-4-
次の朝、ホームルーム前の時間のことだった。
友樹が席に着くと、待ち構えていたかのように、薪と優助のふたりが駆け寄ってきた。
「仲良さん、大丈夫?」
「え?」
優助の唐突な質問に、疑問符を浮かべる友樹。
ただ、それよりももっと気になることが、友樹に別の言葉を口走らせる。
「……って、檜山くん、なんか、においが……」
優助から漂う、強烈なにおい、それは――。
「あっ、すまん。朝、家の手伝いをしてきたから、お酒のにおいが残ってるんだな。……そんなに、におうか?」
優助の家は檜山酒造という酒屋だから、手伝いで酒蔵にでも入ったということなのだろう。
「うん、少し……。でも、大丈夫って、どうして……?」
においの原因がわかったためか、友樹は最初の質問についての話題に切り替える。
「えっとね、昨日おれたち、笹雨のお見舞いに行ってきたんだ。笹雨、結構元気そうだったよ。頭のケガも心配なさそうだった」
すっと一歩前に出て、薪が質問に答えた。
「そっか……。よかったぁ~」
友樹は安堵の息を吐く。
「それでな、ロープのことがあったとはいっても、仲良さんがぶつかって笹雨が階段から落ちたって感じだっただろ? だから、責任を感じてるんじゃないかって、笹雨はすごく心配してたんだ」
優助が詳しく解説を加える。
「そ……そうなんだ……。でも、ボクは大丈夫。……っていうか、ボクって冷たい人間なのかも……。今の今まで、全然そんなふうに考えもしてなかった……」
ついつい沈んだ表情になってしまう友樹を、
「いやいや、気にしなくていいんだって。ごめん、こんなこと言わなきゃよかったね。でも、笹雨は大丈夫だから、心配しないでいいよ」
薪はそっと肩に手を乗せて慰める。
「うん……。ありがと、杉崎くん」
すぐにチャイムが鳴り森母先生が教室に入ってきたため、薪と優助は自分の席に戻っていった。
その背中を見送る友樹の背後では、ねみみが机に突っ伏して眠っていた。
☆☆☆☆☆
「……え~っと、それじゃあ……。むっ、こら、倉梳さん! 居眠りなんて、してちゃダメですよ!」
森母先生が、コツン、と教科書のカドで軽くねみみの頭を叩く。
「ふぁ……ふぁ~い……」
なんとか起き上がるねみみではあったが、その目は眠気に負けて、まるで横線一本のようになっていた。
「……ねみみちゃん、どうしたの? ……なんだか、すごく眠そう……」
休み時間になるとすぐ、友樹は後ろを向き、ねみみに話しかけてみた。
「うみゅ~……。そうなんですのん。なんだかとっても、眠いんですねん~……。す~す~」
ねみみはそう言葉を返しながらもうつらうつらと舟を漕ぎ、言い終わるか終わらないかのうちに再び机に突っ伏すと、寝息を立て始めてしまった。
☆☆☆☆☆
笹雨が階段から転げ落ちたあの一件があり、勘違いしていたとはいえ、いじめがあったという事実を森母先生がクラスに訴えかけた。
それによって、最近は友樹に対するいじめ行為やからかいの声は、鳴りを潜めていた。
しかし、それは表面上のことでしかなかった。
先生やクラスメイトに見つからないように隠れて行われるいじめは、そのあともしっかりと続いていたのだ。
以前とは少し変わっていると言えるかもしれないが、友樹本人にも姿を見せずに行われるいじめ。
カバンや教科書、ノート、筆入れ、上履きなどが隠されたり。
机やロッカー、下駄箱の中に、雑巾だとか泥まみれのカエルだとか、汚いものが入れられていたり。
いまいち低レベルとも思える、そういったいじめの数々が、今の友樹には襲いかかってきていた。
友樹は冬野から呼び出しを受けて念を押されていたからなのか、そういったいじめを受けていることは、誰にも話したりしなかった。
このあいだの冬野に対する強い勢いはなんだったのかと思うほど、以前と変わらない弱気な友樹。
ねみみにならば泣き言をこぼせるかもしれないのだが、朝からずっと眠そうにしている彼女は、休み時間には完全に眠りこけていた。
また、冬野からの呼び出しも、相変わらず続いている。
放課後となった今、友樹はまたしても冬野に呼び出され、いつもの場所、屋上へと出るドアの前で彼女たちと対峙していた。
「今日は随分おとなしかったじゃない? とりあえずは、ちゃんと言いつけを守ってるのね。ものわかりがよくて嬉しいわ。でも、何度も言ってるけど、誰かに話したらひどいことになるって、しっかり心に刻んでおきなさいよ?」
いつもどおり腕を組んで取り巻きの三人を従えたまま、冬野は高圧的な口調で言い放つ。
対する友樹は、遠慮がちな声で言葉を返した。
「……ほ……蛍風くんみたいに……?」
「………………!」
その友樹の言葉に、なにか言いたそうな表情を浮かべてはいたものの、冬野は声を返すことができないようだった。
「……やっぱり……松園寺さんたちが犯人なのね……?」
小さく、微かに震える声ではあったが、友樹はさらに冬野を責め立てる。
「ち……違うって言ったでしょ!?」
声を荒げた冬野は、右手を振り上げる。
バシン!
大きな音を響かせ、冬野の手のひらが友樹の頬を鋭く打ちつけた。
叩かれた友樹の頬は、みるみるうちに赤くなっていく。
「ちょっと冬野、暴力はまずいよ。バレやすいってば。この前も言ったでしょ?」
「わ……わかってるわよ!」
見かねた唯に諭されるも、冬野は強がりの言葉を吐き出すのみ。
ともあれ、そんなやり取りにとって、どうにか少しは落ち着きを取り戻したようだ。
友樹は叩かれた頬を手で押さえながら、冬野に視線を向ける。
そんな友樹に、冬野は唐突な質問を投げかけた。
「……ところで仲良さん、倉梳さんっていったい、何者なの?」
「え? ねみみちゃん……? ……何者って、クラスメイトでしょ?」
あまりにも唐突なその質問に、思わず泡を食ったような顔をしてしまう友樹だったが、焦りを押し殺し、どうにか言葉を返す。
友樹はねみみが教室を貫く「吸血樹」に宿った精霊だと知っている。だが、それを他人に話してしまうわけにはいかないと考えていた。
ねみみから口止めされているわけではないが、精霊の力とやらを使って記憶を操作しているみたいだったからだ。
それにしても、なぜ冬野はこんな質問をしてくるのか。
考えてみれば、なんとなくではあるが、最初から冬野はねみみに対して疑念を抱いているようだった。
ねみみの力の影響力が弱まってきているということなのだろうか……。
そうやって考えを巡らせる友樹に、冬野はキッと睨みつけるような視線を向けている。
「ちょっと冬野、なに言ってるの?」
取り巻き三人組は、冬野の言葉に首をかしげていた。
「もしかして、おかしくなっちゃった?」
「それは、もとからじゃ……」
「ちょ……っ! なんですって!?」
三人組のとぼけたような軽口に、冬野は睨みを利かせる対象を変える。
友樹は怒りの矛先が変わってくれて、少しだけほっとしていた。
「ふ……ふん! 今日のところは、これくらいにしといてあげるわ!」
悪役丸出しといった感じの捨てゼリフを残し、冬野は取り巻きたちともども、その場を去っていった。