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「先生は残念でなりません……」
静まり返った生徒たちの前で、森母先生が泣きそうな声を響かせる。
あのあと、六時間目の授業は自習となった。
友樹たちのクラスの担任である森母先生が受け持つ、国語の授業だったからだ。
おそらくは、いろいろと状況を訊かれたりしていたのだろう。
帰りのホームルームの時間になると、森母先生は血の気の引いたような顔で教室に入ってきた。
そしてクラス全員がじっと視線を向ける中、微かにその身を震わせながら話し始めたのだ。
「まずは、心配していると思いますので蛍風くんの容態についてですが、出血はしていたもののすぐに意識を取り戻したようです。精密な検査をするまでは安心できないと思いますが、今のところ深刻なケガではなさそうとのことです」
先生の声に、安堵の息を漏らすクラスメイトたち。
友樹もほっと胸を撫で下ろす。
「ですが!」
騒がしくなり始めていた教室に喝を入れるように、森母先生は声を張り上げた。
わずかな間を置いて、
「先生は残念でなりません」
先ほども言ったセリフを、もう一度繰り返す。
「このクラスに、いじめがあったなんて……」
ざわざわざわ。
生徒たちにざわめきが広がる。
「階段の近くにロープが残されていました。誰かがそれを使って、足を引っかけたようです。すぐにみんな教室を出て階段に集まったのですから、犯人はその中に紛れ込んでいたということになります」
犯人。
その響きに、身を固くする生徒たち。
「そんないじめを、このクラスの誰かがしていたなんて……」
声を震わせながら、先生は話し続けていた。
いじめ――。
そのことについて思い当たるふしが、生徒たちのそれぞれに少なからずあるのだろう。
誰もがきっと、同じことを考えていたに違いない。
最近はそれほどでもなかったものの、おとなしくてクラスで孤立している様子だった、友樹のことを。
実際どうなのかわからないままに、面白半分で笹雨との仲を冷やかしたりして楽しんでいたことを思い出した人も、中にはいるはずだ。
だが森母先生から続けられた言葉は、そんな生徒たちの考えに反するものだった。
「蛍風くんが、いじめられていたなんて。先生は全然気づきませんでした」
ざわ……。
声が、一瞬だけピタリと止まる。
「蛍風くんは、おとなしい子ですから、我慢していたんでしょうね」
涙目をハンカチで拭いながら、見当外れの言葉をこぼし続ける森母先生。
先生らしいといえば先生らしい、勘違い。
生徒たちのざわめきは、一瞬だけ止まったものの、すぐもとどおりになった。
そんな喧騒の中、友樹は考える。
笹雨は巻き添いを食っただけで、いじめられていたわけではない。
いじめられていたのは、自分のほうだ。
とはいえ――。
それを正すためには、自分のことを話さなければならない。
冬野たちに呼び出され、嫌がらせされていたことを。
しかし、ある程度気づいている人もいるかもしれないが、今のところ、他の人がいるときにいじめられたりはしていない。
それに友樹は、告げ口などをしないように、冬野たちから何度も念を押されている。
自分がいじめを受けているのだということを、正直に先生に話す勇気は、今の友樹にはなかった。
ふと、友樹は視線を向ける。
自分をいじめている張本人である、冬野に。
冬野は笹雨が階段から落ちて倒れたのを見てから、ずっと青ざめた顔で落ち込んでいる様子だった。
それを、隣の席の唯がなだめる。そんな状態が続いていた。
(やっぱりあれは、松園寺さんたちがやったのかな……)
友樹を目の仇にして、呼び出したり、体育倉庫に閉じ込めたりしていた冬野たち。
ロープを仕掛けて転ばそうとするくらいのことは、躊躇なくやってのけるだろうと思われた。
階段を下りている途中でロープを引っかけたり背中を押したり、といった悪質なことまでやらないところも、冬野らしいと言えなくもない。
(そうに、違いないよね……)
証拠はまったくなかったものの、友樹は確信に近い思いを抱いていた。
(でもそれなら、事故だったとはいえ、蛍風くんをケガさせてしまったのは自分のせいじゃない。それなのに、どうしてあんなに青くなってるのよ)
冬野に対して怒りの念が込み上げてくる。
(松園寺さんは、蛍風くんのことを気に入ってるみたいだもんね。自分がケガをさせてしまったことで、怖くなっちゃったとか、そんな感じなんだよね、きっと)
なんて自分勝手な人だろう。思わず友樹は冬野を睨みつけてしまう。
と、そんな友樹の目に、瑞菜の顔が映る。
彼女の席は冬野の斜め前だったため、自然と視界に入っていたのだ。
瑞菜は友樹のほうを見ていたようだったが、視線に気づいたからなのか、慌てて前に向き直ってしまった。