交渉
「絶対に嫌!!!!!」
クソガキよろしく駄々をこねる息子を、陛下は困ったように見つめていた。うーんと腕を組んで悩む姿は、王というより親の顔だ。
「でもねぇ、雪絵さんだって元は花霞の人でしょ?部外者のわしらがどうこう言うのもいかがなものかと思うんだよねぇ」
「部外者じゃない!!!俺の!!!お嫁さんにするんです!!!」
「いや、まずは本人の意思を確認しなさいよ」
レミリアのごもっともな指摘により、その場の視線が雪絵に集まる。
「私は……」
しばし黙り込む。
客観的にいうなれば、雪絵はアルカイダに残るべきであろう。花霞での雪絵は罪人の身、戻っても処刑される未来しかない。
「戻りたい……」
シルヴィアがグッと息を吞む。
「だ、ダメです!」
紺碧の瞳が、縋るように雪絵を見ていた。
「……なぜあなたが、他人の生き死にに執着するのか、理解ができない」
「だからって、あなたが死にに行くのを黙って見てろってんですか!?」
あまりに必死の形相で睨んでくるものだから、いたたまれなくなって目を逸らしてしまった。
ふわりと空気が動く気配がして、両手がギュッ、と握られる。シルヴィアが泣きそうな顔をして、雪絵を繋ぎ止めようとしている。その頬には、さっき雪絵がつけてしまった傷があった。
重い沈黙が場を満たしていく。そこに水をさしたのは、以外にも皇帝陛下だった。
「わしとしてもね、雪絵さん。君の処刑には反対。君の存在はね、この世界では大きな抑止力になる。それを我がアルカイダ帝国が手に入れられるなら、こっちとしても願ったり叶ったりじゃ」
「……それは、私を兵器として迎え入れたいと?」
一気に部屋の空気が凍えた。
「ッ、隊長!」
「黙って」
腐っても皇帝は皇帝。だらしなく緩んだ表情の奥には、冷酷非情の君主の顔がある。
国とは、人格と切り離された独立的な組織。
その目的はただひとつ、国力の担保だ。陛下は雪絵を戦力として迎え、他国への牽制をしたいのだろう。実に合理的で、効率的な思考だ。雪絵が逆の立場でも、きっとそうする。
「……そうとも解釈できるな」
否定もせず、肯定もしない曖昧な言い方。いかにも卑しい権力者のやり口だ。
「……もし、あなたが花霞に害を為そうとするなら」
術式を起動。
首輪とともに結晶体が展開される。
「消えてもらう」
瞬間。
レミリアは白杖を構え、即時術式を使えるように。ステラは手持ちのナイフを取り出して臨戦態勢に移行した。シルヴィアだけが、雪絵を止めようと調律術式を発動……しかけた。
今この瞬間、この場にいる全員が――少なくともシルヴィア以外は――雪絵を敵と見なした。
無駄な動きが一切ない、洗練された動作。敵ながらあっぱれである。
「……隊長、冗談はやめてください」
震える手が、雪絵の両手を握っていた。馬鹿みたいにぬるい体温の、他人の手の感触。
しばらく迷ってから、術式を引っ込める。すると緊張が解けたように、レミリアたちも各々の武器を収めた。目の前で修羅場が起きかけたと言うのに、皇帝陛下だけが平然とにこにこしている。無駄に神経が図太いようだ。
「ま、君が花霞にご執心なのはよーく分かった。だから、ここはお互い妥協しよう」
陛下は人差し指をぴんと立てた。
「ひとつ。君がシルヴィアの妃になることは断言しない。あくまでも、候補のひとつと公表する」
シルヴィアがぐっと息を堪えた。口答えされる前にと、矢継ぎ早に言葉を紡ぐ。
「ふたつ。君にはここで、鬼狩り部隊の一員として働いてもらう。期間は……わしが先方と話し合って決めよう。その間、国内外への移動は制限しない。もっとも、部隊の規律には従ってもらうがね」
今度はレミリアが驚きに固まった。ぱちくりと瞬きをする姿は、さながら普通の少女のように可憐だ。
「そしてこれがいちばん重要。3つ目、自身を含む他者への暴力行為の禁止。ただし、鬼狩りの任務中や訓練中は除く。……殺しなんてもってのほかだよ」
皇族含むアルカイダ国民への攻撃の禁止。……及び自殺の禁止。突きつけられた条件に、雪絵は内心唇を噛む。
不平等だ。
