花札と術式と古のノート
「主、少し痩せたのではないか?」
ふと顔を上げれば、華が心配そうにこちらを覗き込んでいた。
読みかけの本を閉じ、雪絵は考える。
アルカイダに来てから数日、死刑囚だったことが嘘みたいに雪絵は手厚く扱われた。
時間になれば、シルヴィアがわざわざ部屋までご飯を持ってやってくる。夜には華が風呂に案内してくれるし、渡される衣服も上物だ。
そこまで踏まえた上で、雪絵は答えた。
「大丈夫よ。ご飯はしっかり3食貰ってるし……ちゃんと食べてるの、見てるでしょう?」
ちなみに食事時には、シルヴィアが毎回押しかけてくるので、仕方なく彼に食べさせて貰っている。雪絵が痺れを切らすと、術式でぶっ飛ばすまでがワンパターンだ。
「うむ、それはそうだが……」
そういったきり、華は悶々と黙り込んでしまった。
華は思っていたよりも気を遣う人間だと気づいたのは、つい最近のことだ。初めはレミリアに命じられたから黙々とと世話をこなしているのかと思っていたが、言動の端々に優しさと思慮深さがにじむ。不慣れなアルカイダの文化風土を細かく説明してくれるし、孤独にならないよう常に傍にいてくれた。
後者は雪絵が自殺しないよう監視していたのかもしれない。それでも、彼女の優しさは身に染みて理解しているつもりだ。
雪絵が花霞の人間だから、というのも大きいのだろう。詳しい出自までは知らないが、華は花霞の生まれらしい。故郷を同じ国に持つ者同士、同胞の身を案じてくれているのだろう。
かく言う雪絵は、あまり口数が多いほうではない。
より正確に言えば、雪絵には他者とのかかわり方が分からぬ故に、言葉少なになってしまうことが多々あるのだ。何をいうべきか考えている間に時は過ぎ、相手を無用に委縮させてしまう。花霞でも似たようなことが何度かあった。だから雪絵は、シルヴィア以外の人と関わることは避けてきたのだ。
それに加えて。
(……人と関わるのは、もう……)
自分を知る人間を増やすことに、雪絵はいつも躊躇してしまう。
誰かと関わろうとするたび、心の内に黒い鎖が巻きついて、雪絵に問う。お前に2度と人の手をとる勇気があるのか、と。また傷つけてしまうだけではないか、と。
(……それでも、今だけは)
しかし、華にはここに来てから良くしてもらってばかりだ。いい加減、彼女の誠意に答えてあげたいというのが雪絵の本心。
しかし、方法がわからない。
今、何の策もなく話しかければ……沈黙という名の空白に殺される。確実に殺される。では次の一手はどう打つべきか……。
雪絵は着流しの中を漁り、とある物を見つけた。今朝方、着替えを持ってきた際にシルヴィアがおいていった物だった。
『華さんと仲良くなりたいんでしょ?だったらこれ、使ってください』
帰り際にこそっと耳打ちされ、感謝やらムカつくやらで感情がぐちゃぐちゃになった。
せっかく皇太子殿が気をまわしてくれたのだから、無下にするわけにはいくまい。
「……あの、華さん、これ……」
おずおずとそれを差し出せば、華の表情がぱぁ!と明るくなった。
「花札だ!どうして雪絵さんが持ってるの!?」
花札。
花霞においてはメジャーなカードゲームだが、アルカイダではまったく遊ばれていないらしく。
「たまたま懐の中に入ってた。……その、よければ一緒にどう、かな」
自分でも恥ずかしくなるくらい上手く言葉がでなかった。それでも華ははじけるような笑顔で言ってくれたのだ。
「やる!!!」
ゲームというのは酷く単純で、その実熱中できる代物だ。
華は存外遊び好きらしく、終始そわそわしながら札を手にしていた。視線ひとつが彼女の期待を如実に語り、普段の尊大な物言いが嘘のように子供らしい。
「こいこい!」
はしゃぎまくる子供のように華が言い切る。
自分の手札をちらりと見てから、雪絵は思考に耽る。そういえば、誰かとこうして遊ぶなんていつぶりだろう。少なくとも、雪絵が巫として生きると決めたあの日から、誰かと共に遊んだことなど1度もない。
結局最後は雪絵の勝ちに終わり、悔しげな顔で再戦を迫られたので2回戦目に突入。
どこからか入り込んできたシルヴィアを交えてあーでもないこーでもないと騒ぎ、結果的に雪絵が再び勝利。
3回戦目にはシルヴィアと手を組んだ華の思いもよらぬ豪運と戦略により、初めて雪絵が敗戦した。ハイタッチをする2人は兄妹のように微笑ましく、自分の頬がふと緩むのを感じた。
あっという間に過ぎ去る、穏やかな時間だった。
「やった〜!やっぱりシルは小賢しいことやらせたら世界一だよね!」
