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「さっきは、ごめん……」
五時間目の休み時間、優助は友樹のもとに赴き、素直に謝った。
「ん……もう、いいよ。わざとじゃないし、過ぎたことだから」
友樹は答えながら、視線をねみみに向ける。
あのあと、優助の持ってきた水を飲んでどうにか少しは酔いが醒めたものの、ねみみは授業が始まってからも眠気と必死に戦っているようだった。
そして授業が終わって休み時間になった途端、また眠り始めてしまったのだ。
謝りに来た優助の隣には、薪と笹雨も立っていた。
「優助のバカがお酒なんて持ってくるから悪いんだよ。いつもお前は考えなしに行動するんだから」
「う……うるさいな~。でも、反省はしてます……」
そんな薪と優助のやり取りに、微かな笑みを浮かべる笹雨。
その笑顔を、すっと友樹のほうに向ける。
「仲良さん、さっきは散々だったね」
急に話しかけられて、友樹はびっくりしていた。
薪や優助とは話したことがあったのだが、笹雨と話したことはまだ一度もなかったからだ。
それなりに話せる人もできていた友樹ではあっても、基本的に人見知りな性格というのは変わっていないのだ。
「そ……そうだね……。なんか、変なところを見られちゃったし、ボク、ちょっと恥ずかしい……」
少々どもりながらも、どうにか声を紡ぐ。自然と顔は赤くなっていた。
「あはは。でも、仲のいい女の子同士って、楽しそうでいいよね」
「そ、そうかな……ありがとう……」
恥ずかしさで視線を逸らしていた友樹は、話しているのに失礼かも、と不意に考え、笹雨の瞳を見つめ返しながらお礼を述べた。
いまいち会話として成立しているのか怪しい受け答えではあったものの、こうして友樹と笹雨は初めての会話を交わすことになった。
すぐにチャイムが鳴り響き、自分の席に戻っていく笹雨たち。その背中を、友樹はぼーっと眺める。
そんな様子を、微妙な思いで見つめるふたりの視線に、友樹は気づくことはなかった。
ひとりは冬野、もうひとりは瑞菜だった。
ふたりとも、恨みのこもったような、それでいて少し寂しさも含んだような視線を向けていた。
一方。
ぐか~~~~っ!
友樹のすぐ後ろでは、ねみみが豪快ないびきを響かせていた。
☆☆☆☆☆
「遅かったわね」
屋上へと出るドアに寄りかかり、腕を組んで友樹を見下ろす冬野。
その前には、唯、幸緒、美春の三人が控えている。
またですか。
友樹ですらそう思ってしまう状況。
放課後、友樹はまたもや冬野たちに呼び出され、屋上前のこの場所へと来ていた。
「仲良さん、あたしの言ったこと覚えてる? 笹雨くんに近づくなって、言ったはずよね?」
怒りの表情を隠しもせず、冬野は鋭い視線で友樹を睨みつける。
「あ……」
友樹は、すっかり忘れていた。
確かにさっき、少しだけだったとはいえ、笹雨と会話を交わした。
しかしあれは、笹雨のほうから話しかけてきたからだ。
話しかけられて無視するわけにもいかないし、不可抗力だとは思うのだが。
冬野にしてみれば、そんな事情なんて関係ないのだろう。
ただ笹雨と話していたのが許せない。そういうことなのだ。
「ご……ごめんなさいっ! でも、蛍風くんのほうから話しかけられただけだし、べつにボクは……」
「関係ないわ! それに、赤くなって見つめ合ってたじゃない!」
うわ、よく見てる……。
友樹は思わず他人事のような感想を抱いてしまう。
「そ……そういうのじゃないです! ……多分……」
ついつい余計なひと言をつけ加えてしまった友樹に、冬野は怒りのマグマを頭のてっぺんから噴出させた。
「この……っ! 今日という今日は、許さないんだから! みんな、やっちゃいなさい!」
やっぱりあんたは手を下さないんかい!
そんなツッコミは心の奥にしまい込む、友達思いの取り巻き三人組。
美春が両腕をつかみ、抵抗する友樹を押さえつける。
続けて幸緒が背後へと回り、友樹のセーラー服の中まで手を突っ込むと、ブラジャーのホックに指をかける。
すかさず唯がケータイを構えて、その様子を写真に撮ろうとする。
思いっきりデジャブを感じるこの状況に、友樹は最初のときと比べたら少しは余裕のある拒否の叫び声を上げる。
「や……やめてってばっ!」
「うるさいっての! 静かにしなさい!」
バシッ!
