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星空とサヨナラ

作者: Hz


 吐きそうだ。

 砂糖菓子のように甘ったるいセリフも、鏡で毎日練習しているのかと思うほど完璧な笑顔も、近づくたびに感じる清潔そうなシャンプーの香りも。

 いらいらする。隣にいるだけで、胃のあたりがむかむかしてくる。吐きそうだ、吐きそうだ。

 ……しまった、吐いてしまった。


千尋ちひろ、大丈夫?」

「ん……ちょっとよっただけ」

 揺れるバスの中。くねくね曲がっている山道。慣れないバスの匂い。

 修学旅行にもれなくついてくる車よいはひとつの試練である。よわない人は平気で本を読んだりゲームをしていたりするのだが、よう人はもう大変だ。ビニール袋を片手に青ざめた顔でひたすら耐えている。

 でも私は全然よわない体質なのでゲームもできるし雑誌も読める。トランプでババ抜きだってできるし、頑張ったらマイムマイムだって踊れるかもしれない。


 だから吐かないはずだったのに。

「千尋、また吐きそうになったらいつでも言ってね。あたし、ずーっと千尋の傍にいるから」

 コイツ。

 今あたしの隣に座って背中をさすっているこの女の名前は美紀みき。漫画の読みすぎが、青春ドラマの見すぎか時々、台詞が悪寒がするほど……アホらしい。ぶっちゃけ自分に酔っている感じがして、どうもいらいらする。

 一匹オオカミで誰ともつるまないあたしが、この美紀につきまとわれるようになったのは、二か月前にさかのぼる。プリクラを一緒に撮ってほしいと言われたので、仕方なく撮ってあげたのが始まりだった。それ以来どんどん二人きりで遊びに誘われて、気がつけば本人からも周りからも、あたしたちは親友扱いされていた。

 こんな奴とつるむのはプライドが許さないのだけれど。

 冷たくしたら冷たくしたで、いろいろ面倒なのだ。だから表面上は仲良くしている。


 でも誤解しないでほしい。

 あたしは美紀が死ぬほど鬱陶しい。

「なんかスカッとする……そう、爽やかなもの食べる? あ、これなんかどうかな。じゃーん。ガム!」

 美紀がなにやら鞄の中からカラフルなパッケージのガムを取り出した。目がデカい漫画のキャラクターが満面の笑顔でこちらを見ている。

 ただのガムじゃん、とつっこもうとしたけどさっき吐いたばかりのあたしにはそんな元気なかった。


「なにそれ。ってか、バスの中にお菓子ってもってきてよかったっけ?」

「えへへ、このガムは二個入りで、一個は普通のガムなんだけど、もう一個はヤバいほどすっぱいの。涙が出ちゃうくらいなんだよ。でも見かけはどっちも同じで、いっせのーで二人ひとつずつ食べるの」

「……そうなんだ」

「じゃあ食べよ食べよ。あ、千尋がすっぱいのにあたって泣きそうになったら、ぎゅってしてあげるから!」

「…………」

 あたしなりに最高に不機嫌な表情をしたつもりだ。でも美紀はそんなこと気にもとめず、あたしに向かってガムを手渡しした。

 ピンクのカリカリしたものでコーティングされている丸いガムは特別食べたいと思わなかったけれど、仕方なく受け取り、口に入れた。

 超絶すっぱかった。たちまち目の前がじんわり歪んでくる。

 コンマ一秒、美紀はあたしを見てから、氷の塊を見つけた白クマのようにがばっと豪快に抱きついてきた。

 また、吐きそうになった。

 

 修学旅行の定番、京都は寺ばかりで大しておもしろくなかった。みんなも好き勝手していたように思う。よその学校の生徒と喧嘩になったり、クラス一番の美人が立て続けにナンパされたり。メインの寺には見向きもせずにみんなそれぞれで楽しんでいた。

 あたしもウォークマンで曲を聞いて自己の世界にひたろうとしていたのだが、しょっちゅう美紀に構われてどっと疲れた。この日のためにアルバムをたくさん入れてきたのに、美紀のばか。


 部屋割はどうやらあたしの見方をしてくれなかったらしい。一部屋六人で仲良し四人グループが入っている。必然的にあたしと美紀がくっつく形になる。出席番号の都合上、これは覚悟していたことだけれど、テンションが一気に下がった。

