第39話:逃亡者は、フライパンで迎撃する
ガランド教授の部屋から証拠を盗み出した翌日。
俺たち秘密同盟は、教授が動き出すのを待ち構えていた。裏帳簿が消えたことに気づけば、彼は必ずボロを出すか、組織へ逃亡を図るはずだ。
そして、その時は予想以上に早く訪れた。
午後の授業中。突然、校舎の一角で爆発音が響き渡ったのだ。
「きゃあああ! 何!?」
「実験室だ! 火事だぞ!」
生徒たちがパニックに陥り、廊下へとなだれ込む。
(……やったな、爺さん)
俺は人混みに紛れながら、冷ややかな目で爆発の方角を見た。これは陽動だ。騒ぎに乗じて、学園から脱出するつもりだろう。
俺の耳元のピアス型通信機から、セオドア殿下の緊迫した声が届く。
『アイリス! 実験室で召喚獣が暴走している! 僕とリュシアンで食い止める。君は裏口へ回れ! ガランド教授が逃げるぞ!』
「了解」
俺はスカートの裾をひるがえし、生徒たちの流れとは逆方向へ走った。
◇◇◇
アカデミーの裏口へと続く、人通りのない渡り廊下。
俺がそこへたどり着いた時、大きな鞄を抱え、脂汗を流して走ってくるガランド教授の姿があった。
「はあ、はあ……! くそっ、誰が帳簿を……!」
彼は焦りのあまり、周りが見えていない。
俺は廊下の真ん中に立ちはだかった。……ただし、手ぶらではない。
俺の右手には、直前の調理実習で作ったばかりの『特製ふわとろオムレツ』が乗った皿。
左手には、まだ熱を帯びた重厚な鉄製のフライパンが握られていた。
(せっかくのオムレツが冷めてしまう。さっさと片付けよう)
俺が教授の前に姿を現すと、彼はギョッとして足を止めた。
「き、貴様は……アイリス・フォン・アルトス!?」
そして、彼の顔に卑劣な笑みが浮かぶ。
「そうか、あの王子たちのお気に入りか! ククク、いいところに来た! 貴様を人質にすれば、あの王子どもも手出しできまい!」
教授は杖を構え、詠唱を始めた。
「動くな! さもなくば、その美しい顔を炎で焼くぞ!」
放たれたのは、中級攻撃魔法『ファイアボール』。至近距離からの直撃コースだ。
普通の令嬢なら、悲鳴を上げて腰を抜かすところだろう。
だが、俺にとってそれは、料理の火加減調節よりも簡単な相手だった。
「……あ」
俺は棒読みで声を上げ、左手のフライパンを顔の前に掲げた。
カァン!
硬質な金属音が響く。
教授が放った炎の魔弾は、フライパンの底に当たり、まるでテニスボールのように弾き返された。
「なっ……!?」
教授が目を見開く。弾かれた炎は、彼の足元の床を焦がした。
「ああっ! 大変! 怖くてつい手が滑ってしまいましたわ!」
俺は「恐怖でパニックになった令嬢」を演じながら、さらに一歩踏み込む。
「来ないでくださいまし! わたくし、怖いですの!」
俺は叫びながら、腰の回転と遠心力を最大限に乗せ、フライパンをフルスイングした。
ブンッ! という風切り音。
それは料理道具の速度ではない。攻城兵器の一撃だ。
ガゴォンッ!!
重厚な鋳鉄の底が、ガランド教授の側頭部にクリティカルヒットする。
「あ、が……」
教授は白目をむき、きりもみ回転しながら廊下の壁に激突。そのままズルズルと崩れ落ち、ピクリとも動かなくなった。
「……ふう」
俺はフライパンの底を確認する。凹んでいない。さすがはドワーフ製の高級品だ。
そして、右手の皿を見る。オムレツは微動だにせず、ふわとろの形状を保っていた。
「完璧だ」
俺が満足げに頷いていると、廊下の向こうからセオドア殿下とリュシアンが駆けつけてきた。
「アイリス! 無事か! 教授は……」
二人は、壁際で伸びている教授と、フライパンを構えて仁王立ちする俺とオムレツを見て、絶句した。
「……アイリス。それは?」
「調理実習の帰りでしたので。つい、うっかり手が滑って」
「手が滑って、人を壁にめり込ませる令嬢がいてたまるか」
殿下は頭を抱えたが、リュシアンは腹を抱えて笑い出した。
「ははは! 最高だよ、アイリス! フライパンで魔法使いを撃退するなんて、歴史上君だけだ!」
◇◇◇
結局、ガランド教授は駆けつけた騎士団に引き渡された。所持品からは『古き盟約』との繋がりを示す決定的な証拠が出てきて、言い逃れようのない逮捕となった。
だが、翌日のアカデミー新聞の見出しは、またしても俺の頭を悩ませることになった。
『悪女の鉄槌! 愛の力で凶悪犯を撃退! その武器は愛のフライパン!?』
記事には、「王子たちを守るため、か弱い乙女が勇気を振り絞ってフライパンで応戦した」という、嘘ではないが何かが決定的に間違っている美談が綴られていた。
「すごいですわ、アイリス様!」
リヴィアが目をハートにして駆け寄ってくる。
「愛する殿下のためなら、なりふり構わず戦うそのお姿……これぞ『戦う悪女』ですわ! わたくし、一生ついていきます!」
周りの女子生徒たちも、なぜか尊敬の眼差しで俺を見ている。中には、護身用にフライパンを鞄に入れている生徒まで現れる始末だ。
「……違う。俺はただ、オムレツを守りたかっただけなんだ」
俺の悲痛な独り言は、誰の耳にも届くことはなかった。




