おいでませ!悪役令嬢様
アルカイダ帝国は、大陸随一の覇権国家といわれて久しい。
広大な領土に加え、圧倒的な軍事力。国内で完結することができる流通網の上に成り立つ強大な経済圏。それを統べる皇族一族の役割は、言わずもがな重要なものと言える。
そして、大帝国の正統な跡継ぎがシルヴィア・ヴィク・アルカイダ。現皇帝ニルヴァーナ3世の実子にして、文武両道、才色兼備。皇帝に相応しい素質を兼ね備えた皇太子殿下である。
そんな未来を約束された皇太子殿下だが、彼にも敵……というか、苦手なものが存在する。
それ即ち。
「納得できませんわ!ぽっと出の女が、わたくしと同じ婚約者候補だなんて!」
女である。
※
「ってことが昨日あったの」
ティーカップをソーサーに戻し、ステラは困ったように頬に手をあてた。なお、隣では件の皇太子殿下がテーブルに撃沈している。
皇帝陛下にまだ用があるとかで、レミリアは颯爽と城内に戻ってしまった。所在無く中庭に寝転んでいたところを偶然にも通りがかったステラに誘われ、雪絵はこうして席に着いているのである。
紅茶の良い香りが鼻腔をくすぐる。
「これだから気の強い女性は苦手なんです……」
お前の目の前にいる雪絵も女なのだが、と内心つっこみつつ雪絵はステラに向き直る。
「婚約者候補……って、誰が来たの?」
なんとも言い難い間が空いた。
ステラは紅茶に口をつけてから、その名を告げる。
「セレフィーナ・ローゼンベルク。帝国西部の広大な領土を預る、ローゼンベルク家のご息女よ」
ローゼンベルク家。初めて聞く名前だ。
「その、ローゼンベルク家って?」
雪絵はアルカイダから来てまだまだ日が浅い。花霞にいた頃も他国の内情を気にしたことはなかった故、帝国内部の統治事情にはあまり詳しくなかった。
それを察したのだろう。ステラは柔らかな笑みをたたえ、説明を加える。
「アルカイダ建国のにあたって、初代皇帝陛下に尽力してくださった家系のひとつよ。その功績から代々に渡って、帝国西部地域の統治を任されてるの。西部地域の経済から物流ままで、思うままに操っている、いわゆる大貴族ってわけね」
「なるほど」
どこの国にも家柄というものはあるらしい。しかし、実力主義のこの国でも貴族という単語を聞くことになるとは思わなかった。
雪絵の心を読んだように、ステラは苦笑する。
「貴族っていっても、花霞のとは少し違うかもなー。あの人たち気に食わないことがあると物理で対抗してくるし。完全なお飾りってわけでもないのが憎いところね」
ステラの隣で死んでいた皇太子殿下が息を吹き返す。
「だから嫌いなんですよあいつら……中央の政治にも口出してくる。昨年の予算会議なんて目も当てられない」
「あはは……」
何やら苦い思い出があるらしい。ステラは言葉を濁すようにカップに口をつける。
「セレフィーナさんは、ローゼンベルク家当主待望のお子さんでね。おまけに娘ってわけだから、口から砂糖吐くぐらい甘やかしたの。その結果――」
「誰も手のつけられない我儘令嬢が爆誕しました!」
ヤケ酒のごとく紅茶を呷るシルヴィア。余程嫌な思い出でもあるのだろうか。
チラリと視線をやる。シルヴィアは親の仇でも見るような鋭さで虚空を睨み付け、歯をギリギリと鳴らしていた。とても皇太子がしていい顔ではない。
「朝4時に叩き起こされてカブトムシ採りに行かされたり、紅茶が苦いからって砂糖ドバドバ使われたり、挙句の果てにはプールと犬付きの豪邸が欲しいとか……。もーーー我慢なりません!俺猫派なのに!!!」
「そこなの?」
ステラにたしなめられ、ようやくシルヴィアは落ち着いたようだった。何度か深呼吸を繰り返し、ようやくいつもの胡散臭い皇太子に戻る。雪絵としては知らぬ存ぜぬ話なので、相槌も打てず黙って耳を傾けることしかできない。
(でも、何かおかしい……?)
胸に手を当てると、いつも通り心臓の鼓動が伝わる。いつもと同じはずなのに、妙に胸の奥が詰まる感覚。新手の病だろうかと疑うも、だとしたら自己回復術式が作動するはず。何もないということは、雪絵は健康体そのものである。
だと言うのに、この異様な詰まりは何だ?