 気分はどん底だ。


 夜こそはウォークマンと素敵な世界に行こう。夕食を食べながらそう思った。ふと、気付いた。箸でシューマイをつまんでも、手に感覚がない。つかんでいる、箸を握っているという感覚が一切ない。

 しびれているのだろうか。でも今は修学旅行だ。長く続いたら、病院に行こう。


 京都の夜は静かだった。おかげで曲にじっくりひたることができた。

 しかしそれもつかの間。肩への振動であたしのウォークマンタイムは邪魔された。


「千尋……寝てる? そんなワケないよね」

「起きてるんだ。何、眠れないの?」

「だって修学旅行の定番といったら、夜遅くまで布団の中でこそこそおしゃべり、でしょ?」

「……みんな寝てるよ。疲れてるはずだし」

「でも千尋は起きてる」


 こそこそ話なのでみんなには聞こえないと思うけど、曲が聞こえない。いらいらしているのをむき出しにしてはいけないと日頃から気をつけているのだけれど、この時は枕の固い感触が気に入らなくて、セーブができなかった。

「いい加減にしてよ」

 荒々しい口調だった。そのあと、沈黙が広がったのが怖くて、言ってしまったあたし自身が一番ビビってしまった。


 それを聞いていたのか聞いていなかったのか、少しのインターバルも空けることなく美紀は言った。

「星を、身に行こうよ」

 思わず耳を疑った。

「…………はぁ?」

 こっち、と言って美紀はあたしの手をひき、窓のところへつれて行った。

 木製の窓枠の向こうは真っ暗な闇に支配されている。まるで黒い紙をガムテープか何かで貼り付けているかのようだった。

 その闇へ飛び込んでいくかのように、美紀は、ためらいなく窓をガラリと開けた。

 

 冷たい風がこそばい音をたてて流れてくる。

「ちょっ、美紀。みんな寝てるのよ!?」

「だからはやく来て。千尋といっしょに見たかったの。今日は天気もいいし……」

 窓は床からさして高くない位置にある。飛び出すのは簡単だ。

 羽がはえているのではと錯覚するほどかろやかに、美紀は窓の向こうの闇に浮かぶ屋根の上に降り立った。

「美紀!?」

「おいで、千尋」

 そっと手を差し出される。美紀の、ほっそりとした指があたしを誘っている。

 闇の中に美紀がいた。彼女の長い髪の毛が風にふかれてさらさらと揺れている。ビー玉のように透き通った瞳が、こっちを見ている。


「……わかったわよ」

 美紀の手を掴むのはプライドが許さなかった。あたしは窓枠の一部をぎゅっと握りしめて、こわごわ屋根に降り立った。

 瓦のひんやりとした固い感触が裸足の足の裏からつたわってくる。寒過ぎて寒過ぎて歯がガチガチ音をたてた。手足がきゅっとひきつってその場に座り込みそうになった。

 美紀はそんなあたしを気にも止めず、もっと高い場所を目指して怖がることなく歩いて行った。屈辱的だったが、あたしはへっぴり腰でついていく。美紀に情けないと思われるのはすごく癪だからだ。


「美紀! あんたここ何階か知ってる!?」

「十二階だっけ?」

「十四階よ! 危ない! 危ないから!」

 闇に目が慣れてきたころ下を向いた。すごくすごく、高かった。旅館の庭のすみずみが見渡せ、そのすべてが米粒のように小さかった。

 背筋を、冷たいものが駆け抜けていく。

 あたまが、まっしろに、なる。


「千尋! ねぇ、もうちょっとで綺麗に星が見えるポイントがあるから! とっても、とっても綺麗なんだから!」

「無理! やだ、怖い!」

 怖い。

 足がすくむ、腰がぬける。自分でも何をしているのか分からなくなってきた。

 すると美紀はあたしのてのひらをきつく握りしめ。半分引きずるようにして、どんどん歩いて行った。パニックに陥っているあたしはできるだけ目をつぶっているようにして、されるがままになっていた。


 もうちょっと、もうちょっと。自分に言い聞かせる。

 冷たい空気、無情にもふきつけてくる風。その中で唯一美紀の手だけが、温かい。

 

