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 五歳の僕の目の前で、両親と姉が暴走した馬車の下敷きになっていた。

 それで僕は前世のことを思い出した。




 どのような進化の果てにこんな姿になったのかわからないけど、この世界の人間には頭の上に猫のような耳がついているし、腰の下には猫のようなしっぽが生えている。

 収斂進化ってやつなんだろう、多分。それ以外のところは基本的に地球人とよく似ている。二足歩行するし、言語を操るし、体毛だって薄い。見た目は耳としっぽが猫なだけの人間だ。まあ、狭いところが好きだとかまたたびで酩酊するとか、微妙に猫っぽさはあるけど。


 今の僕も御多分に漏れず猫耳だ。耳の端が尖っていてその先の毛が跳ねているのが気になるものだから、ついいじってしまう。髪の色は基本的にライトグレーなんだけど左側だけダークグレー、だから耳は左右で色が違っている。耳の内側の毛はどちらも白っぽいけど。しっぽの毛は短くて、付け根から先の方に向かうに従ってライトグレーからダークグレーへと変わりゆくグラデーションだ。暗い部分の方が若干少ないけどね。頭もしっぽもライトが7でダークが3ってところだ。


 猫のような人のような変な生き物だけど、僕だって前世の記憶がなければそれが当たり前だと思っていたに違いない。事実五歳のその時までは何も疑問に思っていなかった。


 両親の休日が久しぶりにそろって家族で買い物に出かけたその日、歩道に突っ込んできた馬車が少し先に行っていた家族を巻き込んだ。

 そのショックで僕は交通事故で死んだ前世を思い出していた。

 あれは確か、塾からの帰りに車に轢かれたんだっけ? 受験勉強で寝不足で意識が朦朧としていて授業も全然頭に入らなくて、つい不注意に車道に出てしまったのだった──そんなことを考えながら路面に流れ出る血を呆然と眺めていた。

 周りの人たちが馬車の下から犠牲者を引っ張り出そうと騒ぐ声がどこか遠く聞こえた。


 今度死んだのは僕じゃなかった。両親も姉もひとたまりもなかった。

 近所の人たちが葬式を出してくれて埋葬が済んで、それでおしまい。両親は財産も残さなかったし身寄りもない。いくら前世の記憶があるからって五歳の子供にできることなんて何もない。僕は孤児院に迎えられた。男用の孤児院に。


 さっき僕たちは地球人に似ていると言ったけど、一番違っていてしかも猫に近いところがひとつある。ご存知発情期だ。

 妊娠の準備が整うと、女は排卵の前後に性的に興奮する。その時期は相手構わずだし、ほとんど百発百中だ。


 この肉体の仕組みのせいで毎年ベビーブームだ。僕の両親にしたってつい盛ってしまって子供ができたけど親に認めてもらえなくてこの町に逃げてきたのだと、隣の家のおばさんは葬式の席で言っていた。

「──というわけだからねえ、ご実家に知らせてあげたいのはやまやまなんだけど、どこにあるのかわからなくてねえ。あんたも孤児院しか行くところがないんだよ。ごめんねえ」

 というようなことを。


 まあ僕の両親のことはともかくとして、おかげでこの世界は孤児が、もっとはっきり言えば捨て子がものすごく多い。発情期のせいで妊娠出産は大抵無計画で、育てきれなくて他所の町に連れて行って置き去りにしてしまうのだ。だからどんな小さな町にも必ず孤児院がある。そして『事故』が起こらないように孤児院は男女で別れている。これ以上育てられない子供が増えても困るしね。


 そこで僕は九年間を過ごした。




「ミレイ」


 十四歳の春の日、孤児院の院長が僕を呼んだ。

「何か?」

「来なさい。大切な話がある」

 皺の深く刻まれた顔に深刻さを加えた院長は僕についてくるよう促した。年少者たちの昼食の準備をしていたところなんだけどな。仕方なく僕は作業を仲間たちに任せて院長室へと向かった。


「座りなさい」

 古い応接の椅子に腰かけた院長は対面に座るよう手で示して、そのままじっと僕を見つめていた。何だよ。

 さっさと話して欲しいな、忙しいんだから。僕は腰かけながら聞いてみた。

「何の用?」

「……実は、君の家族が見つかった」

「──は?」


 一瞬、何を言われたのかわからなかった。


「……知ってるだろ。僕の家族はみんな死んだよ」

「君の母の、いや母上のご実家が君を探し当てられたのだ」

「母の?」

 と言われても母は僕には自分の親のことを何一つ話さなかった。きっともう死んでいるものだと思っていたんだけど。

「何で今さら?」

「年月は開いたがね、君のお婆様は娘を勘当したことを後悔されて、去年から探し始められたそうなのだ。それで今頃になった」

「勘当? まるで貴族みたいなことを言うじゃないか」

「その通り。君の母上のご実家は貴族だった」

「はぁ?」


 あの母が? まあ確かに料理は苦手で父に任せっきりだったけど、そんなことはおくびにも出さなかった。そもそもその恩恵を一切受けることなく孤児院で育った身としてはお貴族様だからなんだ、という思いが強い。

