名誉あるドナドナ
アルカイダ帝国。
花霞の隣国にある国の名称。
しかしながら、その国力は単独で列強諸国に並ぶと称されている。理由は単純明快――強いから、である。
圧倒的な軍事力と広大な領土。実りのある土地と、それを耕す世界一の人口。充実した教育機関と生来生真面目な国民性が、アルカイダの地盤を支える。
巫の数も質も、花霞のそれを優に上回る。鬼狩りの討伐数で年間上位に君臨するのはもはや年間行事だ。
思いつく限りすべての力を有すかの国は、覇権国といっても何ら差し支えないだろう。
そのアルカイダの皇子が、シルヴィアだと。雪絵が散々殴って埋めて、壁にめり込ませたあの男が。
椿隊の副隊長が。
自分の部下が。
隣国の覇権国家の、皇太子――だと。
「……」
悪い夢をみているのだろうか。
だだっ広い部屋に転がされた雪絵が考える。手足の枷は外され、申し訳程度の縄が体に巻かれていた。雪絵が本気を出せば、容易にちぎれるだろう頼りない拘束だった。
床は畳が敷かれていて、さっきまでの牢獄とは比べ物にならないくらい暖かい。柵はあるが、木製で多少は柔らかみも感じる。何より便所がついてる。牢にいた頃とはえらい待遇の差だ。
それもこれも――全てはあの男のおかげだろう。
雪絵を自分の嫁として迎え入れる、と宣いやがったお部下様、もといシルヴィア。
やれ偽物だ曲者だと難癖つける処刑人を物理で跳ね除け、外交特権でお上を引き摺り出し、なんなら自国から皇帝を召喚し。
阿鼻叫喚を極めた花霞上層部は、悲鳴を噛み殺しすぐさま接待方向へシフトした。いかに花霞といえど、覇権国相手に喧嘩を吹っかける訳にはいくまい。今頃お偉いさんがたは冷や汗を流してごまをすりこんでるはず。
なぜこんなことになってしまったんだろう。
畳に転がされながら、雪絵は考える。本来なら、今頃雪絵の首は晒し首にされていたはずだ。国家反逆罪の卑しき罪人として、花霞の地に散っていただろうに。雪絵は今も息をして、たしかにこの世に生きている。
酷く居心地が悪い。
終わると決めていたはずの生を無理やり引き伸ばされるのが、ここまで癪に障るとは思わなかった。例えるなら、人生というゲームの延長戦を勝手に進められるような。そんな気色の悪さを感じる。
(…………)
そわそわと気分だけが上滑りして、落ち着かない。
どうしようもないので、雪絵は目を閉じた。体の内側に意識を集中する。空っぽになりかけていた符力が、わずかだが回復しているようだった。
片手で印を結び、ミスがないよう緻密に、しかし素早く術式を組み立てる。
――遠隔盗聴術式。文字通り、遠くの会話を盗み聞くために作られた術式だ。
深い海に潜っていくように意識が沈む。やがてノイズに混じって、人の声らしきものが聞こえてくる。
『いくら陛下たってのご要望でも、承服しかねます!相手は国家反逆の大罪人にございます。もし……皇太子殿下の身になにかあれば、我々は……』
内容的に、おそらくは皇国上層部。かわいそうになるくらい焦りをにじませ、必死の声色で訴えかけている。
気弱だが癇に障るしゃがれ声には聞き覚えがあった。花霞皇国が主君、皇王陛下のお出ましのようで。
おおかた騒ぎを聞きつけたところを、部下に引っ張り出されたに違いない。下手を打てば花霞皇国存続の危機になりかねない局面だ。アルカイダのトップが来てしまった以上、老いぼれ陛下とて相手をするほかないのだろう。
『お気持ちは痛いほど察しますよ、閣下。しかしながらこの取引、貴国にも益のあるものと存じますが』
老いぼれしゃがれ声に対し、相手は威厳と荘厳さに満ちていた。耳に心地よいバリトンボイスは、聞くもの全てを魅了する。
声の主はおそらく――アルカイダ帝国の皇帝陛下。
『は、はぁ。その――益とはつまり、どのような?』
一国の主が馬鹿正直に聞いてどうする。国のトップ同士が席についていれば、それは立派な外交だ。老いぼれ陛下は、自分が交渉の場に立っている自覚がないようで。まったくもって花霞の未来が心配になる。
雪絵が内心呆れていると、さも愉快気な低音が響く。
『あの愚息が言っていたでしょう?霜月雪絵殿を未来の妃とする、と。つまり、貴殿が治める花霞の民が、我がアルカイダ帝国の皇妃となるのです。――これ以上の説明が必要で?』
なるほど。雪絵は一人納得した。
つまりはあれだ。
雪絵を皇太子の婚約者として差し出すかわりに、花霞皇国の安全を保障する、と。言い方は曖昧だが、同盟を結ぶ、という意味にも解釈できる。
『貴国にも、そしてもちろん我が国にも未来ある話でしょう。もちろん、霜月殿をぞんざいに扱ったりなどしません。シルヴィアの妃として、立場は私が保証しましょう』
ここでダメ押しの一言。もはや二人の交渉の行く末は決まった。
