宣戦布告
レオニスク・アルヴェリオンは怪しげな見た目に反して繊細な男である。
屍喰らいの件、完全なお荷物でしかなかったことに加え、痛いほど感じた自分の実力不足。比較対象が花霞の鬼神や、アルカイダの脳筋隊長であることはさておき、レオはかなり傷心していた。
あの時自分は、何の対策もできず、突っ立っていることしかできなかった。おまけに人質に取られるという醜態まで晒したのである。隊長直々にシメられるくらいには、レオのミスは大きい。なんと言おうが、この国では弱さは罪なのである。
しかし、このままうじうじと悩んでいようが、状況は変わらない。人生の分岐点とは、迅速な判断にある。と、レオの祖母は言っていた。
今レオにできることは、日頃の鍛錬を続けることと、変化を求めることにある。前者は可能として、後者はどうするか。
強さに近道はない。だが、最も強くなるための最適解はある。そして、それは得てして選びたくない選択肢のひとつ。
要するに、苦行というやつなのである。
――だが、やるしかない。
そう思って隊長室のドアを叩いた。が、目の下にべったりと隈をつけた隊長殿から思わぬ辞令がくだされたのである。
それすなわち。最強にして最凶の術師、霜月雪絵の護衛であった。
――などと、レオの脳裏に走馬灯のごとく記憶が流れていく。元は強くなるために起こした行動が、まさかこんなことになるとは思いもしなかった。
「なんだ、お主。顔色が悪いぞ」
隣に座るメイド殿はなぜかケロッとしている。この状況で足をプラプラさせているのだから、レオとしては戦慄するばかりだ。
「いやいや、そりゃ悪くもなるわ……」
今、レオと華の目の前にある扉。
その向こうには、かの花霞の鬼神と、この国きっての極悪令嬢がいらっしゃるのである。
※
「私はウバ。あなたは?」
唐突に問いかけられ、雪絵は何のことやらと目を白黒させた。ウバ?乳母のことか。かの大貴族、セレフィーナ嬢は乳母だったのか?
雪絵が困惑していると、これ見よがしに「あらごめんなさい。あなたには早かったわね」と嘲笑された。
「アールグレイでも持ってきなさい。いいわね?」
「はっ」
後ろに控えていた執事に指示を出す。執事が一旦退室し、2人だけが取り残された。
奇妙な沈黙が満ちる。
肝心のセレフィーナといえば、足を組んで窓の外を眺めていた。整った横顔を伺い見る。赤い瞳に淡い桜色の唇が白い肌に良く映えており、傍目から見ても美しいご令嬢だ。
雪絵が連れてこられたのは、大通りの裏手にある小さなカフェだった。
こじんまりした部屋の中、年季の入った木製の椅子に腰掛けると、セレフィーナは雪絵の正面に腰かけた。
てっきり闇討ちかと危惧していたので、正直拍子抜けした。だが本人は至って真剣な顔をしていたので、何か思うところがあるのだろう。
しかし、相手は雪絵のライバルにあたるご令嬢。加えて相手はこちらに敵意むき出しである。警戒しすぎて損はないはず。
しばらくすると、飲み物と軽食が届いた。執事がテキパキと配膳をこなし、一礼してから部屋を出ていく。さすが大貴族の執事というだけあって、鮮やかな手腕だった。
「……」
沈黙が続く。口数の少ない雪絵でも、いささか重苦しい空気に耐え切れなくなってきた。何か切り出そうかと思案するものの、肝心の内容が思いつかない。
窓から差し込む陽光が、2人の間に光のカーテンをかける。無意味に口をパクパクさせていると、唐突にセレフィーナが口を開いた。
「……失望しましたわ」
開口一番に切れ味の鋭い言葉を投げつけられ、雪絵はあっけにとられ押し黙った。
雪絵の反応を見てか、セレフィーナはさらに深いため息をつく。
「新しい婚約者候補が立ったというからわざわざ様子見にきましたのに、こんなに貧相な方だとは思いもしませんでしたの」
カップに口をつけ、静かに戻す。最低限の所作と音だけを残し、再び静寂が部屋を包む。
「――花霞の鬼神。口ほどにもありませんわ」
ドクン。一際大きく心臓が跳ねた。
「知っていたの?」
驚きのあまり凝視する。セレフィーナは鼻を鳴らして答えた。
「我がローゼンベルク家はアルカイダ西部の砦。隣国の視察くらいしますわ」
「……そう」
カップを両手で握りしめ、紅茶の水面に映る自分を眺める。
花霞の鬼神。かつて、雪絵を雪絵たらしめていたもの。畏怖の対象として授けられた称号。
「滑稽ですわね」
ピク、肩が震える。セレフィーナの侮蔑を含む声色が、嫌に耳に突き刺さる。
「敵国最大の兵器が、まさか我が国で恋愛ごっこに勤しんでいるとは思いもしませんでしたの」
敵国。
