第2皇女は推し量る
雪絵がアルカイダに滞在してから、早数日が経過した。
怒涛に過ぎ去る時の流れに翻弄されつつ、雪絵は今日も息をする。不思議とここの空気は、花霞よりも軽く、呼吸が楽に感じるのは気のせいだろうか……と独り耽る。
与えられた個室の窓に腰掛け、雪絵は本を開いていた。
いくら隣国といえど、異国であることに違いはない。文化も違えば風習も違う。それは日常生活の些細なことに現れ、雪絵を困惑させた。
特に食事と、衣服。
花霞において、主食は米、おかずは魚。あとは汁物と副菜などと相場が決まっていた。使うのはもちろん箸で、華美な味付けや盛り付けよりも、素材本来の味を生かした質素なものを好む。しかしアルカイダ国民の食生活は真逆だった。
主食はパン。おかずは肉。味付けはとにかく濃く、ソースやガーリックなどパンチのあるものを好む。食器もカトラリーも派手な装飾で彩られており、雪絵は大いに当惑した。久しく使っていなかったナイフとフォークは大層使いづらく、メインディッシュを吹っ飛ばしたこともしばしば。傍仕えとして任命された華を幾度となく爆笑させ、その度にいたたまれない気分を味わった。
それに加えて、着慣れない洋服が雪絵の意欲を削ぎ落とした。
花霞では和服が国のスタンダード。かく言う雪絵も、着物に身を包むことがほとんどだった故、慣れぬ洋服に裾を踏んですっ転ぶことも多々あった。その度に華に冷笑されること数回。最近ようやくワンピースとやらに着られることなく、着こなす(とまではいかないが)ことができてきた気がする。
パラリ。ページを捲れば、見慣れた文字の羅列が雪絵を出迎える。
(国を超えても……本だけは変わらないのね)
アルカイダに来て初めて自由行動が許された折、真っ先に雪絵が向かったのは城内にある図書館だった。
大国中の大国であるアルカイダの、国主が住まう城の中。期待以上の蔵書はもちろん、花霞でも得られなかった知識の数々が静かに眠っていた。表情にはおくびにも出さなかったが、久しぶりに気分が高揚した。少なくとも1ヶ月は籠って、文字の世界に耽りたい気分だったが、さすがに自重した。華には呆れられたが。
古びた紙の上、刻まれた文字をなぞる。きっとこの著者はもうこの世界にはいないのだろう。彼、ないしは彼女が生きていた頃の魂の喘鳴が、この文字だ。文字とは魂の集合体であり、読書はそれに向き合う儀式に過ぎない。
ありとあらゆるものが目まぐるしい勢いで変わっていく。雪絵も、それを取り巻く環境も。けれど、変わらないものがあることも、またひとつの事実。それが酷く心地よく、嬉しいとも思うのは雪絵だけか。
外には緩く雲が伸びる青空が広がっていた。白と青の対比が、いつ見ても美しく、雪絵の心を癒してくれる。
コンコン。扉がノックされた。
「雪絵ちゃん、いる?」
「……どうぞ」
現れたのは、見事な金髪に紫紺の瞳の美女。アルカイダ帝国の第2皇女、ステラだった。
「読書中にごめんなさいね。……鬼狩り選抜の日程が決まったの。ちょっとお話できる?」
皇帝陛下が出した条件の中に、鬼狩り部隊への加入というものがあった。
『鬼狩り』
その名の通り鬼を狩る専用の機関のことだ。大抵どこの国にも存在し、鬼から国土と国民を守護している。
アルカイダでにおいて鬼狩りとは、皇帝陛下直属の部隊なのだそう。とは言っても皇帝陛下が指揮を執ることは稀で、大抵が部隊長であるレミリアが指揮を執るそうだ。各方面に設けられた情報網から、鬼の情報が入れば討伐に回る。なければ日々鍛錬に勤しむ。言葉にすれば単純な組織だ。
『あなたの強さは十分分かったけど……。他の隊員の手前、無条件で加入ってわけにはいかないわ。数日後に正式な新隊員の選抜試験があるから、まずはそれからね』
苦虫を噛み潰したような顔でレミリアは言っていた。
新隊員の選抜は、まさかの実技試験一強らしい。現隊員との1体1の勝負を行い、1本でも取ることができれば即日入隊が許可される。既にレミリアから1本を取っている雪絵は、本来ならば入隊できて当たり前だが、そこはあくまでも形式上の習わしに従うべきとの判断だそうだ。この国にも形式とかいう文化があったらしく、少しだけ安心したのはここだけの話。
ステラは椅子に座って、懐から書類を取り出した。いつまでも窓辺に座ってる訳にもいかず、雪絵もステラの対面に腰を下ろす。シルヴィアに頼んで1番狭い部屋を私室にできたので、家具も最低限しか置かれていない。伽藍堂のすっからかんな部屋を見ても、ステラが文句を言うことはなかった。
「えっと、鬼狩りの選抜ね。1週間後に試験があって、それに受かれば即日入隊だから、そこだけ注意しておいて。雪絵ちゃんは巫やってたって話だから、術式は使えるのよね?」
「ええ、ある程度は」
レミリアから大方の話は通っているようだ。この調子だと、雪絵に関する情報はあらかた回っていると見ていいだろう。
「おっけー!杖の申請はしてないけど大丈夫?」
「ええ」
「噂通りの自信家ね。ちょっと焼けちゃうわ〜」
なにやら書類に書き込みながら、ステラはボヤいた。
「神様ってのは不平等なものね。私にもその才能、ちょっと分けて欲しいくらい」
「ステラさんは、」
「あら、ステラちゃんって呼んでっていったじゃない」
