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断頭台にて



「おい、さっさと立て!」

 思い切り背中を打たれて、霜月雪絵(しもつきゆきえ)は薄く目を開いた。

 体の左側だけやけに冷える。大寒波来たる年末に、温かみのかけらもない床に転がされていれば冷えるなど当たり前。手足にできた霜焼けに顔を顰める。

 視線を上げれば、異物を見る目でこちらを見下ろす男がいた。甲冑を身につけ、片手に薙刀を握っている。

「聞こえねぇのか!」

 ドカ、と再び背中を蹴られ、視界が反転した。今度は男の向こうに無機質な鉄格子が見えた。

 そこでようやく思い出した。ここは獄中だったということに。

「ごめんなさい」

 雪絵はかじかむ体をよろよろと動かす。両手が手錠で拘束されているせいで使えず、ひどく不便だ。少し動くたびに、金属同士がこすれる不快な不協和音。門番が苛立ちを隠さず舌打ちするが、こればかりは雪絵にもどうにもならないのでご勘弁願いたい。

 ギイィ……。

 ゆっくりと鉄格子が開く。

「出ろ」

 門番が雪絵の首につけられた鎖の先を引く。

 薄暗い廊下を引かれて歩く。この季節に素足は毒で、指先の感覚がなくなりそうなくらい冷たかった。

 廊下を抜けると、堅牢な扉が現れた。鉄でできた巨大な扉は、大の男でもそう簡単に開けることは不可能。

 門番が錠に手をかけ呪文を唱える。すると、扉の中央部分に円形の陣が現れた。心臓の鼓動を刻むように、明滅し、やがて吸い込まれるように消える。

 ガコン。陣が消えると同時に扉が開いた。隙間から冷気が流れ込んでくる。

「喜べ。お前の死を、花霞(はなかすみ)の民は待ち望んでおるぞ」

 あけ放たれた扉の先。吹雪が荒れる中、雪絵の首を斬るためだけだけにつくられた断頭台がある。お立ち台のごとくつくられたそれの下には、吹雪にも拘わらず花霞の民が所狭しと見物に来ていた。色とりどりの傘が吹雪の下に揺らめいている。彼らはきっと、雪絵の首が飛ぶのを今か今かと待ち望んでいるに違いない。

 (これで……これでいい。私の人生は、十二分に報われた。)

 断頭台へ、一歩を踏み出す。足が動くたびに死が近づいてくる。おぞましくてたまらないはずなのに、不思議とその感覚が心地いい。なぜだろう。死神が、鎌を振りかざしながらこちらへ向かってい来るというのに。

 荒れ狂う風が雪絵の黒髪を揺らす。つけられた首輪と手錠から氷のごとく冷たさを感じる。それでもなお、雪絵が逃げ出すことはない。

 雪絵は台の前に跪いて首を垂れた。確実に命を絶てるよう、首が固定される。

 カン、カン、カン。三度鐘の音が鳴った。

「これより大逆人、霜月雪絵の処刑を開始する!」

 怒ることも、泣くこともせず雪絵は瞼を閉じる。

 死を受け入れる覚悟はとっくに決まっていた。後悔も未練も、すべて脱ぎ去ったからここにいる。雪絵に思い残すことは何もない。

 ただ一つ、最後にいえることがあるのなら。

(あいつに……ありがとうくらい言っておけばよかった。)


 ※


 「これから鬼狩りですか、隊長」

 秋の終わりとも、冬の始まりとも言えない曖昧な頃。そろそろ冬物の厚着を引っ張り出しておかないと、と考えていた矢先のこと。隊舎の廊下を歩いていると、後ろから声をかけられた。