 自分でもふてくされたような態度だったと思う。事実気分が悪かったのだけど。


「今さらそんなことを言われて知らないよ」

「君の気持ちはわからないでもないが、まあ聞け。君のお婆様は若い頃から病気がちでね、一人しか産めなかったそうだ。それが君の母上だ」

「で、そのたった一人の娘を追い出したの? そいつ、頭がおかしいの?」

「君のご両親の間には子供ができたのだが、身分が釣り合わずに認めてもらえなかったそうだ」

「ハッ」


 僕たちにはよくある話だ。発情を自分でコントロールできないからな。妊娠したくなかったらその時期は部屋に閉じこもっているしかない。

 で、よくある話だから誰もそこまでは気にしない。いらないなら子供だけ孤児院にでも捨ててしまえばいい。孤児院は万年金欠だから寄付金でも付ければ何も言わない。金持ちはよくそうしている。

 追い出すことはなかったはずだ。母の親とやらは相当ヒステリックな性格らしい。


「ところがご病気が重くなられてな。後のことを案じてお嬢様を探されたそうなのだ。そして君が見つかった」

「それはおめでとう、だね。それで? 僕が独り立ちするための資金援助でもしてくれるの?」

「うん、当院には過分な寄付金をくださるとのことだ。君には家に帰ってくるようにと仰せだ」

「嫌だよ。今さら貴族になんてなれないね」

「そこを曲げて頼む。うちもこの寄付金がなければ次の冬は越せないかもしれない」

「……」


 孤児があまりにも多いものだからどこの孤児院も万年資金不足の人手不足だ。経営は常に苦しい。寄付金はくれると言うし僕が出て行けば食べる口が一つ減る。院長としては話に乗るしかなかったのだろう。


「……まあ行くだけは行くけど。そのまま出て行ってもいいんだよね?」

「それは先方と話してくれ。ああ、ところでだな。先方は君を女だと思っていてな」

「はぁ? 何でまた」

「何でも君の母上からの手紙にそのように書かれていたそうだ」

「それ、死んだ姉のことじゃないの?」

「かもしれんな。だが、どうも先方は娘を期待しているようでな。話を合わせておいた」

 何を言っているんだ……。僕は院長に反論した。というか咎めた。

「嘘じゃないか。女のフリなんてできないよ」

 でも院長は首を横に振って、付け加えた。

「嘘も方便と言うんだ。お婆様の最期の願いをかなえてあげなさい」




 僕にも少しは町にしがらみがあったんだけどそちらは院長が話を通しておくと言うのでお任せした。慌ただしく孤児院退去の手続きをして、わずかばかりの荷物──ほとんどはわずかばかりの着替えだ──を抱えた僕は院長に握らされたわずかばかりの金で辻馬車を乗り継いで祖母が住むという町へと向かった。

 なるべく元の町から離れて逃げたのだろう。両親の生まれ故郷は遠かった。途中安宿で二泊、ようやくその町に着いた僕は言われていた通りフェリス家の顧問弁護士のオフィスを訪ねた。


 そこで僕はまず身だしなみを整えさせられた。フェリス家とやらを訪問するに当たって失礼のないように。弁護士は僕の姿を上から下まで眺めて口元をキュッと引き結んでいた。継ぎの当たった古着しか持ってないんだからしょうがないだろ。

 僕は真新しい服──女物だったけど──に着替えさせられて、ただ伸びただけだった髪もセットされた。そうしたらお嬢様とまでは言わないけれど女っぽく見えるようにはなった。


 フェリス家に向かう馬車の中で弁護士は祖母について語った。

「奥様はお若い頃に患われた病のせいで、お子様もお一人しかお生まれにならなかったのです。今はその病の末にお亡くなりになろうとしております」


 馬車が止まった。窓から見ると背の高い門が見えた。王家打倒による共和制への移行に伴って制度としての貴族は消滅したけれど、階級としては未だに根強く残っている。根拠もなく敬われる、そのような古い『名門貴族』の一角がこのフェリス家というわけだ。

 馭者と門番がやり取りする声に続いて門が静かに開いて、馬車は敷地へと滑り込んだ。門構えは立派で、庭は手入れが行き届いていた。由緒あるというだけでなくて相当裕福な家のようだ。

 馬車が再び止まる前に弁護士は一言付け加えた。

「近々君がこの家の最後の一人になることでしょう」


 家の中は静かだった。その大きさに見合わないほど人が少ない。孤児院ならここより狭くてもいつもどこからか子供たちの声が聞こえていたというのに。金がないわけではなさそうだけど。