にこやかに微笑まれた。やはり彼女、笑顔の圧がシルヴィアの比じゃない。
「ステラちゃんは、術者……なの?」
「そうね。一応はそういう括りになるかしら」
書類を整え、クリップで止める。その指先は皇女にも関わらず赤く傷んでいた。爪先はささくれが目立つし、手の甲は乾燥でかさついている。
雪絵は知っている。これは甘やかされるだけの女じゃない、仕事人の手だと。
「えっと、華ちゃんから聞いてるわよね?アルカイダ帝国って、良くも悪くも腕っ節が物を言うのよ。強き者は勝ち、弱き者は負ける。弱肉強食の摂理ってやつ」
左手の薬指に付けられた朱色の指輪を弄る。紫根の瞳が、どこともない空間へ向けられていた。
穏やかな風が室内に流れ込み、ステラの髪を揺らした。物憂げな瞳が風の動きをなぞる。
「だから、どうしても才能とか体格とか……生まれ持ったもので差がでちゃうの。弱いヤツは生きる意味ないとか、排他的になる風習も残ってたりする。……だからえっと、なんの話だっけ?ああ、私も術者だよ!レミー程の力はないけど!」
慌てて手を振り、誤魔化すように笑った。しかし瞬きのあとには、隠し切れない憂いが滲んでいた。悲しみとも、諦観ともとれない不思議な色。その奥には何が秘められているのだろう。
「……生まれつきの才能って、色々あると思う。その中でも、符力ってその割合が多い。私は……普通の人より符力が少なくて。鬼狩りとしては使い物にならないんだ」
「……そうは見えない」
驚いたように目を見開いて、ぷっ、と吹き出して笑った。
「あなたがそれを言うの?」
カラカラと喉を鳴らして、ステラは笑っていた。淑女らしからぬ歯に衣着せない笑い方は、憑き物が落ちたようなきれいな笑みだった。
雪絵がステラと関わった時間はごくわずかだ。それでも、こっちの笑顔の方が好ましいと思ったのは、雪絵の認知が歪んでいるからだろうか。
金色の艶やかな髪が流れ落ちる。かける言葉がなく、その様をじっと眺めていると、さらにステラは笑う。何が面白いのかまったく理解できない。
「シルヴィアが惚れるのも納得だわ。……案外天然ね、雪絵ちゃん」
天然。……資源のことだろうか。だとすれば雪絵は人工に近いと思う。
「ステラさ……ちゃんは、もしかして医者?」
「お、当たり。どうして分かったの?」
小さく首を傾げた。ちょっとした仕草が小動物らしく可愛らしい。
隠す必要もないので、雪絵は正直に答える。
「手が荒れてたのと……術者じゃないって言ってたから」
あとは勘だ、と告げる。「雪絵ちゃんらしいわ」とまた笑われた。
「なるほど。確かに回復術式は符力が少なくても使えるしね」
「それだけじゃなくて、雰囲気とかも……常に冷静で、物事を観察してるようだった」
「あら、ちゃんと見られてたのね、私。てっきり眼中に無いと思ってたわ」
眼中に無いとはこれまた大袈裟な物言いだ。だいたい、晩餐会の時しっかり目が合っているではないか。
表情に出ていたのだろうか。むに、と頬を抓られて、これまた楽しそうに笑われた。皇族というのは、誰も彼も一癖ある奴ばかりだ。
「雪絵ちゃん、どことなくレミーと似てるのよ。符力もそうだけど、性格とか……。強者しか興味ありませんって感じとか?」
「……そんな風に見える?」
雪絵がやや俯くと、「悪い意味じゃないのよ」とすぐさまフォローが入る。別に落ち込んだ訳じゃないが、訂正するのも面倒なので放っておく。
「レミーと戦った時も、少し笑ってたって聞いたから。やっぱり戦うのが好きなのかしら?って思っただけよ。ほら、シルキーとも仲良くしてもらってるみたいだし、ね?」
なぜそこでシルヴィアの名前が出てくるのだろう。
ステラはさも当たり前のようににこにこ笑っている。
「……シルヴィアは関係ない」
「えー?結構相性いいと思うけどなー。私が言うのもアレだけど、顔良し、家柄良し、実力良しの3トップよ?花霞では副隊長も任せてたんでしょう?信頼してるんじゃないの?」
傍目から見ればそう見えるのだろうか。主観と客観のギャップは侮れないと考えつつ、口を開く。
「シルヴィアを副隊長に任命したのは上の判断。彼の実力は信用してるけど、それと個人の好き嫌いは別の話」
「ふーむ。仕事とプライベートは分けるタイプか」
何やら考え込む仕草をしてみせる皇女殿下。
「……シルヴィアは、アルカイダの人間でしょう?」
静かに問えば、パチクリと大きな目を瞬かせた。
「そうだけど……それがどうかしたの?」
「……彼が私にやたら固執するのは、それが理由だと思う」
「???」
頭にはてなマークを浮かべ、ステラは黙り込んだ。四分休符の間黙り込み、途端に何か思いついたように手を叩く。
「もしかして、あなたがびっくりするくらい強いから……その、処刑を止めたと?」
「違うの?」
ステラは再び黙り込んでしまった。間が悪くなってしまうので、仕方なく言葉を紡ぐ。
「アルカイダでは強さこそ全て……なら、強者に執着するのも頷ける。シルヴィアが私を生かそうとしてるのは、その強さが失われるのが損失だと考えているからでしょう」
「……ああ、なるほど、そういう……あれね」
ステラが静かに印を切り、天を仰いだ。
「シルキー、頑張れ……」
新手の宗教がアルカイダにはあるのだろうか。窓の外に写る青空を見ながら、内心思った。




