最悪の仮説
軽めの頭痛に眉間を揉みつつ、レミリアは資料に向き直る。
「……つまり、話を整理すると」
卓上に連なるステラと国王陛下、それに丸眼鏡の男の視線が向けられる。
「屍喰らいは人間である可能性が高い、と」
改めて言葉にするとおぞましい事実だ。背中に走る悪寒を振り払うように資料に目を向ける。
「現段階では可能性のひとつにすぎませんが……。その説が最も濃厚かと」
視線を泳がせながら丸眼鏡の男は言った。無駄に額から汗を流し、気が気ではないように指を揉んでいる。
現在、国王陛下の執務室にて、上役だけで緊急会議が開かれていた。
屍喰らい討伐後、研究施設にて解析されていた診断結果が判明したからである。
レミリアは額に手を当ててため息をついた。ビクッ、と男の肩が震える。ここまで露骨に怯えられると、自分がいじめているようで気分が悪い。こっちは仕事の話をしているのだが。
「うーん。流石にこれは予想外ねぇ」
レミリアの心情を読んだように、ステラがすかさずフォローに入った。
「異常個体の出現は何度かあったけど、シカバッネーちゃんは群を抜いて変わり者みたいね。……あーあ!どうせなら私も会ってみたかったわ」
「お前が行ってたら即死よ、そ・く・し」
「そこまで言わなくたっていいじゃない」
へそを曲げてブーブー文句を垂れる第2皇女。見目麗しい容姿が台無しだ。
「で?実際戦ってみてどうだったの?」
再びレミリアに視線が注がれる。
しばらく腕を組み、黙考。
「……強かったわ」
「わぁお。レミーが素直に認めるなんて」
紫紺の瞳にじっと見られ、きまりが悪くなり目をそらした。そんなレミリアの反応すら楽しむように、ステラはクスクスと笑う。
「見栄張ったってしょうがないでしょ。……私がひとりで何とかできるなら、シルヴィアが怪我することもなかったし」
「むぅ。そこは気にしてないけど」
湯気に立つ紅茶に口をつける。苦々しい味が口の中に広がった。
「純粋な力勝負なら負ける気はしなかった。でも、あいつには狡猾さがあった……人間のような、ね」
あの時、自分に油断がなかったと断言することはできない。心のどこかには、あの鬼神がいれば何とかなる、と甘えた考えがあったのも事実だ。
しかし、レオが人質にとられた瞬間から全てがひっくり返った。そして人質すらもおとりに使う知能の高さ。くそったれながら脱帽ものである。
「それに……今思えば、だけど」
緊迫した記憶が蘇る。
戦場の盤面が奴に支配されかけたとき、レミリアは思った。
『雪絵がいるから』大丈夫だ、と。
自分はまんまと敵にしてやられながら、とんだ間抜け野郎だ。しかし、手合わせで感じた雪絵の強さは絶対的なものだったし、屍喰らいを前にしてもその感覚が揺らぐことはなかった。
だからこそ疑問なのだ。なぜ、奴を瞬時に仕留めなかったのか。
「雪絵さん、攻撃をためらっていたように見えた」
「えー?最終的トドメさしたのはユッキーでしょ?」
ステラが小首をかしげた。疑問に思うのも当然だろう。
「それは……そうなんだけど」
雪絵の実力であれば、人質が取られていたとしても関係なかったのではないか、と思えてやまない。
もちろん確証は無いし、真意は雪絵本人に聞いてみなければ分からないのだが。
「ま、それは雪絵さんに聞いてみるとして」
沈黙を貫いていて国王陛下が口を開いた。
「問題はシカバッネーちゃんだよねぇ。鬼が人間になるなんて、わしでも聞いた事ないぞ?」
確かに。一同は同意し、丸眼鏡の男に視線が集まる。
男はこれまた冷や汗を垂れ流し、右往左往しながら言った。
「……現段階では、圧倒的に証拠が足りません。これから私が語ることは、単なる想像にすぎませんが……。それでも、よろしければ」
「いいお!どんどん言っちゃおー!」
陛下の冷やかしにげんなりしつつ、レミリアは続きを待つ。
男は眼鏡をかけ直しつつ、神妙な面持ちで言った。
「鬼が人間になったのではなく……人間が、鬼を取り込んだのではないでしょうか」
※
「っていうのが今朝の話」
「いやいや、絶対ありえないでしょ。そんなイカれた仮説があってたまるかって話、」
光の速度でレミリアがレオの足を払う。転倒したところで足に巻き付き、思い切り締め上げる。
「いだだだだだだッしぬしぬしぬ!!!」
カラッと乾いた晴天に、響き渡る悲鳴。
カルディスの中心部に位置する、皇族がおはしますお城の中庭。緑豊かな芝生の上で、レオがレミリアに関節を極められていた。
「レオ、何かしたの?」
表では無表情に雪絵尋ねる。
「いや?特に何も」
「じゃあ、どうして足をちぎろうとしてるの?」
1拍置いて、レミリアは言った。
「弱いから」
なるほど。無知は罪とはよく言う格言だが、弱さもまた罪である、と。レミリアはそう言っているのか。さすがは鬼狩りの頭を務めるだけはある。
さりとて、いささかレオが不憫である。一旦離してやるよう説得すると、案外あっさりと解放してくれた。
芝生の上で死んでいるレオを尻目に、レミリアは隣で胡座をかく。
「屍喰らいの一件、あなたにはすごく助けられたわ。ありがとう」
