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冬野は黙々と友樹の腕を引っ張り、歩き続ける。
厚い雲に覆われた空は薄暗く、夕方だというのに宵闇に包まれ始めているかのようだった。
友樹は腕を強く引かれ、上履きのまま外へと連れ出される。
裏庭を通って校庭の片隅まで進むと、しばらく前にも連れ込まれた体育倉庫の裏で、冬野は歩みを止めた。
「大声、出すんじゃないわよ」
「は……はい……」
いつもにも増して迫力のある冬野の勢いに圧されてしまったのか、友樹は微かに震えながら服従の声を返す。
体育倉庫の裏手に身を隠しつつ、無言の時間が流れた。
ほどなくして、運動部の生徒たちがボールなどをしまいに来たのか、体育倉庫に入っていく姿が確認できた。
数人の足音と笑い声などがひとしきり響いたあと。
スライド式のドアが閉められ、カギをかける音が小さく響くと、騒々しい足音は遠ざかっていった。
「……冬野、もう大丈夫そうだよ」
校庭の様子をうかがっていた唯が声を上げると、冬野は再び、黙って友樹を引っ張り始める。
そして素早く体育倉庫の前に回り込むと、唯はカギを外してドアを開けた。
「どうして、カギを……」
「部活ごとに持たせてあるくらいだもの、予備だってあるのよ」
そう言いながら、友樹を体育倉庫の中へと引っ張り込む冬野。
彼女は自らも薄暗い倉庫に入り、友樹が怯えた目を向けるのも意に介さず、つかんでいた腕を振り回すようにして突き飛ばした。
「きゃっ……、むぐ……!?」
友樹の体は陸上で使われる高飛び用のマットの上に転がる。
と同時に、美春と幸緒がふたりがかりで友樹を押さえ込みにかかった。
さらには、背後から組みついた幸緒によって、タオルを猿ぐつわのようにして巻きつけられてしまう。
「ん……んん~~~~!」
悲鳴を上げようとしても、まったく声にならない。
ちょっとした音としての認識はできるだろうが、校庭にはもう誰もいなくなっている。
近くに人がいない今、この程度の音では気づかれるはずもなかった。
「仲良さん、あたしが前に忠告したこと、覚えていないのかしら?」
友樹を激しく睨みつけながら、冬野は低く声を響かせる。
「笹雨くんには近づくなって、言ったわよねぇ?」
冬野は押さえられて動けない友樹に顔をぐっと近づけ、眉をつり上げながら怒りを溶け込ませた言葉をぶつけてくる。
「きゃはは、出た出た、必殺やきもち焼き!」
思わず茶々を入れ、慌てて口をつぐんでいる唯を、冬野はギロリと睨みつけた。
「と……とにかく、あまり調子に乗っているとこういう目に遭うんだってこと、よく覚えておきなさい!」
(ボ……ボク、べつにそんなつもりないよ! 蛍風くんのことだって、檜山くんとかがいろいろと言ってるだけで、べつになにもないから!)
口を塞がれているので反論することはできないが、友樹は涙目になってそう訴えかける。
もちろんそんな訴えが、今の冬野に通じるはずもない。
それどころか、
「反抗的な目をするんじゃないわよ!」
バシッ!