 弁護士の前を行く召使いに導かれて僕はその部屋に入った。


 ベッドの上に病人がいた。全身の皺は加齢のせいではなく痩せ細っているせいだろう。肌は黄色くカサついていた。

 この老婆と呼ぶには少し若い祖母は、その年齢に見合わない病で死に至ろうとしていた。


 病床の祖母は僕を見て息を詰まらせた。そして少し経ってから、震える声で絞り出すように言った。

「ミリアに生き写しだわ……」

 母の名前だ。僕は何も答えなかった。確かに、記憶にある母と僕はカラーリングがそっくりだ。顔つきも似ているかもしれない。


「あの子が出て行ったのが十七年前だから、もう十六になるのね……。名前は?」

「ミレイ」

「娘から手紙をもらったの」


 そう言ってその祖母という女は手紙を見せた。差出人は母の名前だ。受け取って中を確かめるとそこには簡潔に『娘が産まれました』とだけ書いてあった。その娘の名前も住んでいる町の名前もなく。

 心当たりはあった。晩年の母が実家に向けて手紙を書いていた様子は思い出せない。その頃の母はもう実家に認めてもらうことを諦めていたのだろう。つまりその手紙に出てくる『娘』というのは僕ではなく、やはり姉のことだ。確かに生きていれば十六歳だった。


 老婆の瞳からポロポロと涙が落ちて、布団の上に染みが生まれた。

「こんなに痩せて……。苦労したのね」

 おかげさまで、と皮肉を返そうとして、踏みとどまった。老婆は涙を拭った。

「ごめんなさいね、病のせいで気が弱くなって」


 ……だんだん腹が立ってきた。こいつは一体誰に向かって謝ってるんだ? この女が癇癪を起して母を追い出さなければ、僕の家族は死ななくても済んだんじゃないか?

 その謝罪は僕に向けたものでも母に向けたものでもなく、自分の罪を許すためのものだ。

 自分勝手なことばかり言うババアだ──今さら僕を探し出したのも体が弱ったついでに心も弱って昔のことを悩むようになったんだろう。ピンピンしてたら僕のことなんて一生放っておいたに違いない。


 本当に腹が立ってきた。だから、口に出してはこう言った。

「お気になさらず。こうして今日出会えたのですから。これまでの経験はこれからの糧です」

「ありがとう……」

 ババアはまた涙を拭った。


 今はせいぜい調子を合わせておいてやる。

 母と、父と、それから姉の無念を弔うためにも、せめてこいつの財産くらいはもらってやろう。


 病人はベッドに倒れ込むように横たわった。精魂尽き果てたようだ。

「ごめんなさい、私がこんな体じゃなかったらあなたを教育し直してあげられるのだけれど」

 ババアは息を整えながら休み休みそう言った。

 何が教育だバカバカしい。お前に教わるようなことなんて何もない。


「私にできるのは人を頼ることと、お金を出すことくらいだわ。娘が通っていた学院に編入の手続きをしておきました。そこに入りなさい」


 ──というのがババアと交わした最後の会話だった。僕は慌てた医者に病室から追い出されてしまった。

 それからババアと会う機会は二度となく、僕はまたも町を離れて手配されていた学校に向かった。今度は母の実家のものという立派な馬車に揺られて。母の故郷に滞在していた時間は正味一日もなかった。


 途中一泊の旅程で僕は寄宿舎のついた女子校に到着していた。

 何故女子校かっていうと、この世界では思春期になると男女で学校が別れるからだ。孤児院と同じ事情だ──共学だったら毎月誰かの妊娠祭りだ。

 女のフリをしていたら女学校に行くしかない。しまったな、そういうことならちゃんと弟の方だと言えば良かった。まあ、あの時はあのババアとあれ以上口を聞きたくなかったのだから仕方がない。


 それにしても、誰も僕を男だと疑いもしなかったな。祖母にしても弁護士にしても、この学校の教師たちにしても。自分でもちょっと気にしているほどの女顔ではあるんだけど。なんだかな……。

 もちろん祖母はあの体では無理だし、顧問弁護士とやらも僕の町までは来なかったんだろう。来ていたらあの孤児院が男用で僕が男だってわかったはずだ。しょせんその程度の熱意だったのだろう。まあ、ババアが死ぬまでの我慢だ。あの様子ならどうせ長いことないだろうし。せいぜい状況を利用させてもらおう。


 手続きを済ませて、寮に部屋をもらって、翌日から早速授業を受けることになった。

 襟の丸い白シャツに臙脂色の細いタイ、ノースリーブのワンピーススカートを重ねて同じ色のジャケットを羽織る。制服に袖を通した鏡の中の僕はすっかり女のようだった。

 僕は捻じ込まれたクラスの朝のホームルームで、好奇心に光る女子たちの瞳に晒されながら自己紹介した。


「初めまして、僕はミレイ。フェリス家の方から来た──」

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