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皇太子殿下、強く生きる


 シルヴィアの1日は、自室にある窓を開け放つことから始まる。

 聞く人が聞けば、「なんと不用心な!」と吐き捨てられるかもしれない。しかし、これにはのっぴきならない理由があった。

 シルヴィアはの皇太子とという身分ある立場だ。故に自室は城の最上階に設けられている。そしてそこからは、下階にある物置部屋が見えたりする。

 物置部屋……現在、シルヴィアが敬愛してやまない婚約者(仮)が暮らしている部屋だ。

 シルヴィアが目覚めて伸びをした後、必ず雪絵の部屋を見る。

 運が良ければ窓辺で読書をしている姿が見られるし、そうでなくても狭い室内を覗き見ることもできる。雪絵がこの世界に息づいていていることが再確認できるし、生活の残滓を感じられる。世界一幸福な時間だが、姉であるレミリアには「キモイ」と一蹴された。シルヴィアの唯一の楽しみを否定するとは、情緒のない姉を持つと弟は苦労するのだ。それとは対照的に、ステラからは哀れみの目を向けられることが多くなった。物言いたげな表情に、最初は何事かと慌てたものだが、最近は慣れてきたのでお得意の笑顔で返している。

 それはさておき。

 (あれ……?隊長、今日はいないのかな)

 今日も今日とて雪絵の部屋を観察していたシルヴィアは、はて、と首を傾げる。いつもはこの時間なら窓辺で読書をしているはずなのに、姿が見えないのだ。まだ寝ているか、はたまた具合でも悪いのだろうか。後者ならすぐにでも駆けつけねばならないが、今のシルヴィアが行ったところで術式による反撃にあう可能性が高い。

 符力の暴走を抑えてからというもの、雪絵とは何とも言えない関係が続いている。

 シルヴィアが自分を見つめている視線には、おそらく気づいているのであろう。しかし目を合わせることはせず、決まってバツの悪い顔をする。符力を暴走させた後ろめたさがあるのは確かだが、それだけでは言いきれない複雑な思いを抱えているのだろう。

 アルカイダに来てからというもの、雪絵の表情は浮かばない。レミリアやステラと会話している時は多少笑顔も垣間見える。が、シルヴィアとは頑なに話そうとしない。

 花霞から無理矢理連れてきたのだ、嫌われて当然だろう……とは思う。一方で、それだけではないのだとシルヴィアの勘は言っている。だが詮索をしようにも全力で逃げられるので、シルヴィアとしてはやるにやり切れないのだ。

「ただ、あなたに生きていて欲しい」のは紛れもない本心だ。なのに、これを聞くと途端に彼女は表情を歪める。まるで何かを恐れているように。

「理想とともに死ぬ」と彼女は言っていた。

 椿隊の副隊長として数年間雪絵とともに過ごしていたが、彼女の「理想」とやらはシルヴィアにも分からなかった。

 あまり口数が多い人ではないのは確かだが、自分のこととなるとさらに口が堅くなる。何度か聞き出してみようと付きまとったことはあるが、全て術式で返り討ちにされた。こっそり霞京の白の蔵書を漁ったこともあるが、雪絵の過去に関する記述は一切見られなかった。まるで雪絵の存在そのものが触れてはないない存在(アンタッチャブル)のように。

 雪絵の「理想」を暴き、花霞への執着をアルカイダへと移す。自分が彼女の執着そのものになれればなおよし。当面のシルヴィアの目標は、まずは雪絵を知ることだ。

 (そのための観察ですから。……いや、趣味と実益を兼ねて、ね?別に直接害がある訳じゃないし!)

 内心で聞かれてもいない言い訳をし、シルヴィアは邪念を振り払うため大きく伸びをした。頬を軽く叩いて、コーヒーを入れにいく。

 インスタントのコーヒーをちゃちゃっと作り、シルヴィアは頭の中の想い人に思いを馳せる。

 長い黒髪と、こちらを射抜く紅玉の瞳。圧倒的な強さと、凛と澄んだ雰囲気。

 緻密に練られた術式は、研がれた刃に勝るとも劣らぬ切れ味を持ち、その手が鬼を打ち砕く。

 何度思い出しても胸が打ち震え、今すぐに跪きたい衝動に駆られる。

 一口コーヒーを啜る。インスタントらしいチンケな味が口の中に広がり、苦味とともに去っていく。それを噛み締めながら、シルヴィアは脳内の隊長殿に心酔するのだ。

「ぐへ……ぐへへへへ、」

「気持ち悪いでございます」

 ビクッと肩が震える。振り返ると、メイド服に身を包んだ華が軽蔑の眼差しを向けていた。

「ふっふっふ……この俺に向かってそんな口をきけるのは隊長ぐらいだよ」

「笑止千万!片腹痛し!貴様など塵芥の1片に過ぎぬ!とっとと海の藻屑と散れ!!」

「言い過ぎじゃない?」

 ふー、と息を吐いて調子を整えた。皇太子である自分が、メイドとはいえ、いつまでもだらしない姿を見せるわけにはいかない。

「それでどうしたの?華が俺に会いに来るなんて珍しいじゃないか」

「それはですね、」

 ドゴォン!!!