「そういう華も相変わらず運いいじゃん!俺にも分けて欲しいわ」
まるで血の繋がった家族のようだ。朗らかにハイタッチを交わす2人を見ると、少しだけ羨ましくなる。
(……華、すごく楽しそう)
輝かんばかりの笑顔が眩しい。雪絵が見てきた彼女は、常に無表情か小難しい顔をしていた。こんな風に、年相応笑う華を、雪絵は初めて見た。
それだけでも、雪絵が勇気を出して誘ったかいがあるというものだ。
「ねぇ雪絵!今度は杖ありにしてやってみない?」
華は興奮冷めやらぬ様子で尋ねてくる。シルヴィアはやる気満々で札を整えていた。抜け目のない男だ。
「術式を使うの?……危ないと思うけど」
「違うって!危ないやつは使わないよ!透視とか、ちょっとしたイカサマありにするの!バレたら罰ゲームとか……どう?」
上目遣いにこちらを伺い見る瞳を、無下にできるはずもなく。
「……面白そうね」
「やりぃ!じゃ決まりね!」
にこにこで札を切る華。
シルヴィア曰く、華も相当な実力の持ち主だそうで、手加減は必要ないとのことだった。実際に手合わせしたことはないので知らないが、たしかに符力の方はそこそこあるらしい。
そんなこんなで始まったイカサマ花札。具体的に何をすればいいかも分からないので、とりあえず首輪の術式を展開し、透視からやってみることにした。華が興味深そうにじっと見てくる。
術式を組み立て、目を凝らす。すぅ、と浮き上がってってくるように、絵柄が見えてきた。とはいえ見るだけではどうにもならないので、都合よく山札を入れ替える必要がある。
となると、風でも起こして札を入れ替えるか、はたまた
偽札を作るのもありか。手段はいくらでもあるが、バレれば罰ゲームがある。当然華も分かっているはずなので、イカサマには目を光らせているはず。となれば、より慎重に術式を行使しなければならない。
(とりあえず、偽札でも作るか)
あまり深く考えずに五光を作りにいく。いくら偽札とはいえ、雪絵の手にかかれば本物とさして変わりはない。
少々雑に作ったつもりだが、華が気づく素振りはない。隣にいるシルヴィアはニヤリと笑っていたので、おそらく気づいたのだろう。何をやっても癪に障る男だ。
華のターン。片手で杖を握りつつ、慎重に札をめくっていく。
焦げ茶色の瞳が真っ直ぐに札を見つめている。だがほんの一瞬だけ、視線が杖に向かった。呼吸が少しだけ浅くなった。
その刹那、華の符力が揺らいだ。
「術式、使ったわね」
雪絵は華が捲った札を叩く。すると、札は光の粒となって、宙に消えていった。華が目を丸くして、瞬きをするのがスローモーションのように流れていく。
「……嘘、絶対バレないと思ったのに」
信じられないように口をパクパクさせている。
「一瞬だけど符力の揺らぎがあった」
それだけ分かれば雪絵に充分だ。華は驚きのままに硬直した。なぜかシルヴィアが誇らしげに胸を張る。
「雪絵さんって……やっぱりすごい術師なんだね」
呆然としながらも尊敬の眼差しを向けられる。むず痒いような、照れくさい心地がした。面と向かって褒められるのは、あまり慣れていないのだ。
「買いかぶりすぎよ。大層なことができるわけじゃないし」
首元の術式を収める。師が刻んでくれた術式のおかげで、雪絵は生かされているようなものなのだ。雪絵個人の力などたかが知れている。
首筋に触れる。いつも通り、そこには雪絵の命の源がある。
「これがないと生きていけないし、杖もろくに使えないもの。巫としてはまだまだ未熟者ね」
「……そこまで言われると、負けた私がもっと弱いみたいじゃん」
「実際そうでしょ」
シルヴィアがクスクス笑いながら言った。
ムキャー!と華が目尻を釣り上げ、皇太子殿下に襲いかかる。それを軽くいなしつつ、また茶番が始まった。
「あ、そういや罰ゲームあるんですよね?」
「……私は別に」
ポコポコ殴りかかってくる華を片手でとめながら、シルヴィアは人の良い笑みを浮かべる。仲のいい兄妹さながらの光景だが、兄の底意地の悪さは飛び抜けているようで。
「まぁまぁ、一度決めたからには最後まで突き通さなきゃ。ね!華ちゃ〜ん?」
「うるしゃい黙れ!」
突進してくる小柄な身体をヒラリと躱す。バランスを崩した拍子に両頬を挟み込み捏ねくり回す。
「むき〜!!」
「わははは!実に愚か、愚かなり〜!!」
洗練された無駄のない動きを使った無駄に高度な痴話喧嘩。
これがアルカイダ帝国を統べる皇族一家の行いだと知れたら、世界がひっくり返ることだろう。
