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花霞の鬼神、嫁入りに参ります。  作者: 半月叶依
屍喰らい編
15/22

ムジナ村


 暗闇に包まれていた空が、徐々に橙色の明かりを帯びていく。山際から太陽が昇り、新たな一日の到来を告げていた。

 誠に美しき夜明けを横目で眺めつつ、雪絵はゆっくりと目を開閉する。寝不足気味のせいで頭痛が酷い。目の前で寝こけている教育係が少し羨ましいくらいだった。

 件の屍喰らいが出る村――ムジナ村は、花霞とアルカイダの国境付近に位置している。アルカイダ帝国の領土は広大だ。長距離の移動は必須であり、長旅になるのも覚悟はしていた。

 首都、カルディスを出発して1週間。雪絵はまともに寝られていない。

 元来、雪絵はかなり神経質だ。基本的に人のいる場所では寝られない。体力勝負の鬼狩りとしては辛いものがあるが、こればかりは仕方がないのだ。幼少より自覚している難儀な性格は、雪絵自身をも蝕む。

 ぼやけた頭で外を眺める。太陽の明かりが網膜に突き刺さる心地がした。

「大丈夫ですか?」

 いつもより小さな声が鼓膜を揺らす。

「平気」

「とてもそうは見えませんが」

 ほんのり温かい手が、頬に触れた。目の下を親指がなぞっていく。

「隈、酷いですよ」

 紺碧の瞳が、心配そうに雪絵を見ている。いつかの哀れみを帯びた目が、脳裏をよぎった。

 『あなたに生きて欲しい』

 雪絵は今も、この言葉を呑み込めずにいる。

 この国に連れてこられて、雪絵の環境はガラリと変わった。

 華。シルヴィア。レミリアにステラ。鬼狩りの隊員たち。今までとは違う人々と関わり、花霞とは違う世界を知った。雪絵の強さは認められ、存在を許容された。

 雪絵を罵倒する言葉も、唾を吐きかける者も、遠巻きに睨みつける視線もない。穏やかな時間は心を安らがせ、同時に体の奥を千々に乱す。

 安心が恐ろしかった。寄せられる信頼が、雪絵を花霞じゃないものに繋ぎ止めようとしている。シルヴィアが、()になろうとしている。

 行先は地獄と、とっくに決めていたはずなのに。

 朝日に照らされた新緑が、伸び伸びとその葉を広げている。空が橙と共に青く澄んでいく。穏やかな風が草木を揺らす。

 これ以上、心の内側に踏み込んではならない。

 (……今は、私がすべきことだけを考えよう)

 花霞のため、今の雪絵ができること。花霞に害をなしうる、アルカイダ帝国との関係を良好に保つ。つまりは、花霞の盾になることだ。

 もし屍喰らいが本当に生きているのなら、いずれ花霞の民にも危害が及ぶ可能性がある。それだけは、確実に防がねばなるまい。

 全ては、花霞のために。

「……触らないで」

 触れる手を軽く押しのけた。シルヴィアはやや悲しげに微笑む。

「……今は、何も話してくれなくていいです。でも俺の気持ちだけは、忘れないでくださいね」

 胸の奥がざわつく。雪絵はシルヴィアの顔さえまともに見ることができない。

「あ、村が見えてきましたよ」

 ガタン。馬車が揺れる。

 窓の向こうを覗くと、小さな家がぽつぽつと見え始めていた。夜が明け、村人の活動が始まりつつあるようだった。井戸に水を汲みに行く人影がちらほら見える。

「村の端に馬車を止めてから、まずは村長に挨拶に行くそうです」

 シルヴィアは既に段取りを知っているようで、テキパキと指示を出していく。教育係――レオを起こし、運転手に止める位置を指示する。

 さて、これらは仕事だ。

 うだうだ悩んでいる暇はない。目の前の職務を遂行することに神経を注ぐ。余計なことは考えるな、と自身に言い聞かせた。



 ※


「初めまして。アルカイダ帝国鬼狩り部隊隊長の、レミリア・ヴィク・アルカイダです。村長殿、宿と食料を提供していただき、誠に感謝申し上げます」

 小柄な初老の老人の前に、レミリアは片膝をついて胸に手を添える。帝国における敬礼らしいが、レミリアがここまでする程のことか、と雪絵は内心驚いた。

 馬車を止めた雪絵達一行を出迎えたのは、ムジナ村の村長。目尻の笑いじわがよく映える、優しげなおじいちゃんだ。彼の後ろには付き添うように数人の村人が控えている。随分と慕われているらしい。

「あ〜いやいや!よしてくださいよレミリア様。お礼を言わねばならんのはこちらの方だ。こんな辺境の村までわざわざ御足労なさってくれて」

 村長は見た目通りの物腰の柔らかいお人のようで。年嵩の刻まれた目尻の皺が柔らかい雰囲気を醸し出す。常に笑顔でいる、優しい人にしかないものだ。

「皆様、長旅でお疲れでしょう。本日は宿でお休み下さい」

「いえ。可能でしたら、鬼の出現位置まで案内して頂きたい」

 村長が目を丸くする。

「ですが、皆様お疲れでは……?」

 村長はチラリと雪絵を見る。一般人に分かるくらい疲れが顔に出ているとは、己の弱さが虚しくなった。しかしレオも眠そうな顔をしているので、ある程度は誤魔化せるはず。

「お構いなく。情報収集が先です」

 レミリアはきっぱりと言い切った。いかにも仕事人らしい答えだ。雪絵が同じ立場でもそうする。

 ガックリうなだれるレオを慰めつつ、一行は村の中を行く。

 首都カルディスとは随分毛色が異なり、村民の大多数は和服を身につけていた。家屋の作りも花霞とほとんど同じ。洗濯物がつけられた桶に、見慣れた物干し竿。久しぶりに木の匂いを嗅いだ気がする。至る所に作られた小さな畑には実り豊かな作物がなっていた。

