
「あっ、おれ、これから部活だった! ごめん、もう行かないと……。仲良さん、大丈夫?」
「うん、大丈夫。心配してくれて、ありがと」
走り去っていく姿が見えなくなるまで、友樹の視線は薪の背中を追っていた。
☆☆☆☆☆
水がビシャビシャと跳ねる
友樹がジャージをしぼって溢れ出た水だ。
ジャージは、かなりの量の水を吸い込んでいた。
(ふう……。こんなもんかな……)
とりあえず力の限りしぼりきって、友樹は息をつく。
もちろん、まだ濡れてはいるものの、雫が流れ落ちたりしないほどにはなっていた。
(教室の窓を開けて、風に当てて乾かすしかないかな……。それともすぐに家に帰って、ドライヤーを使ったほうがいいかな……)
友樹は沈んだ足取りで教室のドアを開ける。
中にはもう、誰もいないはず――。
友樹はそう思っていたのだが。
「友樹ちゃん、大丈夫?」
不意にかけられた優しい声。
すがりつきたいときに、そこにいてくれる友達の姿を、久しぶりに見つけることができた。
思わず友樹の目に、熱い雫が溢れ出す。
「……ねみみちゃん……!」
冷たいジャージを握りしめたまま、友樹はねみみに駆け寄り、すがりついた。
そして、わんわんと大声を上げて泣いた。
「ねみみちゃん! ねみみちゃん! うあぁぁぁ~~~ん!」
大粒の涙をぼろぼろとこぼしながら、ねみみの名前を連呼して泣きじゃくる友樹。
友樹の短い髪の毛を、ねみみは何度も優しく撫で続けた。
「光林さんまで、ボクのことを……! なんかもう、誰も信じられないよ……!」
ずっと心の奥に溜め込んで、我慢し続けてきた思いが、滝のように言葉となって流れ出してきた。
ねみみはただただ、黙って友樹を抱きしめ返す。
「松園寺さんも、ボクのことを嫌ってるみたいだし! ……ボクもう、生きてるのが、つらいよぉ……!」
そこまで思い詰めていたなんて、誰も考えはしなかっただろう。
いや、泣きじゃくりながら思いの丈を吐き出した友樹本人でさえも、自らの言葉に驚いているくらいだった。
そんな友樹に、
「バカッ!」
ねみみは突然大声をぶつける。と同時に、
バシッ!
大きな音を響かせて、ねみみは友樹の頬に平手打ちを食らわせた。
「死んだって、どうにもならないですのん。だから、そんなことを言っちゃ、ダメですねん」
叩かれた頬を手で押さえ、友樹は呆然とした表情を返す。
「……帰ってジャージ乾かさないと……」
友樹はふらふらとカバンをつかむと、ねみみに背を向けて歩き出した。
教室のドアに手をかけ、廊下へと出ていく瞬間、
「……ありがとう、ねみみちゃん」
穏やかなつぶやきを残して、友樹はとぼとぼと歩き去っていった。
その様子をじっと見つめていたねみみ。
「ふふふ……」
教室にひとり残された彼女は、なぜか微かな笑い声を漏らしていた。