「……」

 声の主は振りかえずとも分かる。どうせ雪絵の後ろには、胡散臭い笑みを浮かべた異国の美丈夫がいるに違いないのだ。

「お一人ですか?まだお上から指令は来ていないはずですが」

「……」

 カツン。ブーツの踵を鳴らして、そいつは姿勢よく雪絵の前に立ち塞がった。

 白金の艶やかな長髪が肩から流れ落ちる。やや視線をあげれば、これまた宝石に勝るとも劣らない紺碧の瞳とカチ合った。目尻にある泣きぼくろが視界に入る度、刀で斬り殺したい衝動に駆られるのはここだけの話。

 黙っていれば美形と称される顔立ちは、花霞の民にももっぱらの評判と噂されているらしい。雪絵としては、男とも女ともつかぬ妙ちきりんな風体が忌々しいだけである。

 その忌々しい動く泣きぼくろ――椿隊副隊長、シルヴィア・レイ・ヴィクトールは、柔和な笑みを顔面に貼り付けたまま、雪絵にずいっと顔を寄せた。

「お供します」

「死ね」

 間髪入れずに雪音は抜刀。シルヴィアの首を両断せんと刃を振るう。

 一瞬の駆け引き。剣の達人と称される雪絵の太刀筋を、間合いの中にいるシルヴィアが避けるのは不可能。奴も刹那の合間に悟ったようで。

 ギィン!鈍い音と同時に、刃から火花が散った。にこにと微笑したまま、シルヴィアはピクリとも動かない。

 六角形型の障壁が刃を受け止めていた。雪絵の攻撃を事前に予測していただろうこの男は、予め防御障壁を展開していたらしい。それも雪絵が狙うであろう首元に。

 チッ、零れる舌打ちを隠しもせず、刀を腰に収める。

「酷いじゃあないですか、隊長。俺じゃなきゃ死んでますよ」

 どうせ死なんだろお前。

「まぁ死にませけど」

 防護障壁ごと叩き斬ってやろうか。

 雪絵の心中を他所に、まぁまぁ落ち着いて、どうどう、などとふざけたことを宣いやがる部下様に、雪絵は本気で爆裂術式でも叩き込んでやろう思った。実際に行動に移さなかったのは、建物への被害を最大限に考慮したからである。

 構うのも時間の無駄なので、雪絵はそのまま歩き始めた。シルヴィアは従順な従者のように後に続く。

「今日はあれですか?近頃うちで悪さをしてる『屍喰らい』の討伐ですか?どうせ数日もすればお上から正式に指令が下るでしょうに、なぜ今動くんです?」

『屍喰らい』。それが、今回の出没した鬼につけられた2つ名だった。

 古より、鬼は大陸に住まう。

 我が花霞皇国が興隆する以前から、鬼は大陸中に現れ人に害を為してきた。畑を荒らし、家畜をくらい、時には人までも喰らった。黒い影のようにゆらゆらと揺れる亡霊は、人間社会に甚大な被害をもたらし、後には荒野を残して消えていった。

 その悪鬼どもを蹴散らすが、雪絵ら(かんなぎ)に与えられた役目。

「……」

「もしかして、被害地域にいる人民の皆様をお気遣ってのことです?ははは、そりゃやめといた方がいいですよ。『鬼神』のあなたが討伐に行っても、逆に怯えられるのが関の山、」