 腹の奥を貫く衝撃と揺れ。レミリアが暴れ散らかしてるのだろうか?と一瞬脳裏を過ぎるも、にしては規模が大きい。

 窓の外を見れば、修練場の辺りから土煙が舞っている。小鳥たちが一斉に羽ばたき、近くの木に身を寄せあっている姿が見えた。

 そこでようやく思い出したのだ。シルヴィアの愛しの隊長は、

「選抜試験……今日かぁ……」

「そういうことです」

 さ、はやく行ってください。メイドにケツを叩かれ、皇太子は修練場に向かうのだった。


 ※


「雪絵殿!もう一度、もう一度だけ手合わせ願えませんか!」

 全身煤まみれの傷だらけ、ついでに頭をアフロにした屈強な男が言った。

 本日何回目かも知らぬ嘆願に、雪絵は露骨に嫌な顔をして見せた。並大抵の人間が見れば大いに恐れおののき、逃げ出す雪絵の必殺技。

 しかしながら。

「もう1戦!もう1戦だけでいいんです!ね?ちゃちゃっとやっちゃってください!!!」

 今度は雪絵と同程度しかない背丈の少年が縋りついてくる。純粋無垢な瞳で見詰められ、居心地が悪いことこの上ない。

「……あなたたち相手だと、ちゃちゃっとじゃ済まない」

 苦虫を噛み潰した顔で雪絵が言えば、

「ならド派手に行きましょう!ドーンとドカーンと!ね?楽しそうでしょ???」

 と言い出す始末。

 どうもすることができず、雪絵は頭を抱えた。


 ことの発端は、選抜試験にまで遡る。

 従来の規定通り、1体1による模擬戦闘試験が実施された。

 城内に設えられた修練場に、新入隊員候補がゾロゾロと並べられていく。収容人数の関係で、今回は地上にある修練場が選ばれたと聞いたのをぼんやり思い出していた。

 (花霞とは熱量の違いが凄いな……)

 新入隊員候補が次々と現役隊員に轢き殺されていく。やはり、現役隊員との実力差は如実であり、素人が1本を取ることはほぼほぼ不可能に見えた。しかしながら、鮮やかに術を決める者、または体術で競り合ってみせる者も少なからずいるようで。流石血気盛んなアルカイダ国民か、と内心感心したものだ。

 そしてとうとう、雪絵の番が回ってきた。

 相手はレミリアの右腕であり、懐刀と呼ばれるノクス・アルベド。いかにも強者らしい筋骨隆々の肉体に、両側を大胆に剃り込んだ髪が特徴的な男だった。

「レミリア隊長の知り合いだか何だか知らねぇが、手加減はしねぇぞ!?」

 と突進してきた男を、雪絵は3秒で瞬殺した。

 より正確には、1秒で術式を展開、相手の体当たりを防護障壁で止めた。残り2秒で昨日仕込んだ圧縮術式(今度は威力重視に設定)をぶっぱなし、男諸共修練場を吹っ飛ばした。

 その場にいた全ての隊員が、度肝を抜かれ硬直。

 唯一、レミリアだけか審判らしく「1本」と合図を取っていた。

 そこからの流れは早かった。

 やりすぎた、と謝罪をしようとした雪絵を、隊員たちが取り囲む。

「ノクス副隊長殿をああも簡単に倒してしまうなんて……さっきの技は何なんですか!?」

 雪絵がたどたどしく説明をすれば、すごいだのなんだの褒めの言葉を惜しみなく寄せられる。

 感嘆の言葉を一通り述べた後は、次々と勝負を挑んできた。

「ぜひお手合わせ願いたい!」

 どうやらアルカイダの鬼狩り部隊において、負けることは恥ではないらしい。

 むしろ負けることで相手の技や知識を吸収し、そこから更にレベルアップを重ねることが重要だと、とある隊員は言った。花霞との差にカルチャーショックなんかを受けつつ、雪絵は勝負を受けた。

「俺、フィオ・オーレンっす!よろしくお願いします!」

 金髪の青年は、光の術式を得意とする術師だった。

 近接戦闘にはめっぽう弱そうだったので、接近戦に持ち込んで術式で焼き尽くした。

「ミスダ・レオリーヌだ。よろしく頼む」

 黒髪の寡黙な戦士は、見た目通り武術に長けた武闘派の人間だった。

 こっちは逆に遠距離攻撃が苦手そうだったので、さっきの圧縮術式を使って吹っ飛ばした。

「えぇ……これ………結果見えてっけど、俺もやるん?」

 短髪に糸目の青年は、乗り気ではなさそうだったが、杖を取ったのでとりあえず術式で吹っ飛ばした。

 彼らが真剣に挑んでくるのだ。その誠意に答えないのはいささか義に欠けていると思ったのだ。挑んでくる鬼狩りの隊員は誰も彼も誠実かつ真っ直ぐな人間ばかり。雪絵を恐れたり、貶したりする者はひとりもいない。その素直さが、少しだけ眩しく見えてしまったのかもしれない。


