アルカイダ姉弟の愉快な1日
――花霞には、鬼がいる。
黒き鬼のことではない。奴らを狩る、もうひとりの鬼がいる。
奴の立った戦場には、何も残らない。破壊された大地の鬼の死骸が一面に転がり、鼻を劈く死臭を放つ。黒い髪を靡かせ、一太刀をもって鬼を切り伏せる姿は、まさに鬼神そのもの。
人々は圧倒的なその強さに恐れをなし、彼女を鬼と呼んだ。
「鬼?またまた、大袈裟なことを言う奴もいるのね」
「違いますよ姉さん。私たちよりよっぽど鬼に近い……そんなお方がいるんです」
アルカイダ帝国が首都、カルディス。その中でも中央に建てられた巨大な城。それが、レミリア・ヴィク・アルカイダの住まう生家であった。
皇帝陛下の息女として生を受けたレミリアは、城内に設えられた温室にて弟と茶会をしていた。成人して間もなく、会いたい人がいるとかで国外に飛び出した愚弟は、先日ひょこっと実家に帰ってきたのである。なんでも、助けたい人がいる、とか。「会いたい人やら助けたい人やら、お前は人に飢えているのか」と問えば、「同じ方ですよ」と美しい笑みで返された。ついでに、「姉さんも気にいると思います」とも。
レミリアは陶器で作られたカップを戻す。弟は何が楽しいのか、ずっとにこにこと笑っていた。こんな胡散臭い笑みを浮かべる弟など、レミリアは知らなかった。男の成長というのは、つくづく恐ろしい。
「で?そのお方が件の会いたい人で助けたい人?」
「そうです。まさしく鬼のように強いお方で、俺ですら一度も勝てたことがないんですよ」
「は!?お前が?」
「ええ」
優雅に紅茶を飲む弟に、レミリアは驚きを隠せなかった。
「お前が勝てない相手って、相当なやり手ね……」
いくら愚弟が愚弟といえど、腐ってもアルカイダ帝国の正統な後継者。未来の皇帝が手も足もでない相手となると、それ相応の実力者、ということになる。
レミリアは皇帝の息女でありながら、鬼狩り部隊の隊長も務める豪傑であった。
もちろん、ただのひ弱な女が務まるような簡単な仕事ではない。年に数万単位の犠牲者がでる危険な任務だ。それでも、レミリアはこの仕事を気に入っていた。
国民を自分の手で守れるという誇りもある。だがそれ以上に、それ以上に――
「ぜひぜひ、お手合わせ願いたいわ」
レミリアは三度の飯より戦闘を好む、根っからの脳筋であった。
※
雪絵は案内された応接間をぐるりと見回し、その様相に眩暈を覚える。
(洋式だとは思ってたけど、すごく……派手ね)
豪華、といえば聞こえはいいだろうが。白い大理石でつくられた床に、同じく白で統一された室内。柱には何やら細かな黄金の装飾が施され、壁には宗教画だろうか、壮大な油絵が額縁に飾られていた。
女給仕に勧められた座ったソファーもフカフカと柔らかく、体が沈み込む心地がする。流れるように差し出されたカップの中には、黄金の液体が揺れていた。この国では紅茶がスタンダードらしい。カップの値段を考えると恐ろしいので、口はつけていない。
対して雪絵は、先程まで処刑されかかっていたので、ボロボロの白装束ひとつ纏っているだけ。
あまりに場違いな空間に、雪絵は逃げ出してしまおうかと冗談半分に考えた。だが残念なことに、壁際に女給仕が控えている。流石に彼女を殴り飛ばしてでていくわけにもいくまい。
レミリア着いてそうそう「やらなきゃいけないことがあるから」と給仕にあれこれ言いつけてから、シルヴィアを引き摺っていった。見知った顔がいない空間は酷く居心地が悪く、場違いさも相まって頭が痛くなってきた。せめてシルヴィアだけでもいてくれれば。いや、あいつはいたらいたで気まずいか。
再び柔らかすぎるソファーに沈み込む。チクタク、チクタク。時計の針の音だけが無感動に響いていた。あまりにも居心地が悪い。
壁際に控える女給仕をちらりと盗み見る。
(花霞にはない衣装……メイド服、といったかしら)
白いひらひらとしたエプロンに、黒のロングスカート。髪留めにも白のレースがふんだんに使われている。
花霞でも一部のコアな人々が痛く気に入り、そういった方面によく利用していると聞いていた。雪絵が実際に実物を目にしたのは初めてである。動きにくそうだな、というのが正直な感想だ。
雪絵に見られていることに気づいてないのだろうか。女給仕はピクリとも動かず、姿勢よく佇んでいる。
「お主……この混沌の中、なお平然を保つか」
喋った。
「……いや、それほど」
置物ではなく、ちゃんとした人間だったようで。
やはりアルカイダには雪絵の知らぬものが沢山ある。女給ひとつとっても、雪絵にとっては未知そのものだった。
「ふむ、その割には呼吸の乱れがない。主、先程から影に紛れ我を見ていたな。無意識の水面下、敵を視察する兵士の目よ」
「……なるほど」
この女給仕、格好の割に気配には敏いようだった。
「主に教えてやる。このアルカイダ帝国における鉄則の掟――紅血の掟だ。心して聞け」
コホン、芝居がかった咳払いをして、女給仕は口を開く。
「我らがアルカイダ帝国においては――力こそ全ての源なり。力なき者は戦場に散り、力ある者は英雄となる」
「単純ね」
「然り。故に弱者は抗い難い運命を課す。だが嘆くことなかれ。修練を積み重ね鬼を屠れば、弱者もまた鬼を斬る狩人になろう」
小難しい言葉を使ってはいるが、言っていることは簡単だ。
シルヴィアの――アルカイダ帝国の皇太子に嫁ぐのならば、お前にもそれ相応の実力がいる。簡潔に略せばそういうことだろう。
女給仕は一度瞬きをして、真っ直ぐに雪絵を見つめた。燃えるような紅の瞳に射抜かれるも、動揺を悟られれば弱さをみせることと同義。雪絵は正面から見つめ返す。
「これからお主には試練が訪れる……この苦難、吉と出るか凶と出るか……。我は静かに見物させてもらおうぞ」
女がニヤリと人の悪い笑みを浮かべた。と、同時に、廊下からバタバタと足音が響き渡る。
バンッ!勢い良く扉が開け放たれ、風圧が雪絵の髪を揺らした。なぜか顔面をボコボコに腫らしたシルヴィアが、肩で息をしながら壁に手をついている。大方あの姉に折檻を受けたのだろうが、それにしても容赦がない。
尋常じゃない量の冷や汗を流しながら、シルヴィア切羽詰まった様子で叫んだ。
「隊長逃げてくださグエッ」
後頭部をヒールで蹴り飛ばされ、ご尊顔が大理石に沈んだ。傷一つない床の上にクレーターが作られた。ついでに鮮やかな血だまりも。
「霜月雪絵さん」
弟の後頭部を踏み抜き、悠々と登場したのは切り揃えられた銀髪に軍服の美女――シルヴィアの姉、レミリア・ヴィク・アルカイダその人だった。
「ウチと一戦、手合わせ願えるかしら」
シルヴィアとはまた違う青の瞳が、獲物を見据えるように細められた。