冬野は声を荒げると、友樹の頬が赤くなるほどの勢いで、ビンタをお見舞いする。
友樹はマットに顔をうずめ、ただひたすら涙を流していた。
「……ちょっと冬野、傷とかアザとかが残るようなのは、やめておかないと。冬野自身がいつもそう言ってるじゃん」
「う……うるさいわね! わかってるわよ!」
唯からの忠告に、冬野は真っ赤な顔になって言い返す。
冬野の視線はすぐに、マットに突っ伏している友樹へと向けられた。
「……ふんっ! 泣けば許してもらえるなんて、思わないでよね!」
続けてそう言いながらも、冬野は友樹に再び手を上げたりはしなかった。
「そうだわ。このあいだの写真あるでしょ? あれ、唯のケータイだけじゃなくて、あたしと幸緒と美春のケータイにも転送してあるからね。あなたが妙なことしたら、すぐにでもばら撒けるんだから!」
そんな冬野の声を、ただ涙を流しながら聞き続けることしかできない友樹。
反抗する気力すら失くした友樹の様子を見て、興ざめしてきたのだろうか、冬野は取り巻き三人組に号令をかける。
「ま、今日は帰りましょう」
「ラジャー!」
冬野が先頭を切って体育倉庫を出たあと、三人組も押さえつけていた友樹から離れると、素早くドアをくぐって外へ出た。
友樹ものろのろと立ち上がり、そのあとに続こうとしたのだが……。
「それじゃ、おやすみ」
ふっ。
冬野の冷たい笑顔が、体育倉庫のドアのすき間から、消えた。
三人組によって、ドアが閉められたのだ。
カチャッ、と軽い音を響かせ、カギまでかけられる。
友樹は慌ててドアの前まで駆け寄ったが、ドアをスライドさせようとしても、びくともしなかった。
「ん~~、ん~~~~~!!」
思いきり大声を上げて冬野たちに呼びかけようとする友樹だったが、タオルが巻きつけられたままでは声になどならなかった。
「言っとくけど、告げ口とかしたらどうなるか……なんて、わざわざ言うまでもないわよね? ふふふ……」
念を押す冬野の捨てゼリフを残して、彼女たちの足音は止まることなく遠ざかり、すぐに静寂が訪れた。
真っ暗になった体育倉庫に取り残された友樹は、何度もドアを引っ張ったり叩いたりしてみたが、どうにもなる気配はない。
考えてみたら、口にタオルが巻きつけられていても、腕は自由になるんだから簡単に外せるじゃないか。
友樹がそのことに気づいたのは、少し時間が経ってからだった。
それから、友樹はどうにかドアを開けようとあがき続け、助けを呼ぼうと何度も大声を張り上げた。
しかし結局ドアは開かず、誰も助けに来てはくれなかった。
やがて疲れ果てた友樹は、再びマットに身を沈めるとすすり泣きを始める。
そのまま、どれくらいの時間が経っただろうか。おなかも音を立て始める頃合いになっていた。
「どうしてボクが、こんなことをされなくちゃならないの……? 誰か、助けて……」
何度も繰り返されている、助けを求める友樹のつぶやきは、誰のもとへも届きはしなかった。
(……松園寺さんたちさえ、いなければ……!)
ついそんな黒い思念までもが、友樹の心に湧き上がってくる。
と――。
(…………?)
不意に友樹は起き上がる。
(今、声が聞こえたような……?)
友樹は気力を振りしぼって立ち上がると、ドアまで駆け寄り、ドンドンとがむしゃらに叩き、大声を上げ始めた。
闇夜に響く、ドアを叩き続ける音と、女の子の大声。
だが近くには、やはり誰もいなかった。
学校というものは、田んぼや畑の真ん中に建っていることが多い。
友樹の通うこの学校もそんな立地にあるため、近くの民家まではかなりの距離がある。
その上、もともと人口も少ない田舎町なのだから、たまたま付近を通りかかるような人などそうそういるはずもない。
激しくドアを叩く音も、友樹の悲痛な声も、結局誰にも聞きつけられることはなかった。
(やっぱり、ダメだ……)
諦めかけたそのとき、月明かりが友樹の瞳をまぶしく照らす。
(…………あっ、そうか!)
体育倉庫の奥側の壁、少し高い部分にではあるが、窓がついているということに、友樹はようやく気づいた。
人が通るには小さすぎるくらいの小窓。とはいえ、小柄な友樹ならばどうにか通ることができるだろう。
……大きな胸が若干つっかえそうではあったが。
窓は高い位置にあり、友樹のジャンプ力では上るのも困難そうに思えた。
ともあれ、ここは様々な物品が雑多にしまわれている体育倉庫。マットや跳び箱などを使って階段を作れば、窓までの道は確保できる。
即席の階段から窓に手をかけた友樹。
カギがかかってはいたが、内側からならばすぐに開けられる。
友樹はカギを開け、窓から下をのぞき込んでみた。
このまま頭から出ると、逆さまに落ちて地面に頭をぶつけてしまうだろう。
そう考えた友樹は足から窓をくぐり、見事、体育倉庫の裏へと脱出することに成功した。
着地に失敗して尻餅をついてはしまったものの、友樹は腰をさすりながら、ふらふらと立ち上がる。
その後、教室までカバンを取りに戻ったが、ねみみの姿はなかった。
友樹は月夜が照らし出す通学路を、ひとり寂しく帰っていく。
涙を流しながら歩く彼女の姿は、誰の目にも留まることはなかった。