などと雪絵が傍観していると。
「ふふふ。楽しそうね、3人とも」
柔らかな女性の声が聞こえた。振り返れば、窓からひょっこり顔を出したのは第2皇女様。艶やかな金髪が陽光を反射しキラキラ輝いている。
捏ねくり回されていた華の瞳が、パァ!と開かれた。
「姉様助けて!シル兄がいじめてくるの!!」
「あらあら、それは大変ね。でもあなたも立派なメイドさんなんだから、それくらい自分で何とかしなきゃ」
「それは……そうだけど!!」
悔しそうに唇を噛み締める。更に上機嫌な笑い声をあげるシル兄もとい皇太子殿下。どうやら華は、思っていたよりも皇族方と深い関係にあるらしい。
もはや何も言うまいと口を噤む。他人の関係にあれこれ口出しするほど無粋な行いはないだろう。
「でもね〜このまま見てるのもあれだし……。ちゃあんと罰ゲームもしなきゃだし」
妖艶な笑みを浮かべ、ステラはなぜか雪絵にウィンクをしてきた。一体いつからそこにいたんだ、と聞くのは野暮だろうか。
「うぇ〜……」
シルヴィアに小脇に抱えられる小さな体がもぞもぞ動いてる。雪絵からは尻しか見えないが、さぞかし不満気な顔をしてることだろう。
「んー……そうねぇ。華が小さい頃の恥ずかしい話でもしましょうか。……ねぇ雪絵さん。この子、すごく変な話し方するでしょ?」
「変な話し方?」
思い返してみる。確かに年齢に似合わず尊大な態度と口調だが、雪絵は特に違和感を感じたことはない。
小首を傾げていると、ステラは懐から黒いノートを取り出した。差し出されたまま受け取ると、何やら小難しい文字が羅列されている。
「『解呪厳禁!深淵に封印されし魔術一覧』……?」
ステラはにこにこ笑ってる。「読んでみなさんな」
「アッ、姉さんそれ、」
シルヴィアが異様に焦りだした。よく分からないので、とりあえずページを捲ってみる。
「『爆裂旋風!無限爆裂二重螺旋攻撃』」
「ちょっと待っ、」
「はーいシルキーは黙りましょうねぇ〜」
冷や汗ダラダラのシルヴィアにヘッドロックをかける第2皇女殿下。その拍子に華が解放され、雪絵の隣にちょこんと座る。しげしげとノートの中身を眺めている。
「『魔王契約の儀式……魂を煉獄へ誘い、大地を揺るがす終焉滅殺封陣を築き、我々は約束の地へと至らん』」
なるほど。なかなかに個性的な内容だ。魔王?とやらの存在は知らぬが、雪絵にとっても未知の術式があるようだ。己の勉強不足を痛感する。
またページを捲る。
「『我、天使と邂逅せしめる。眩き光より出る閃光の申し子、荘厳に告げる。悪鬼の戒め時だ、と』」
今度は古に封印されし天使との問答が記録されていた。どうやらこのノートの著者は、夢の中で天使と交信し、魔王復活の予言を聞いたらしい。それを防ぐため、こうして日夜術式の開発に勤しんでいるとか。
「待っ、ほんとに待って隊長!!!」
「ふふふふふふ」
ステラが心底楽しそうに微笑む。
「あ!これどこにあったの?ずっと探してたのに!」
唐突に、華が叫んだ。雪絵からひょいとノートをとりあげ、大層大事そうに胸に抱え込む。
「これ、華の?」
「うん!昔お城の倉庫を漁ってた時に見つけて……。かっこいいでしょ〜!」
自慢のおもちゃを見せつけるように、ノートを掲げる。無邪気に笑う姿は、初対面の頃よりも随分幼く見えた。と言うよりも、これが本来の彼女なのだろう。
焦げ茶色の髪がふわふわ揺れる。髪と同じ色の瞳が緩く細められ、雪絵を映す。
「ええ、かっこいいわ」
「でしょ~!!!私はね……ここのセリフが好き!『汝、力を求める者にあらずか。なれば、何故我の夢を見る。――大義のため。我には民草に尽くす義務がある』……めっちゃかっこよくない!?」
「そうね。この本の作者は、とても情に熱い方なんでしょう」
「だよねだよね!それでね、ついに魔王と邂逅する時に――」
ノートを捲りながら、刻々と時が流れていく。窓から差し込む穏やかな日の光と、家族を慈しむステラの優しい視線。姉弟のじゃれあいのさなかにいながらも、不思議と孤独感はない。ただ、胸の内を温かい何かが満たしていくのを感じる。これはいったい何だろう。花霞にいたころは感じたことなどなかったのに。
(いや……深く考えるのはよそう)
今はただ、過ぎ去る時間が惜しい。いつの間にか雪絵の膝の上に陣取った体温に身を預けつつ、雪絵は再びノートをめくるのだった。
「で、どうなの?情に厚い作者さん?」
「コロシテクダサイ」
思わぬ所で古のノートを奪われた作者殿は、地面に項垂れ撃沈するのだった。