 何よ、いつもあたしの後ろをついてくるだけなのに。

 なんであたしが、引きずられてんのよ。

 教室ではいつも浮いていて、仲良くする女の子もいなくて。ある日突拍子もなくプリクラに誘ってきて、やけにベタベタしてくるし(最初レズかと思った。本気で)

 あたしは一人が好きなのに。教室で一人で静かにしていることが好きなのに。教室中がみんな敵で、怖くて怖くてたまらないから、固い殻にこもってひたすら自分を守っていたいのに。

 美紀は行動よめなくて。天然なのか計算してるのか分からなくて。

 どんだけ冷たくしてもそっけなくしても、笑って、くれて。


「千尋、上見て」

 恐る恐る瞼を開ける。


「…………っ」

 声が、出せなかった。

 黒い画用紙にラインストーンをばらまいたようだった。いや、それ以上かもしれない。空という小さな小さな世界ではなく、宇宙だ。スペースシャトルにものらず、あたしたちは宇宙に来てしまったのだろうか。

 星があちらこちらで光っている。ひとつひとつが全力で輝き、自らをアピールしている。そしてそんな小さな星がたくさんあつまって、星の湖を作り出していた。


「美紀、なんでこんな景色が見れるって知ってたの?」

「なんとなく、分かったの。あたしね、星好きなんだ。きらきら光って綺麗でしょ?」

「あんた、天文学学んだほうがいいわよ」

「イヤだなぁ……堅苦しいの、辛いもん。見るだけでいい。星の動き方とか、名前とか、そんなおカタいことどうでもいいもん。見て、綺麗。それでいいじゃん」

「勉強とか、美紀嫌いだもんね」

「えへへ……でも千尋は成績良いよね。うらやましい」


 うらやましい?

 そんなの、間違ってる。

 小さいころからあたしは冷めていた。大して熱中できることもなくて、何にも興味がなくて、特別なものも持っていなくて。

 勉強しか取り柄がない。あたしのアイデンティティーは、たったそれだけ。それが嫌で嫌でたまらなかった。

 勉強を失ったら?

 そう考えるだけで胃がねじれるように痛んだ。だから必死で守ってきた。たったひとつの……アイデンティティーを。


「あたしは勉強しかないから」

「そんなコト言ったらあたしだって星しかないもん」

 ……だけど、なんか違う気がする。勉強なんて、誰でもできる。やる気と教科書さえあれば、誰にだって身につく。

 でもまぁ、いいか。


 ひややかな風が音をたててふきわたった。庭の草が爽やかな音をたててなびいた。髪がボサボサになって、いつもならそれはイライラすることなのに、今はやけに心地が良い。

 瞼を閉じる。すっと息を吸った。一切汚れの混じっていない空気が肺に入ってくる。

 

 突然、おだやかな風を追いやるように激しい意地悪な風がふきぬけた。

「寒っ」

「うん、確かに……寒いね」

「帰ろっか?」

「そうしよっか」

「……ありがとうね。星、見せてくれて」

 美紀の顔は直視できなかった。照れくさくて、言っている自分を想像したら、なんだかすごく恥ずかしく感じたから。


 帰るということに意見が固まったので立ちあがることにする。

 膝に力を入れて、ちょっと名残惜しいけど、ゆっくりと……立ちあがった。



 揺れた。

 頭上の星がシャラシャラと音をたてて、月がおっこちてきた。目を見開いて今おきていることを理解しようとしたけれど、もうまともな視界じゃなかった。

 血のような赤、チョウのサナギのように清々しい緑、くすんだ紫、すべてを呑み込もうとする黒。コンタクトレンズを絵の具にひたして装着したらこんな感じになりそうだ。

 とにかく視界そのものがおかしくなっている。

 

 身体の感覚がつかめない。とてつもなく柔らかい布団に寝転んだように、何かに触れているという気がしない。今瓦に接している足は素足なのに、瓦の冷たさも固さも、今は感じない。


「美紀!?」


 その声がちゃんと声として出たのか、美紀に聞こえたのかは分からない。唇もしびれていた。

 浮遊感。頭痛。今は何時だろう。明日は何時に起きたらいいんだろう。やば、ウォークマン出しっぱなしだ。誰かに踏まれたら嫌だなぁ。あ、足がしびれてる。そうだ、夕食はおいしかったなぁ。納豆のせの豆腐……卵入りのスープも、おいしかったなぁ。ところで今、何時だろうか。頭痛。頭痛。ウォークマン、頭痛。しびれ。今は、何時?