 キィン!甲高い音が響くと同時に、シルヴィアの身体が目の前から掻き消える。

 次の瞬間には、ドゴンと派手な効果音を伴って壁にめり込んでいた。ご自慢のご尊顔は壁をぶち抜いて向こう側。いい気味だ、と雪絵は内心嘲笑する。

 シルヴィアが吹っ飛ばされたのも壁にめり込んだのも、もちろん雪絵が放った術式によるものだ。

 とは言っても、そう難しいものではない。コツを掴めば修練生でも簡単に放てる技である。

 体内にある符力をありったけのかき集め、術式に流し込む。そして流し込まれた符力を、

 これまたありったけ圧縮。さらに圧縮。もういっちょ圧縮。

 雪絵が放ったのは、いわば圧縮されまくった符力の塊である。

 それが銃にも劣らぬ威力を誇るのは、ひとえに雪絵の符力量がずば抜けているからであり、そこらの人間が同じ術式を行使しても豆鉄砲程度にしかならない。

 つまり、これは雪絵が編み出した高威力かつ高い殺傷能力を持つ――超絶脳筋術式なのである。


 一般人が受ければ肉は諸共骨ごと砕けてお陀仏のはずだが、それは腐っても副隊長。肉どころか原型を留めているのはさすがの頑丈さだ。雪絵は内心舌を巻いた。

 これで邪魔いなくなった。やや晴れやかな心持ちで、土ぼこりに汚れた廊下を歩き出す。

「痛いじゃないですか隊長」

 前言撤回。ちっとも気分は晴れやしない。

 本日何度目かの抜刀。くるりと持ち手を変え、愛刀に謝罪。柄を握るって思いっきり壁へとぶん投げた。あわよくば、奴の心臓に突き刺さることを願って。

「だから痛いですって」

 ズポッ。壁から頭を引き抜き、背後に防護障壁を展開。愛刀は障壁にぶつかって悲しげな金属音を響かせた後、哀愁を伴って床に落下した。

 シルヴィアは髪にかかった土埃を手早く払う。やれやれとばかりに肩をすくめて雪絵の愛刀を差し出した。

「どうしたんです?いつにも増して殺気立ってるじゃないですか」

「……」

 打って変わって心配げな眼差しを向けられると、一気に調子が狂う。苛立ちに唇を噛み、雪絵は黙り込んだ。

 普段より気が立っている自覚はあった。それをシルヴィアにぶつけている自覚も。だがそれを正面から認めてしまうと、まるでシルヴィアに甘えているようで癪なのである。ついでに子供じみた己の言動を寛容に受け止めているこいつに、器の大きさで負けた気がするのだ。椿隊の隊長として、部下である副隊長に負けるわけにはいかない。

 沈黙が辺りを包む。シルヴィアが引く気配はない。

「……指令は、下らない」

 シルヴィアが眉をひそめた。

「なぜです?」

「……」

 雪絵は言葉に詰まる。

 事情を話せば、シルヴィアを巻き込むことになってしまうと、分かっていた。

 いくら小憎らしい部下とはいえ、雪絵個人を標的とした()()に部下を巻き添えにするのは気が引ける。それに一度懐にこいつを入れてしまえば、二度と追い出すことは不可能だろう。自分でない他者を心のうちに入れる。たったそれだけのことがひどく恐ろしい。

 いつまで経っても、雪絵は他者との在り方が分からないままだ。

「お上は……辺境の小さな村まで救おうとしない」

 紺碧の瞳が鋭く細められる。

「今に始まった話ではないでしょう」

「そうね」

 刀を鞘に収め、雪絵は行く。

 シルヴィアはついてこなかった。雪絵の後に続くことが、何を意味するのか理解しているようだ。

「お上が張った罠に、わざわざ飛び込むのですか」

 左腕がきつく掴まれた。

 振り返れると、シルヴィアが酷く顔を歪めていた。今にも泣き出してしまいそうに見えた。

「あなたが無辜の民を放っておけないことも、お上連中は知っています。これは、旧政権の生き残りであるあなたを抹殺するための罠です。こんな見え見えの罠にかかりにいくなんて、あなたらしくないじゃないですか」

 優秀な部下は、雪絵の事情をよく知っていた。

 きっと調べたのだろう。数年前に新体制となった花霞皇国において、旧政権派の人間はほぼ斬首か火刑に処された。雪絵はその中でも稀有な生き残りである。

 旧政権が転覆してからはや数年。新たな政権を樹立したお上にとって、雪絵はさぞかし目障りだったことだろう。その間、雪絵が生き延びることができたのは、一種の奇跡のようなものかもしれない。だからこそ、近々己の身に何かが起こるであろうことは察していた。