雪絵は術を解き、ゆっくりと目を開いた。
「あ、戻ってきました?」
胡散臭い笑みが目の前にあった。反射的に殴ろうとして、理性でそれを押しとどめる。さすがに覇権国家の皇太子を殴る訳にはいかない。
雪絵の心を読んだように、皇太子殿下はにこにこと笑う。
「そんな目で見ないでくださいよ。話は今隊長が聞いた通りです。ってことで、早速アルカイダに行くんで移動しますね〜」
縄に縛られたまま、軽々と横抱きにされる。心做しかいつもより機嫌が良さそうなお部下様(皇太子)は、鼻歌を歌いながら木の牢を術式で粉砕し、堂々と正面から雪絵を連れていく。
門番であろう青年2人があたふたと動き回る。さすがにそれはあかん、と止めようとしたところをシルヴィアの素晴らしい笑みによって完全に止められた。彼らが職務怠慢でしょっぴかれないことを願うばかりである。
(これから……どうなるんだろう)
またしても雪絵の心を読んだかのように、シルヴィアは穏やかに言う。
「大丈夫ですよ。お上とは父上が話をつけるでしょうし、隊長の御身は俺がお守りします」
雪絵を守る。シルヴィアは嬉々としてそう言った。
ふと、不思議に思った。
なぜそこまでして、雪絵を助けようとするのだろう、と。
「……なぜ、」
「あなたに死んで欲しくないからです」
雪絵が問いかける前に、簡潔な答えが返ってきた。
以前も同じ台詞を聞いた。雪絵の処刑が決まる前、あの隊舎の廊下で
だが雪絵には理解が出来なかった。
今の雪絵は罪人の身であり、身請けするには時間も手間もかかる。そこまでして雪絵という存在に入れ込む理由が分からない。
花霞と良好な関係を築きたいなら、お上の関係者でも適当に娶ればいい。アルカイダの皇太子であれば、皇王陛下も喜んでご息女を差し出すに違いないだろう。
「隊長は知らないかもしれませんがね、俺にとってあなたは、あなたが思うより価値ある存在なんです。こんな所で死なれてたまるもんか、ですよ」
「……答えになってない」
「あれまぁ。これでも伝わりませんか」
長い獄中生活によってイカれた頭は、思いの外しっかり動く。
シルヴィアの体温が、肌を通して雪絵の中に染み込んでくる。心臓の鼓動がやけに近く感じられる。こんなにも他者の存在を近くに感じるとは、随分と久しぶりで。
勝手知ったる花霞の御殿の中を、シルヴィアは堂々と歩む。その手の中に雪絵を抱えていようと、1ミリたりとも臆すことはない。
膝裏に回された手が暖かい。シルヴィアの呼吸が手に取るように感じられる距離感に、何故か体の緊張が緩む。
「まぁいいですよ。これから時間は腐るほどあるんです。ゆっくりやっていきましょ、隊長」
「……」
「あ、もう隊長じゃないか。ここは夫婦らしく……雪絵?」
死角から放った渾身の圧縮術式は、鉄壁の防護障壁に易々と防がれた。
※
「ささっ、隊長!準備が整いましたよー!」
縄による拘束をといてもらった雪絵は、それらそれは立派な2頭立ての馬車を前に棒立ちになる。
「隊長は未来の皇帝の花嫁なんですから、これくらいのおもてなしはしないとね!」
シルヴィアはにこにこ笑う。対する雪絵は今にも逃げ出したい気持ちでいっぱいだ。たぶん、お上とアルカイダ皇帝陛下の会談は終わってない。つまりこいつは、皇帝も花霞の許可を得ることなく無断でアルカイダに行こうとしているのだ。
お上の許可なく国の領土を出た者は……斬首?切腹?それとも市中引き回しか……。
昔学んだ法学の内容が走馬灯のごとく脳裏をよぎった。
「ささ、隊長も早く乗って!あ、乗れないなら俺が乗せてあげますよ!」
頬を引きつらせる雪絵をよそに、シルヴィアはどこかから持ち出してきたロープで雪絵をぐるぐると簀巻きにした。
「ちょ、ちょっと、」
「万が一にでも逃げられたら困りますからね~」
抗議の声も彼には届かず。
「それーーー!!」
簀巻きにされた雪絵は馬車の後部座席に、スポン!と突っ込まれた。幸いにも、上質な作りの座席が体をうけとめてくれたおかげで、痛みはない。
雪絵が馬車入ったことを確認すると、シルヴィアは満足そうに笑って扉を閉め施錠した。表情がにはおくびにもださないが、雪絵の脱走を警戒しているようで。
シルヴィアはひらりと踵を返して御者席に収まる。背後の馬車に雪絵が乗っていることを改めて確認すると、それはそれは満面の笑みで、
「いざ、アルカイダ帝国へ……しゅっぱーつ!!!」
いやお前が運転すんのかい、というツッコミはよしとして、馬車は進む。
彼の祖国、アルカイダ帝国を目指して。
腐っても皇太子様が所有する馬車だ。乗り心地は多少よかった。ガタン、ガタン、リズムよく揺れる振動が心地いい。こんな状況でなければうたたねをしていたかもしれない。
だが忘れてはいけない。
(これって……誘拐では?)




