第6話:相棒は、秘密にしておきたい
クロを拾ってから、一月が過ぎた。俺の穏やかなスローライフに、小さな相棒がいる日常がすっかり溶け込んでいる。
クロは、とんでもない生き物だった。子猫ほどの大きさしかないくせに、その魔力はそこらの魔獣など比較にならないほど強大だ。おまけに、生まれつき『隠匿』の能力を持っているらしく、その気になれば完全に気配と姿を消すことができる。まるで俺の『隠密魔法』のようだ。
日中は、俺が菜園で土いじりをしている傍らで日向ぼっこをし、夜は俺のベッドで丸くなって眠る。時折、姿を消しては屋敷の中を探検しているようだが、悪さはしない。俺にとっては、前世で飼うことのできなかった愛猫であり、心を許せる唯一の相棒だった。
問題は、この最強の相棒を、いかにして周囲に隠し通すかだ。
「まあ、アイリス。その黒猫ちゃんはどこから来たのですか?」
ついに、母に見つかった。温室でクロを膝に乗せて読書をしていたところを、お茶を運んできたママに発見されてしまったのだ。
「ええと……その、拾いました」
「まあ、可愛らしい。お名前は?」
「……クロ、です」
俺は覚悟を決めた。ど天然な両親とはいえ、ドラゴンの幼体を見れば何かしら騒ぎになるだろう。しかし、母の反応は俺の予想の斜め上をいった。
「クロちゃん! なんて素敵なんでしょう! アイリスに可愛いお友達ができましたわ!」
母はクロを抱き上げると、その頬に自分の頬をすり寄せた。クロも満更ではないのか、ゴロゴロと喉を鳴らしている。どうやら母の目には、この漆黒の鱗を持つ小さなドラゴンが、ただの少し珍しい黒猫にしか映っていないらしい。
(……まあ、いいか)
俺は深く追求するのをやめた。こうして、クロは「アイリスが拾ってきた可愛い黒猫」として、アルトス公爵家に正式に迎え入れられたのである。
しかし、平穏は長くは続かなかった。
その日、アルトス公爵家には、遠縁の親戚である子爵夫人が訪れていた。客間のテーブルには紅茶と焼き菓子が並び、優雅な午後のティータイムが流れている。俺は公爵令嬢として完璧な笑みを浮かべ、夫人の退屈な世間話に相槌を打っていた。クロは俺の足元で、姿を消して丸くなっている。
「それで、うちの息子が魔法騎士団の試験で……」
夫人が自慢話を始めた、その時だった。彼女が手を伸ばしたティーカップが、ふわりと宙に浮いたのだ。
「きゃっ!?」
悲鳴を上げる夫人。俺は即座に状況を把握した。クロの仕業だ。おそらく、俺の足元で寝ぼけて、無意識に魔力を使ってしまったのだろう。
(このままでは、ただの魔法現象では済まされない……!)
俺は咄嗟に行動を起こした。
「まあ、大変! 窓が!」
俺は大きな声で叫びながら、客間の窓を指さす。全員の視線が窓に集まった隙に、俺は魔力を極細の糸のように操り、浮遊するティーカップをそっとテーブルに戻した。前世で、敵の仕掛けたトラップワイヤーを無効化する際に使った技術の応用だ。
「風が強かったようですわね。驚かせてしまって、申し訳ありません、夫人」
俺が何事もなかったかのように微笑むと、夫人は「い、いえ……わたくしこそ、取り乱してしまって……」と顔を赤らめた。侍女が新しい紅茶を淹れ、場は何とか収まった。
その夜、俺は自室のベッドで眠るクロの小さな頭を撫でながら、深くため息をついた。
「お前の力を隠し通すのは、骨が折れそうだ……」
クロは幸せそうに寝息を立てているだけだ。その無防備な姿を見ていると、自然と口元が緩む。
(だが、悪くない)
誰かを守りながら過ごす穏やかな日々。それは、少しばかりのスリルと引き換えにしても、手放すには惜しい宝物だった。
「さて、明日はアカデミーの入学案内が届くんだったな……」
14歳になれば、俺も王立魔法アカデミーに入学しなければならない。そこは、俺のスローライフ計画における最大の難所だ。
俺は腕の中に小さな温もり(クロ)を抱きしめ、来るべき波乱の日々に思いを馳せる。
「お前がいれば、まあ、なんとかなるか」
その呟きは、誰に聞かれることもなく、静かな夜に溶けていった。