雪絵はぱちくりと瞬きをした。レミリアという女は、鋭い刃物のような雰囲気とはまた別にちゃんと仁を通す人間なのだ。
「いえ、こちらこそ。……レミリアのおかげでシルヴィアとちゃんと話せた、から」
「あらそう。それは何よりね」
素っ気ない返事とは裏腹に、レミリアは胸を撫で下ろしたように見える。雪絵の見間違えだろうか。
「……それで、私に何かあるの?」
レミリアは雪絵の顔をじっと見つめ、やがてふいっと目を逸らす。疲れたように長いため息をついた。心做しか、眉間のしわがいつもより深い。
「あなたに直接関係あるわけじゃないけど……。屍喰らいは元は人間で、鬼を取り込んであーなった……てのがうちの研究員の考察」
「それはまた、随分突拍子がない」
「でしょ。私もそう思う」
雪絵は少し迷ってから、レミリアの隣に腰を下ろした。
「でも確実に違うといえる証拠もない。……現状じゃどうとでも言えるわ」
短く生え揃った芝生をプチプチちぎりながら、レミリアは遠い青空を見つめる。
青空というものは兎角不思議なものだ。眼前にあると思えば、手を伸ばそうと届かない距離にいる。見つめれば見つめるほど、遠のいていく感覚がするのだ。まるで、人間の無力さを突きつけるように。
2人(と地面にのびている1人)で空を見上げると、少しだけレミリアとの距離が縮まった気がする。同じ景色を共有するだけで、人の心持ちというのは変わるのだろうか。
心地よい風を肌で感じつつ、穏やかな時間を堪能する。
「雪絵さん」
ふと、レミリアが声をかけてきた。
「何?」
「あなた、知ってるんでしょ」
ヒュ。喉が詰まる。
核心を突かれ、悲鳴をあげそうになった。すんでのところで息を噛み殺しつつ、表面上は穏やかに尋ねる。
「……どうして、そう思うの?」
「さぁ。女の勘かしら」
意外にも追及する姿勢はなく、あっさりと流した。上体を倒し、芝生の上に寝転がる。真っ直ぐな瞳が雪絵を見た。
「一応言っとく。知ってること全部話して」
芯の通った強い眼差し。一瞬だけ2人の視線が交差する。
風が耳を切る音が、やけに大きく聞こえる。
「……できない」
「なぜ?」
心臓を氷の矢で貫かれるような痛み。一歩間違えれば、雪絵の全てが崩れ落ちてしまうような、崖っぷちに立たされた緊迫感。
「私には……まだ知らないことがたくさん、ある」
「それで?」
身を切るような凄まじい圧。だがここで引く訳にもいかない。
唇を引き締め、背筋を正す。せめて姿見だけは堂々と振る舞えるように。
「私は自分の道を、自分の意思で決めたい……から」
「ふーん」
レミリアは興味をなくしたように再び空を眺める。
さっきまでの威圧感が嘘のようになくなり、雪絵は拍子抜けした。
てっきりレミリアのことだがら、是が非でも情報を引き出すかと思っていたのに。正直、戦闘になるのもやむを得ないと覚悟していたのだが。
「ま、別にいいけどね。花霞に未練タラタラなのは分かってたことだし。……言い換えれば、今回の件に花霞が関わってるのも確定ってわけだし」
「うっ、」
まんまと乗せられてしまったようで。いたたまれなくなり、雪絵は目を逸らす。
してやったり、とレミリアは無邪気に笑っていた。
「自分で覚悟決めたなら別にいいわ。私がとやかく言う必要も無いし、人間の意思ってそんな簡単に変えられないもの」
凪いだ瞳で遠くを見つめるレミリアは、どこか嬉しそうに微笑んでいる。
雪絵が思っていたよりも、レミリアの性根はかなり子供っぽい。ふとした瞬間に、いたずらっ子の顔がひょっこりと覗くのだ。
レミリアの新しい一面。知らなかったことが、知っているものに変わっていく。それは不思議と心地よい感覚であると、雪絵は最近になってようやく知れた。それがくすぐったくて、嬉しい。
滑らかな芝生の表面を、撫でるように風が吹く。
「……そういえば、シルヴィアは?」
雪絵が尋ねた瞬間、レミリアの表情が凍りついた。
「ああ……そうか。雪絵さんには言ってなかったわね」
途端、眉間に皺を寄せ、レミリアは立ち上がる。
「雪絵さん。あなた、シルヴィアの婚約者候補になってるってこと……覚えている?」
しばらく間が空いて、雪絵は答えた。
「……ええ」
「その様子じゃ忘れてたのね」
はぁ……と、これまた大きなため息をつく。今日のレミリアは疲れているのだろうか。心做しかいつもよりもやつれている気がするのだ。
「当の本人がこれじゃあどうしようもないんだけど……。
こればっかりは放っておく訳にもいかないの」
何やら深刻そうに眉間の皺を揉む。
「何かあったの?」
レミリアは気まずそうに目を逸らした。再びため息をつく。緑の匂いを纏う風が、切りそろえられた銀髪を揺らす。
やがてやけになったのか、レミリアはぶっきらぼうに言い放った。
「シルヴィアの婚約者候補の1人が、ここに乗り込んできたらしいの」
ぱちくり。雪絵瞬きをした。
――婚約者候補。
言われて思い出した。シルヴィアにとって雪絵は、大勢の中の1人に過ぎないこと。
(……あれ?なんか、変な感じ)
カラッと乾いた日差しが、なぜか突き刺さるように痛かった。