兵器。
聞き慣れたはずの言葉に、なぜか胸がズキンと痛む。
雪絵自身、自分がそうであると自覚していたはずなのに。むしろ、兵器である自分を誇りに思っていた。
私は、花霞を守る盾であると。そう信じてやまなかったのだから。
「あなたがシルヴィア様とどのような関係であろうと知ったことではありませんわ。どう足掻ことも、あなたが花霞の鬼神である事実は変わらない」
言葉は研ぎ澄まされたナイフの鋭さを持って、雪絵の心を引き裂こうとする。事実をもって雪絵を殺す。
セレフィーナが言ったことに間違いはない。いくら婚約者候補とはいえ、雪絵の籍は花霞にある。そして、鬼である事実も変わることはない。
「これが最終通告よ。……雪絵さん」
光のカーテン越しに、赤色の眼差しが雪絵を射抜く。
「これ以上傷つきたくないなのなら、この国から手を引きなさい」
手を引く。
それはつまり、シルヴィアの婚約者候補から降りろという意味。あるいは、この国そのものから出ていけとも解釈できる。
拳をギュッと握りしめる。
(私は……)
アルカイダで過ごした日々が頭の中を巡る。
あの日、シルヴィアが助けてくれたから、今雪絵はここにいる。多くの人と触れ合い、穏やかな日々と新しい世界を知った。些細な日常が尊いものだと、シルヴィアと出会った人達が教えてくれた。
順風満帆、とはいかず。互いの気持ちを踏みにじったまま、すれ違いを続けていたりもした。
それでも。
雪絵を見るシルヴィアの目は、とても優しかったのだ。
「できない」
きっぱりと言い切る。不思議と、喉からするりと言葉が出た。シルヴィアへの思いは嘘偽りの無いものだと、口にして初めて気づいた。その事が少しだけ嬉しく、誇らしい。
セレフィーナの片眉がピクリと動く。
「わたくしに楯突くと?」
「……結果だけ言えば、そうなる」
桜色の唇が引きしめられ、わなわなと震える。ギリッと奥歯を噛み締める音が、雪絵にまで聞こえた。
彼女の怒りが波となって伝わってくるようだ。
「何様のつもりですの!?」
激情が迸る。華奢な腕が机上のティーセットを薙ぎ払った。ガシャン!と音を響かせ、陶器の破片が飛び散る。
雪絵は真っ直ぐにセレフィーナを見つめた。荒い息を立て、声を震わせる。
「わたくし……わたくしが、今までどれだけシルヴィア様に尽くしてきたとお思い?それをどこの馬の骨とも知らぬお前が……。こんなこと、あっていいはずがありませんわ!」
赤い瞳から、憎悪がありありと滲む。
「ここで私が降りても、皇帝はそれを許さない。……私の力は、この国にとって存在価値があるから」
雪絵は類い稀なる戦力であり、兵器だ。それを重宝するのは、国にとって最も理性的な選択。つまるところ、揺るがない事実である。
「だから何?一介の貴族風情が口を出すなと?」
白い肌が朱色を帯びていく。拳を握り締め、手のひらに爪がくい込んでいた。鮮血が手のひらからこぼれ落ちる。
「違う。私は……」
滴り落ちる鮮血を眺めると、酷く悲しくなる。彼女の心が、血を流し泣いているように見えてしまった。
雪絵さえいなければ、セレフィーナの地位は安泰だったはずだ。順当にシルヴィアの妃となり、子を産み、幸せに暮らす。
その未来を壊したのは雪絵であり――シルヴィアでもある。
「私は、シルヴィアの隣に胸を張って立ちたい。……彼が選んでくれた私を、無下にはしたくないの」
空虚が、部屋の中を包んだ。
「……そう」
プツン。
セレフィーナの体から力が抜け、椅子に倒れ込む。糸が切れた人形のように脱力し、動かなくなった。反射的に介抱しようとするも、手をはたかれる。
「あなたは、とても真っ直ぐね」
裏表のない、静かな声だった。
「わたくし、そういう人間が大っ嫌いですわ」
セレフィーナ花霞立ち上がり、ドレスの裾を引きずるように扉の前に立つ。
真っ赤なドレスに、優雅な立ち姿がよく映える。野に咲く一輪の花の如く、気丈な美しさを纏う。
あまりにも細く、小さな背中。
一度俯いて、何かを振り切るように顔を上げた。くるりと振り返って、雪絵を指差した。
「1ヶ月の舞踏会……覚悟しなさい!」
最後にありったけの力で雪絵を睨みつけ、セレフィーナはくるりと踵を返す。扉が開けられると、高らかにヒールを鳴らし、去っていった。
「……ふぅ」
体中に入れていた力が霧散し、背もたれにもたれかかる。誰かの思いの丈を受け止めるというのは、なかなかに疲れるものだ。
「すごく……悔しいよね」
光のカーテンをふわふわ漂う埃を眺める。ふーっと軽く息をくと、そのままどこかへ飛んでしまった。