「雪絵ちゃん?」
ステラに声をかけられ、ハッと我に返った。不思議そうに、紫紺の瞳がこちらを見つめている。
「ごめんなさい。少し、考え事を」
「そう?ならいいのだけれど」
誤魔化すように紅茶を口に含むと、やけに苦い後味が口の中に残った。少し顔を顰めると、予期していたようにシルヴィアが砂糖を差し出してくる。
「どうぞ」
いつも通りの、胡散臭い笑顔。椿隊の副隊長を務めていたときから、シルヴィアは変わらないまま。変わったといえば、2人の関係と立場くらい。
やはり、胸の奥の違和感が疼く。
「……ありがとう」
角砂糖を1つつまんで、紅茶の中に放り込む。
ぽちゃん。水面上に波紋が広がって、砂糖の粒が透明な糸を纏って底へ沈んでいく。それをじっと眺めていると、いくらか違和感がマシになった気がした。
「セレフィーナさんって、どんな人?」
ぱちくり。
シルヴィアが瞬きをする。
「セレナですか?嫌な奴ですよ。わがまま放題で手前勝手だし。ほんと、たい……じゃなくて、雪絵の爪の垢を煎じて飲ませたいくらいですよ」
「そう」
なんだか所在無くて、テーブルクロスを指先で弄る。シルヴィアが不思議そうに小首を傾げた。
「珍しいですね。雪絵が誰かに興味を持つなんて」
そうだろうか、と自問するも答えは出ない。
思えば、巫をやっていた頃は鬼を狩ることしかしていなかったので、必然的に他者と関わることも少なくなっていた。誰かに興味を持つ以前に、その誰かに会うことがなかった。
「何となく、気になっただけ」
ぶっきらぼうな言葉を吐いて、再び紅茶に口をつける。砂糖を入れたのに、なぜかまだ苦い。
「え、雪絵……もしかして、」
シルヴィアが頬を染めて、キラキラと目を輝かせる。
「あらあら」
ステラが子供でも見るようにのほほんとした目をしているものだから、堪らなくなって俯いた。
そんな穏やかな昼下がり。シルヴィアの追撃をのがれるべく、この場を退散しようかと画策するやいなや。
爆弾というのは、急転直下に降ってくるのである。
「おーっほっほっほっほ!!!」
甲高い笑い声。
シルヴィアが石化するように硬直。ステラの笑みが一瞬崩れ、やれやれとこめかみを押さえた。
バァン!勢いよくドアが開け放たれる。
「ご機嫌麗しゅうございますわ!シルヴィア様、ステラ様」
現れたのは、真っ赤なドレスを身にまとったご令嬢だった。
緩やかにウェーブのかかった黒髪に、ぱっちりとした二重の赤い瞳。年はシルヴィアと同じくらいだろうか。優雅、という言葉を具現化したような人だった。
シャープな顔立ちはレミリアに似ているものがあるが、雰囲気がまるで違う。レミリアが研ぎ澄まされた刃だとするなら、彼女は薔薇の棘だ。危険だと分かっているのに、それでも魅了されてしまう。
背後には、燕尾服を着こなした初老の男が控えていた。おそらく執事か側仕えであろう。
派手な装飾のなされた扇をパチンと収め、ご令嬢は宣う。
「急に押しかけてしまい申し訳ありませんわ。ですがわたくし……兎にも角にも、いても立ってもいられず!無礼を承知で参りましたの」
くねくねと体を捩らせ、細い指先で涙を拭う。些細な仕草にも気品を感じるくらい、お嬢様が骨の髄まで染みついていた。雪絵にはない、シルヴィアと同じ雰囲気を思わせる。
「あら、遠路はるばるご苦労さま。そんなに急がなくても、手紙を送ってくださればよかったのよ?」
ご令嬢に負けない笑みを貼り付け、ステラが答えた。心做しか、部屋の空気が冷たくなった気がする。
いくら名門貴族とはいえ、皇族の住まう城に何の連絡も寄越さず来るとは礼に欠けるというものだ。ステラも知ったうえで皮肉を言っているのだろうが、それを知ってか知らずか。ご令嬢は不敵な笑みを浮かべる。
「いいえ、お姉様。今回は大事なお誘いがありましてよ」
ヒールを高々と鳴らして、ステラに歩み寄る。セレフィーナがパチンと指を鳴らすと、控えていた男が一枚の手紙を差し出した。
刹那、鋭い眼光が雪絵を貫く。見上げると、真っ赤な瞳が忌々し気に細められ、唇がこれでもかと歪められていた。しかし、次の瞬間には優美な笑みをたたえる。
「一か月後。我がローゼンベルク家にて、舞踏会を開催いたしますわ!」