今まで、実際に傷をつけてしまうと大変だと考えていたのか、手を上げたことのなかった冬野が、平手打ちだったとはいえ、友樹の頬を思いっきり叩いた。
「痛……っ!」
痛さと驚きで、涙がにじむ。
友樹は、冬野たちから何度もこうして呼び出されたり物陰に引っ張り込まれたりはしていたものの、危害を加えたりまではしないみたいだと思って、少し安心している部分があったのだ。
それで心に余裕を生ませていたのだが、その防波堤も今、あっさりと崩れてしまった。
追い討ちをかけるように、
ピロリロリン。カシャリ。
ケータイのカメラのシャッター音が響く。
「…………っ!」
今の自分は、背後から組みつく幸緒によってセーラー服がたくし上げられ、ホックこそ外されてはいなかったが、ブラジャーがあらわになっている状態。
それを、写真に撮られてしまったのだ。
「きゃははっ! 綺麗に撮れてるよ! ホラ!」
唯はご丁寧に、撮った写真を友樹本人に見せつける。
ケータイの液晶画面には、真っ赤になって泣き叫んでいる友樹がセーラー服の前をはだけ、ブラジャーもはっきりと見えている画像が、鮮明に写し出されていた。
「や……っ、ダメ! それ、消してよ!」
涙をぼろぼろと溢れさせながら懇願する友樹を、四人はいやらしい薄笑いを浮かべて見下ろす。
「きゃはは! ダメだよ、消さないからね! これを男子とか先生とかにばら撒かれたくなかったら、冬野には逆らわないことね!」
どうやらすぐにメールで送ったりする気はなさそうだったが、友樹は半狂乱になっていることもあり、そんなことで安心できるわけもなかった。
実際のところ、唯は普段から冬野の取り巻きをやっていて、周囲にはいつも女子ばかりというグループの中にいる身だ。
唯のケータイには、男子のメールアドレスなんてほとんど登録されていない。ましてや先生のアドレスなんて、知っているはずもなかった。
だから、写真がメールでばら撒かれる心配なんてないのだが、友樹はそんなことまで頭が回らない。
もっとも写真としてケータイにデータがあれば、印刷してばら撒くことも可能になるのだから、心配のいらない状態とは言えないのも確かなのだが。
ともかく冬野たちとしては、友樹が自分たちの言いなりになるように念を押すというのが、今回の目的だったようだ。
泣きじゃくって項垂れている友樹を見て、満足そうに笑みをこぼす。
「それじゃ、仲良さん。ま・た・ね」
ねっとりとした雰囲気の声を残して、冬野たちは階段を下りていった。
☆☆☆☆☆
涙を流して教室へと戻った友樹を待つ者は、誰ひとりとしていない。
さっきのお酒が残っていたからなのか、他に用事でもあったのか、教室にはねみみの姿もなかった。
教室からは出られないはずなのだから、おそらくは姿を消しているだけなのだろうが、精霊のことなど友樹にはよくわからない。
最近は放課後の他に誰もいない時間になると、瑞菜が話しかけてくれたりもしていたのだが、今日は彼女の姿もないようだ。
(やっぱり誰も、ボクのことなんて本気で心配してくれたりしないんだ……)
マイナス思考に囚われ始める友樹。
実際には吹奏楽部の練習が忙しいからいないだけで、瑞菜は友樹のことを気にかけてはいたのだが。
ここ最近、そばに誰かのいる状況が多くなっていたためか、友樹にはひとりが余計に寂しく感じられた。
(……ねみみちゃん、少し待ったら出てきてくれるかな……?)
すがりつける存在がほしくて、友樹は自分の席に座り、まだ自然と涙が流れ落ちる中、しばらくのあいだ黙って待ち続けたのだが。
ねみみは結局、現れなかった。
傾いた日差しが友樹の濡れた頬を赤く染める。
(……帰ろう……)
頬を拭い、そっとカバンをつかむと、友樹はひとり寂しく、夕陽が差し込む廊下をとぼとぼ歩いて帰るのだった。