「頼む!あと1戦、あと1戦だけでいい!」

 派手に負かしたはずの副隊長殿――ノクスに言い寄られ、雪絵は困り果てていた。

 傍から見れば、屈強な男であるノクスが小柄な雪絵を脅しているようにも見えなくは無いが。見た目の割にこの男、芯の通った優しい人間らしい。雪絵の肩を掴む手は優しいし、力加減をしているのがありありと伝わる。

 しかし、雪絵は元来争いを好む人間ではない。ここはどうにか収めて貰わなければ――と悩んでいた時。

 雪絵の肩に、流麗な指先が触れた。

「人の婚約者に気安く触らないで頂けます?」

 いつの間にか、背後にシルヴィアがいた。いつも通り胡散臭い笑顔を浮かべ、穏やかな雰囲気を醸し出している。

 しかし何故だろう。その目の奥はとても笑っているようには見えない。

「……シルヴィア」

「隊長。お人好しは結構ですけど、限度というものがありますよ」

 にっこり。近距離で麗しい笑顔を向けられるも、とても笑ってるようには見えない。

 シルヴィアの圧(?)に押されて、ノクスはようやく手を離してくれた。

「こりゃあ皇太子殿下!わざわざこんな所までご苦労です!」

 ノクスが頭を下げる。他の隊員も一斉にそれに倣った。腐っても皇太子にはそれなりの礼儀があるようだ。

 シルヴィアが片手で顔をあげるよう促すと、皆次々と面を上げた。

「突然すまない。()()婚約者がちょうど選抜試験を受ける日だと聞いてね。いても立ってもいられず飛び出してきてしまった」

「婚約者……?」

 その場の視線が一斉に雪絵に向かう。

 非常に嫌な予感がした。

「ああ。正式な公表はまだなんだが――この人、霜月雪絵は俺の婚約者だよ」

 止めようとするも、時すでに遅し。自信たっぷりにシルヴィアが言い放った。

 ――この野郎、本当にいてこましてやろうか。

 雪絵が術式を展開しかけた時、ノクスはあっさりと言った。

「あ、そうなんですか。道理でお強いわけだ」

 思いのほか反応が軽い。

「それよりあれですよね――霜月雪絵って、花霞の鬼神っすか?」

 金髪の生年がひょっこり顔を出した。

 一気に場がどよめく。

「花霞の鬼神って、あの伝説の術師?」

「向こうの国だと巫って呼ばれてるらしいな。一人で1個大隊レベルの力があるらしい」

「まじか!どーりで強いわけっす……」

 なぜか雪絵の強さの証明になってしまった。

 本当に、誰1人として雪絵を恐れないのだから大したものだ。

 (誰も、私を怖がらないのね)

 心の内がじんわりと温まる心地がする。花霞で疎まれ蔑まれ、恐怖の対象にしかならなかった我が身が、まさか褒められる日が来ようとは。人生とは分からないものだとつくづく思う。アルカイダに来てからは毎日が驚きの連続だ。

 ――こんな日が続けば、と考えてしまう時がある。

 (駄目だ……そんなこと、絶対に許さない)

 この国にのまれてはいけない。

 雪絵の心は花霞と共に。この身は花霞の終わりと共に。遠い昔の誓いは今も雪絵の中に根を張り、雪絵を生かし続けている。

 それを無駄にすることは、あってはならない。

 やんややんやと騒ぐ周囲の空気を閉ざすよう、ゆっくりと目を閉じる。己の内のみに精神が向かえば、他の雑踏など気にはならない。最初から、自分さえあればいいのだ。些細な他人の存在など無視してしまえばいい。

 ぎゅっと胸を握りしめる。大丈夫、自分は何も変わっていないと、今日も己に言い聞かせる。





「まぁ、そういう日もあるって」

 ぽん、肩に手が置かれる感触がした。

 いつの間にか隣に、糸目が特徴的な親友の姿があった。

「……その、婚約者なんだろ?良かったじゃねぇか。大人気で」

 親友が指を指した先には、シルヴィアが敬愛して止まない隊長の姿がある。周囲には鬼狩り連中が群がり、やれ術式のあーだこーだ、やれ花霞のあーだこーだと囃し立てる。

 自分の婚約者がアルカイダに馴染めているのならいい。むしろベストな状況だ。

 いい。

 とてもいい。

 大勢に囲まれて困惑してる隊長かわいい。

 いいけども。

「その人、俺の婚約者だもん!!!」

 皇太子という身分をかなぐり捨て、シルヴィアは床に崩れ落ちた。

 

 

 

 

 

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