 

 あれ、今何してんだっけ?

 あたしは、誰だ?









「気がつきましたか、千尋さん」

 白い背景。白髪の老人がこちらを見ていた。おだやかな光を映している二重の瞳、くっきりと刻まれた深いしわ。頭髪と同じように白い髭。


「……ここは、どこなんですか」

「病院です。良かった、あなたは目覚めたんです」

 安堵した老人はホッと息を吐くと強張らせていた肩から力を抜いた。そして視界から消えた。

 頭を動かさずに目だけを動かして見て分かったこと。老人は近くの椅子に座ったということと、白衣を着ていることから、この老人は医者なのだということ。

 身体をつつんでいる布の感触から、今あたしがいるのはベッドの上、シーツの中で、横たわっていること。


 不思議だ。

 奇妙だ。

「あたしはどうなって……?」

 首をひねって、座っている医者を見て問いかけた。

 頭の中も胸の中も鈍く思いものがつっかえているようだ。こみ上げてくる恐怖を唇をかむことでおさえつける。

 美紀は?ようやくお互いわかりあえたと思ったのに。ようやく二人本当の親友になれたと思ったのに。

 ねぇ、美紀は? 


「あなたは修学旅行中にバス事故に遭いました。あなた以外の生徒、先生は全員助かったのですが、座席を立っていたあなたは急ブレーキの時、思い切り頭をぶつけてしまったのです。そして意識を失い……植物人間状態になりました。七年間ずっとあなたは入院していました」

「七年も!?」

 じゃあ、美紀は今二十二歳のはずだ。なかなかの美人になっていると思う。

 会いたい。彼女に会いたい。

「美紀に会いたいです。クラスメイトの、美紀に」

 言ってしまった後に気付いた。修学旅行は行きはバス、帰りは電車だと毎年決まっている。あたしはバス事故にあったのだから、あたしは修学旅行の行きに事故に遭ったことになる。

 事故に遭って、寺を見て回れるはずがない。ガムを食べれるはずもない。


「美紀さん……ですか?」

 医者はいぶかしげにあたしを見つめた。太い眉を動かすと、白衣から何やら紙を出してきた。それは三年四組、あたしが事故にあった時のクラス名簿だった。

「美紀さんというヒトはあなたのクラスにはいません」

「待ってください。美紀とはいっしょにプリクラを撮ったんです。いっしょに星だって見たんです」

 喉がカラカラに乾いている。

「美紀はいます! 彼女はクラスメイトで……親友でした」

「長い夢を見ていたんです」

「そんなの、間違いです!」

 さらさらの髪の毛、きらめく瞳。美紀のあの騒々しい声と激しいスキンシップ。何もかもが……存在しなかった?

 そんなの、認めたくない。だけどどこにも彼女の存在を示すものがない。


「落ち着いたらまた見に来ます。それから、家族の人を呼ばないと……」

 医者は出て行った。気をきかせてくれたのだろう。


 静けさがあたりにたちこめる。ゆっくりと上半身を起こした。小さな窓から白い光がさしこみ、カーテンがユラユラ揺れている。ベッドの近くには椅子と点滴、チューブなどが置かれている。

 白い天井も白い床も、医療器具もみんな、だまりこんでいる。


 髪に触れてみた。だいぶ長くなっているように感じられた。

 美紀と過ごした日々が泡になって消えてしまった代わりに、髪は伸びていた。


 美紀はいなかった。

 最初から美紀はいなかったのだ。



 この感情を誰に話しても共感はしてもらえないだろう。存在していると思っていたものが、実は存在していなかったなんて。

 もし理解してもらえたとしても、こんなおかしな空虚感を一緒に背負ってくれる人はいない。

 死んだわけでもない、喧嘩別れしたわけでもない。ただ、存在していなかった。そんな変なこと……めったにないじゃないか。


 美紀、君はそこにいますか。

 会いたい。会いたい。いくら願ってもそれが叶うことはない。彼女は存在していないのだから。

 でも、もう一度美紀に会えるのなら……あたしはまた植物人間状態になったって構わない。


 瞳を閉じた。

 美紀と見た美しい星空は、もうボンヤリとも浮かんでこない。

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