「この村は昔っから花霞の近くにあるもんですから。花霞の文化が根付いてる部分も多いんです。……皆さんには馴染みが薄いでしょうが、何卒ご勘弁頂きたい」

 雪絵達の視線に気づいたのだろうか。村長が頭を下げる。

「いえいえ!とんでもない」

 シルヴィアがにこやかに返すと、村長もほっとしたように胸を撫で下ろした。

 そのまま他愛のない話を続ける2人を他所に、雪絵は感覚を研ぎ澄ます。

 期待、感謝、羨望、憧憬。そして嫌悪。様々な視線が雪絵達に注がれている。ある者はじっとりと品定めするように、ある者はこちらを伺うように。各々の好き気ままに視線を寄越し、雪絵らに身勝手な幻想と感情を抱く。

 好意も悪意もごちゃまぜにした塊をぶつけられるような、懐かしい感覚。花霞で幾度となく感じたものだ。

 唯一の救いは、好意の視線が大半を占めることか。そこは腐ってもアルカイダの人間、ということなのだろうか。

「それで、『屍喰らい』の件ですが」

 レミリアが本題に踏み込む。急激に場の空気がヒリついていくのを肌で感じた。

「大方の情報は心得ております。現在の村の状況をお伺いしても?」

「……はい」

 村民が返事をした所で、一行は足を止める。

 雪絵達の目の前には、簡素な木製のバリケードがあった。よく作られているが荒も多い、即席の代物。

 その向こうには、見るも無惨な爛れた大地が広がっている。

 間違いなく鬼の仕業だ。

「この村は土地の4割を失い、追い出された者共はここに逃げてきました。現時点で怪我人はいませんが、食糧がいつまで持つかも怪しく……」

 やるせないように項垂れる。対抗する手段を持たない彼らにとって、鬼は災害だ。彼らがどうこうできる話ではない。過ぎ去るのを待つか、大人しく殺されるかの2択だ。

「この村は、元来あったこちら側の土地と、新しく開拓した向こう土地に分かれているのです。今回鬼に襲われたのは、新しく開拓した方でして」

「……それはお辛いですね」

 鬼が通った後には、何も残らない。

 二度とその地に作物は実らなくなり、黒く腐った土壌だけが残る。鬼による直接的な被害もさることながら、1番大きいのはその後の二次被害と言える。

 新しく開墾した直後にこれとは、この村にとってはかなりの痛手だろう。

 村長は懐から地図を取り出す。簡潔に村の全域が描かれていた。ひょうたんのように円形の土地が上下ある、少し変わった形をしている。話を聞くに、北側が鬼にやられた土地、南側が今雪絵達がいる場所か。

 村長は北側の地を指さした。

「今回、鬼が現れたのはここです。憶測ですが、花霞の方から下ってきたのでしょう。……今はここにバリケードを築いて、鬼の侵入を防いでいます」

 北側と南側を繋ぐ境目には、赤色のバツ印が連なっている。

「鬼狩りの駐屯兵は何を?」

 レミリアが尋ねた。声色がやや鋭さを帯びている。

「基地から2名派遣されましたが……。バリケードを越えて以来、お戻りになっていません」

「そうですか」

 あまりに淡白な返事だった。

 鬼のテリトリーに踏み込んだ以上、生存は絶望的。殺されるならまだしも、とっくに食われているかもしれない。レミリアはよく理解しているはず。

 それでも動揺を見せないのは、村人達を気遣ってのことだろう。ここで自分達が狼狽えれば、ただでさえ疲弊している村人に「勝てないかもしれない」という一抹の不安を残す。

「中を視察しても?」

「ええ……構いませんが……」

 言葉を探すように言い淀む。視線が泳ぎ、不安気に手を揉んでいた。彼の言いたいことは、嫌でもわかる。

「ご心配には及びませんよ。我々は皇帝陛下直属の鬼狩り部隊。そう簡単にやられるつもりはありません」

「……そう、ですか」

 村長がやるせなく肩を落とした。既に2人が犠牲になっている中、更なる犠牲が生まれてしまうことを懸念してのことだろう。

「念の為ですが、このバリケードには近づかないよう、村の皆様にお伝えください」

「分かりました」

 レミリアはバリケードの結合部を足場にし、ひょいっと向こう側まで渡ってしまった。術式の腕はさることながら、身体能力も高いようで。

 シルヴィアも同じように軽々と、レオは苦戦しながらもバリケードの向こう側へ降り立った。雪絵は浮遊術式を起動し、難なくバリケードを越えた。レオがドン引きした顔でこちらを見ていた。

「どうか皆様、ご武運を」

 深々と頭を下げる村長に礼を言い、一行は鬼の探索を始めるのだった。





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