鬼神たる所以
「お疲れ様でした、隊長」
放心状態のレミリアを他所に、シルヴィアは真っ先に雪絵に駆け寄った。爆風で乱れた髪を整えようとして、思い切り手を弾かれている。シルヴィアは慣れきったようにヘラヘラ笑ってる。その様子を横目で見て、ようやくレミリアは悟った。
(ウチ、負けたんか)
頬がピリピリと痛んでいた。実を言うと、負けたことよりも生きていることの方がよっぽど不思議だった。
白銀の陣が展開された、あの瞬間。紅の双眸がレミリアを見据えた時、確実に訪れる死を悟った。黒髪の紅い死神が鎌を構え、レミリアの首を刈り取る姿が、はっきりと見えたのだ。
だって、あの時。確かに死神は、あの鬼神は――
(一瞬だけ……笑ってた)
愉悦に歪む唇。瞳の奥に潜む悪魔のような暗闇を見た時、レミリアは己の死を確信してしまった。まるで、死そのものがレミリアを迎えに来たようだったから。
「どうかした?姉さん」
ハッ、と我に返る。シルヴィアが不思議そうにレミリアの顔を覗き込んでいた。その目は愉しそうに歪んでいる。
(こいつ……知っててウチと戦らせたな)
しばらく見ないうちに性根のねじ曲がってしまった弟様は、楽しそうにウザ絡みしに行っては返り討ちにあっている。これがあの2人の日常であることが、傍目にも容易にわかった。
シルヴィアは知っていた。
花霞の鬼神は、鬼神なんて生易しいものではない。言うなれば、あれは、人の理を超えたバケモノだ。バケモノが人の皮を被って、かろうじて人間の体を保ってるだけ。僅かなきっかけさえあれば、雪絵は本能を剥き出しにして、世界を蹂躙する獣になるとなるであろう。
今の1戦で、レミリアは確信した。
(霜月雪絵は……危険すぎる)
雪絵は飄々とした態度のまま、どこか虚ろな目で遠くを見ている。その姿は亡霊のようでありながら、獣が人に擬態しようと足掻いている様にも見える。獣はどこまで行っても、完全な人間になることはできない。
そういう運命のもとに、この世界はできているから。
「で、実際戦ってみてどうでした?隊長強いでしょ〜!」
頬擦りしようとし、防護障壁に正面から激突。鼻血が出ても、シルヴィアは楽しそうに笑ってる。雪絵の正体を知ってなお、彼の想いも態度も変わらない。当たり前のように隣に居座り、馬鹿みたいに笑ってる。
「……強いわね」
「でしょでしょ〜!やりましたね隊長!これで晴れて俺のお嫁さんに、」
「ならない」
これまた杖なしに放たれた圧縮術式がシルヴィアの背後から飛んでくる。あらかじめ予想していたのだろう、防護障壁を展開して難なく防いだ。上司が上司なら、部下は部下というわけか。
毒気を抜かれて、レミリアはため息をつく。
「実力は分かったわ。……あなたに相応しい相手ってことも」
シルヴィアが破顔し、雪絵に抱き着いた。面倒くさくなったのか、じゃれつきを甘んじて受け入れている。
「でもこれだけは聞かせて。雪絵さん、あなたどうやって術式を使っているの?」
雪絵との手合わせの最中、レミリアは彼女の手の内を模索していた。
杖なしの術式行使は、時間がかかるだけで不可能、というわけではない。実際レミリアも杖なしで使うことは稀にだがある。だが雪絵の場合、術式の構築スピードが杖なしとは思えない速さだった。加えて質も落としていないとなれば、それはもはや神の芸当に等しい。
なにより、戦闘中に現れた黒い首輪。レミリアの見立てでは、あれは杖ではなかった。しかし、周囲を回転する刃を破壊した瞬間、攻撃術式の陣が展開した。となれば、あれはレミリアにとって未知の技術で作られた杖でない「何か」である。
本来ならば、術者に対するノウハウの詮索はご法度。アルカイダでも重大なマナー違反とされている。しかしこればっかりは、レミリアも気になるのだ。何人も、好奇心には逆らえないもので。
雪絵はしばらく虚空を見つめた後、黒い首輪を出現させた。レミリアがじっと見つめる中、周囲の刃物をくるくる回転させている。
「……あなたの言う通り、これは杖じゃない」
「それじゃあなに?さっきそれを壊した瞬間術が発動したわよね?その周りにある結晶が術式発動の媒体になってるの?でも、いつ座標と威力の設定したの?最後、明らかに殺さないよう威力弱めてたわよね?」
「まあまあ姉さん。落ち着いて、詳しいことは俺から説明するから」
なんでお前がすんねん。というツッコミを華麗に無視して、シルヴィアは尋ねてきた。
「姉さん、今の符力ってどのくらいあるか分かる?」
「符力?うーん、この間測ったときはあと少しで天……だったような」
符力。
術式を発動させるのに不可欠な力の源、とされている。術者の体内に蓄積されているエネルギーであり、これがなければ術式を行使することはでにない。
