はじめての筋トレと、ほんの少しの変化
筋トレのあのぷるぷる効いてる瞬間、なんとも言えない感じですよね・・・(伝われ)
一週間後の朝、
クラリス・ベリントン(かなりぽっちゃり)は鏡の前で自分の顔をまじまじと見つめていた。
(……あれ? 前より……おでこ、ちょっとだけテカってないかも?)
脂ぎっていた額が、ほんのわずかではあるが落ち着いている気がする。
頬の赤いニキビも、うっすらと色が引いたような、そんな気がした。
(まさか……いや、でも
毎朝のウォーキングと、食事も変えて……これって、効果出てきたってことなのかな?)
鏡越しに映るまだまだふっくらとした丸顔に、うっすらと笑み(むっちり)が浮かぶ。
毎朝の運動はもう日課となり、今では使用人のマーサが水筒を持って同行してくれるようになった。庭師のニックは、クラリスのいつもの休憩ポイントに、新たに花壇を設置してくれたりもしている。
「お嬢様、そういえば最近、頬の吹き出物が減ってきたような……」
「えっ、マーサもそう思う? ・・・・嬉しいな」
体重計なんて洒落た道具はこの世界にはない。
だが、身体の重さや肌の調子、そしてなにより、心の軽さで、実感する。
クラリスは、確かに変わり始めていた。
――――――――
そして次の日、
「お父様、お願いがありますの」
クラリスの父、ベリントン伯爵――王都で軍務を司る将軍職に就く重鎮であり、国家の防衛を担う存在。
その厳格な性格から家族とすら距離を取ることが多く、特にクラリスとは長らく会話すらなかった。
――だがそれには、理由があった。
クラリスの母は、彼女が幼い頃に重病でこの世を去っている。
以来、ベリントン伯爵は仕事に邁進・忙殺される一方で、愛する娘に寂しい思いをさせまいと、クラリスの欲しがる物を、おもちゃから食べ物から、何から何まで全て、与えるようにしてきた。
娘がどんどんどんどん巨体になっても見て見ぬふりをして――――
「こんな、つもりはなかったのだがな……」
それは、後悔にも似た呟きだった。
父親として何かしてやりたかった。
娘の笑顔が曇らぬようにと、望むものは何でも屋敷に揃え、菓子でもドレスでも何でも与えた。
結果、クラリスの横幅の成長に気づかぬふりをしていたのは、自分の方だったのかもしれない。長らくクラリスの「お願い」の言葉も聞いていないような気がしていた。
そんな彼が、久しぶりに娘と向き合ったのが、クラリスの今回の「お願い」だった。
「騎士団の訓練を見学したいと? ……珍しいことを言う」
「体を鍛えるためのヒントを得たくて……騎士団の皆様の鍛錬から学びたいと考えたのです」
今までとは異なったクラリスの真剣な眼差しに、ベリントン伯爵は静かにうなずいた。
「いいだろう。明朝、騎士団の訓練場を見学できる場所へ案内させよう」
――そして翌日。
早朝の騎士団訓練場。
朝露の残る石畳の上に、甲冑を着けた騎士たちがずらりと並び、鍛錬に汗を流していた。
クラリスは石柱の陰から、食い入るようにその様子を見つめる。
(すごい……体幹の鍛え方がまるで違う!無駄がないし、動きに“芯”がある)
彼らの訓練の中で、クラリスが特に注目したのは“体の軸を意識する動作”だった。
(前世でも、こういうのあったな。
たしか、重心を意識したスクワット、プランク、体幹トレーニングのような……)
幸いにも訓練場は広く、クラリスが今見ている場所はちょうど騎士たちから見えない背後に位置している。
誰も気にしないだろう、そう考え、柱の陰でそっと実践してみることにした。
まずは姿勢。
背筋を伸ばし、足を肩幅に広げて、膝を曲げる。
「ふ、っ……ぅ、私、体、重……っ」
大きな身体を支える脚が、ぷるぷると震える。
それでも、クラリスはやめなかった。
(10回、3セット……深く、呼吸はとめない……)
ぐっしょりと汗をかきながら、脚を曲げ伸ばす。
前世の失敗を思い出す。
(あの時は、無理して膝を痛めたっけ……でも今度は、ちゃんと正しいやり方で、騎士様たちをよく見て…)
次に、石柱に手をついての腕立て伏せ。
「ん……ぐ、っ……っ、く……!」
呼吸が乱れ、腕に体重がのしかかり、鉛のように重い。
そんな感じで石柱の陰で、
見よう見まね筋トレをしていたクラリスだったが…
「……なにをしている、令嬢がこんな場所で」
背後から、低く、よく通る声が響いた。
クラリスが驚いて振り返るとそこには――
王太子付き騎士団副団長、リュカ・シュトラウス。
冷たく整った顔立ちに鋭い金の瞳。剣を携えた立ち姿は、まるで物語から抜け出した騎士そのものだった。
(やばい、見られちゃった……!)
侯爵家の次期当主でありながら、
騎士団内の剣術大会で優勝したことで、世代No.1の評判とあまたの貴族令嬢の視線をほしいままにしている美貌の騎士。
恋愛のれの字もおでぶ令嬢クラリスでもさすがに知っているくらい、王国期待の星である。
そのリュカの登場に、クラリスは慌ててカーテシーをとる。
「す、すみませんっ、こんなところで私……っ」
慌てるクラリスをよそに、リュカは興味深そうにクラリスの足元と汗まみれの姿を見つめた。
「訓練場に令嬢がいるのを見つけて……何をしているかと思って来てみれば、筋トレを…していたのか?」
「は、はい、お見苦しいところをお見せし申し訳ございません、あ、あの、すすすすぐに去りますので・・・!」
「いや、止めろとは言っていない」
「え…?」
リュカは口元をほんの少しだけ緩める。
だがそれは笑いではなく、評価するような、観察するような視線。
「……その汗、飾りではなさそうだな」
そう言い残して、彼は去っていった。
クラリスはその場にしばらく座り込んだまま、真っ赤な顔で固まっていた。
(なに・・・今の?あれ…?やめなくて、いいの?)
その夜。
肌を撫でてみると、むっちりもっちりではあるが、べっとりではなくなっている。
昨日よりなめらかになった気もした。
頬の赤みはほんの少しだけ、目立たなくなっている。
(頑張ったぶん、ちゃんと応えてくれるんだ)
心臓の高鳴りが、まだ止まらなかった。
でもそれは、息切れではなく――
ほんの少しだけ、嬉しさのせいだった。
(明日も、頑張ろう)
クラリスは小さく、でも確かに微笑んだ。