「……潮時だと思うの」

「俺は納得してません」

 食い下がらない。

 暴力を使って言いくるめることは容易い。現に雪絵は何度もそうしてきた。圧倒的な力の前には、どんな小細工も駆け引きも意味をなさないから。

 それでも掴まれた手を振り払わないのは、雪絵の未練……なのかもしれない。

「隣のアルカイダ帝国なら罪人の身でも匿ってくれるでしょう。今からでも手配は間に合います」

 暗に自分が手配する、とシルヴィアは言っている。罪人の逃亡に手を貸せば、シルヴィアとて無傷では済まないだろう。最悪極刑もあり得ると言うのに。

 そこまでして、なぜ彼は自分に手を貸すのだろう、と雪絵は思う。上司だから、とか分かりやすい理由はいくらでも考えられる。けれど、シルヴィアの目にはそのどれもが当てはまらないと如実に語っていた。

 ただ単に、死んで欲しくない、と。

 雪絵はそっと目を伏せる。

「要らない」

「……あなたを欲する国は数多ある。花霞(ここ)でなくとも生きていくには容易なはず」

 何故そこまでして、この国にこだわるのです。言外にそう問われているのだろう。

 雪絵はしばし黙考し、簡潔に答えた。

「私は、この国の民とともに。」

 軽く腕を払えば、掴まれた左手はいとも容易く解放された。

「隊長!」

 呼ばれた声に、雪絵が答えることはなかった。

 行く先は決めた。己の行く末はもう分かっている。雪絵の足が止まることはない。

 未練がましく己を見つめる視線に気付かぬ振りをして、雪絵は進み続ける。

 静かな冬の始まりは、粛々と雪絵を包んでいた。けれど、季節の終わりに雪絵いることはない。最後に雪でも拝めれば幸せだ、ひとり思う。この名に相応しい冬の日に散ることができれば、自分はもう何も望むまい。


 そう思っていたのに。

 

 ※


「お待ちください」

 凛と澄んだ男の声に、民衆がどよめく。今まさに私の首を両断せんと振り下ろされた刃が、術式により粉々に砕かれたのだ。

 雪絵は瞠目した。その声に、嫌なくらい聞き覚えがあった。

「き、貴様椿隊の……どういうつもりだ!事と次第によっては、お主とて容赦はせぬぞ!」

 恐る恐る雪絵は顔をあげる。吹雪のせいで視界が悪く、姿見がよく見えない。

「まったく。これだから近代化もしてない猿は嫌なんです。モノの価値というものもまるで理解していない」

 断頭台の上に澄ました顔で佇む男。流れる銀髪にサファイアの色。散々目にしてきた色彩が、酷く異質なものに見える。

 だって彼が、ここにいていいはずがないのだ。

「すみません隊長。これは俺のわがままです。あなたに、死んで欲しくない」

 雪絵の肩に手を触れ、こっそり耳打ちする。一際大きく息を吸いこみ、シルヴィアは大声で言い放つ。

 

「――花霞の民よ!この処刑、アルカイダ帝国が第一皇子、シルヴィア・ヴィク・アルカイダが取り消させてもらう!」


 この場にいる全ての人間が息を飲んだ。一コマ遅れてざわめきが広がる。壇上の処刑人でさえ目をひん剥いて尻もちをついた。かく言う雪絵もそうだ。

 シルヴィアが、アルケイド帝国の第一皇子?この処刑を取り消すだと?

 不可能だ、と率直に思った。仮にシルヴィアが本物の皇子だとしても、他国の事情に易々と首を突っ込んでいいわけが無い。事が事であるが故、下手したら両国の安寧が脅かされない。

 皆が絶句する中。シルヴィアは得意顔で、特大の爆弾を撃ち込んだ。


「――霜月雪絵は、私の未来の妃として、我がアルカイダ帝国に迎え入れる!」

 

 

 

 

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