しかしながら、符力に関する細かな単位は設定されていない。
というのも、符力とは人間の目には見えない不可視の力。細かな単位を設定しようとしても、観測ができないのであれば設定しようがないのだ。仕方がないので、ぼんやりと感じ取れる符力の総量を「天・地・空」の3つに分けている。
天は最高峰の符力を誇り、地は平均。空はそれ以下と言ったところ。
天はアルカイダ国内でも数人しかいない、天賦の才を持つ者。レミリアはそこまでではないにせよ、恵まれた符力を持っていた。
「隊長の符力ね、計測できないんですよ」
計測できないとは、これ如何に。レミリアは目を丸くする。
「え?符力がないとかじゃなくて?」
「逆です逆。多すぎて突き抜けちゃうんですよ。だから、考え得る符力の最大値ってことで、頭打ちになってるんです」
まじか。
驚きのあまり雪絵を凝視していると、居心地が悪そうに目を逸らされた。
確かに符力量は相当のものだと思っていたけど、まさかそこまでとは。杖なしのインパクトが大きすぎて、すっかり忘れていた。
天をも凌ぐ符力量など、アルカイダでも聞いたことがない。もしそんなものが存在するなら、今の術者の価値基準が一転してしまう。
「で、ここからが本題なんですけど」
前振りが壮大すぎて、話が入ってこない。
「隊長の符力って本っっ当に底なしで。普通に生活してるだけでも、符力が溢れてしょっちゅう暴走しするんです。それを抑えるための装置……っていうか、術式がコレ」
指さされたのは黒い首輪。雪絵は知らん顔で空虚を一心に見つめている。
「隊長の肉体に直接刻まれた、隊長の符力を自動で溜めて、一定の術式に変換するしてくれるやつです。例えば、防護障壁とか」
シルヴィアがどこからか取り出した黒杖を一振り。攻撃術式が発動し、雪絵を狙い撃つ。
雪絵が何をするでもなく、あたかも当然のように防護障壁が展開され、攻撃は防がれた。
「飛行術式とか自己回復術式とか……まあ色々です。溢れ出る符力の有効活用ってことですね」
「……………今の話を聞くと、常にに複数の術式を同時展開してるように聞こえるんだけど」
「その通りです」
レミリアは絶句した。
理不尽だ。
バケモノどうこうの話じゃない。術式の同時展開は、高位の術者が何十年も鍛練を積んでできるようになる芸当だ。それも2つ以上の高等術式を平気で使ってくるだと。
符力もさながら、技術力も群を抜いている。そんなもの、既に神の領域に踏み込んでいるではないか。
背筋がゾクッ、と震えあがる心地がした。
「じゃあ、最後の攻撃は何?首輪の周りにあるそれは何なの?」
「あれは隊長の趣味でつくった術式です」
……趣味だと。
ウチに死を覚悟させたあの技が、趣味だと。
信じられない気持ちで雪絵を凝視すると、これまたバツが悪そうに目を逸らされた。いやほんとなんかい。
「常時術式を回していても符力が余る場合、何かしらで消費しないといけないので、試作品ってことで作ってるらしいです。これが広範囲防御結界、これが氷凍術式、これが溶解液ぶっかけるやつ」
くるくる回ってる結晶を1つ1つ指さして教えられる。が、全く頭に入ってこない。
「さっき姉さんに撃ったやつは速度重視の圧縮術式ですね。反応できなかったのも無理はないですよ」
ねー隊長、と語尾にハートが見える甘ったるい声で擦り寄るシルヴィア。雪絵は相も変わらずどこか遠い目をしてる。
いい加減このやり取りも見慣れたが、レミリアは圧倒的な実力差に眩暈を覚えた。花霞の鬼神は、レミリアの矮小な価値観では測れぬバケモノだ。そのバケモノを救い出し、アルカイダに引き摺ってこようとは――我が弟ながら、将来が恐ろしい。
「最後にひとつ、聞いていい?」
「……どうぞ」
シルヴィアは見事な顔面ストレートを決めた雪絵が、真っ直ぐにレミリアを見つめる。
「その首輪、術式でできているのよね。それを作ったのもあなた?」
雪絵が視線を逸らした。
紅の双眸が波紋のように静かに揺れる。初めて見せた鬼神の揺らぎは、思っていたより弱弱しい。しばしの思考の後、静かに告げた。
「……私の、師匠が」
「そう。教えてくれてありがとう」
レミリアはにこりと微笑みかける。
「さ、手合わせも終わったし……とりあえず、ご飯にしましょうか。ステラとお父様にも、挨拶しないとね」
くるりと踵を返し、灰色の扉に触れた。退室を促すと、ペタペタと素足を鳴らして、雪絵はついてくる。歩く仕草に生気はない。戦闘中とのギャップに、霜月雪絵という少女の奥底が分からなくなった。
そもそもなぜ、大人しく処刑を受けいれたのか。
(霜月雪絵……得体がしれないわ)
厳しい眼差しを向けるレミリアを、シルヴィアは黙って見つめていた。