一見雪絵に譲歩しているように見せて、その実内容は圧倒的に向こうが有利。
妃候補に格下げされたところで、公表されては花霞に戻る手立ても制限される。他の条件もそうだ。表向きでは雪絵の自由を尊重しながらも、他の規定を用いて雪絵を縛る。
アルカイダで雪絵が鬼狩りとなれば、それだけで「花霞の鬼神はアルカイダへ下った」といういい宣伝になるだろう。たった1つの条件だけで、向こうの要求はおおよそ通されてしまうのだ。しかし、雪絵の要求は通らない。
理不尽にも程がある。
そう口を開こうとした時、予期していたように陛下は言った。
「さっき君が言った言葉……花霞に害を為すなら消す、だっけ?それってさ、わしにも同じこと言えると思わない?」
にっこり。人の良さげな笑みで突きつけられた言葉は、もはや脅しと同義だ。
――アルカイダに害をなすなら、雪絵ごと消す。もしくは、雪絵が執心する花霞を消す。
絶対的覇権国であるアルカイダ帝国であれば、可能な話だ。
手汗が滲む。
シルヴィアに手を握られていなければ、爪を食い込ませ出血していただろう。
「……分かりました。それで構いません」
言わざるをえない状況に、雪絵は己の無力に打ちのめされる。
腕っ節では負ける気がしない。ただ、言葉での戦いとなると途端に弱くなる。こちらの要求ひとつ押し通せず、何が交渉か。これでは皇帝陛下にいいように言いくるめられただけだ。全くもって情けない。
花霞で交渉ごとを丸投げしてきたツケがきたようで。漏れ出そうになるため息を飲み込んで、背筋だけは伸ばす。
ここで態度に出してしまえば、それこそ完敗だ。
「おっけ〜!じゃあ、今日からユッキーはシルヴィアのお嫁さん候補兼レミーたんの部下ね!あ、細かいことはステラちゃんか華ちゃんに聞いて!わしそういう細々したこと嫌いじゃから!」
んじゃ!わしはこれで~!
ダブルピースを決めながら退場していく皇帝陛下。コンマ一秒おくれて、「待ちやがれ!!!」とレミリアが猛然と追いかけていった。
言いくるめられたと思ったら、そのまま勝ち逃げされた。陛下の行いは突拍子もないように見えて、実は理にかなっている……のかもしれない。
少なくとも、一国の主に相応しい器の持ち主であることは分かった。雪絵が正面にきって挑むには、まだまだ修行が必要であろうことも。その情報を得られただけでも、今回は良しとするしかない。
(……)
雪絵は手を握られたままのシルヴィアを見つめる。先ほどからえらく考え込んでいるようで、ピクリとも動きやしないのだ。その紺碧の中は、深い憂いと思慮に満ちていて、おおよそ雪絵にも覗けるものではない。
此度の結果、シルヴィアとしてはだいたい納得のいく話となっただろう。ただ、唯一欠点をあげるなら、雪絵はシルヴィアの正式な妃として認められたわけではない。あくまでも、「妃候補」としてアルカイダにとどまることになる。花霞から啖呵を切って雪絵をさらってきたのだ、不服に思うのも自然だろう。
思案に耽っていたシルヴィアが、真っ直ぐに雪絵を見つめ返す。相も変わらずその瞳は輝きを帯びて美しい青さを放っていた。その色が眩しすぎて、雪絵には少し辛い。
「隊長、あの」
真剣な眼差しで雪絵の顔を覗き込む。手は握られたままだし逃げようがないが、面倒くさいのでそのまま好きにさせる。
ゆっくりと顔が近づいてくる。あわや額同士が触れそうになったとき、ようやく口を開いた。
「俺もユッキーって呼んで、」
バチン!重力に流されるまま、シルヴィアは放物線を描き飛んでいき――床に落下。白目を剥いて気絶した。
その日、雪絵は術式よりも先に、手が出るという事実を体感した。人間がとりうる暴力行為の中で、最も簡単かつ単純かつ、物語内でも頻繫に用いられる行為。
即ち、ビンタであった。
(……これ、アウトかな)
条件3つ目。アルカイダ国民にへの暴力行為の禁止。雪絵の行為は立派な契約違反となりうる。
シルヴィアは白目を剝いて倒れていることが何よりの証拠。
「大丈夫、セーフよ」
ステラがにこやかに言った。皇族かつ淑女が言うのだから、これはセーフに違いない。と、雪絵は納得した。




