第37話:優等生は、仮面を脱ぎ捨てる
王子の絶叫が、夕暮れの空に吸い込まれて消えた。
跳ね橋の上には、気まずい沈黙……ではなく、セオドア殿下の終わらない質問攻めが渦巻いていた。
「待て、待て待て。整理させてくれ。君が『影』? あの、単騎でドラゴンを退けたと噂される?」
「……はい」
「先日のシャンデリア落下事件で、犯人を特定し、自白させたのも?」
「……まあ、はい」
「僕が中庭で襲われた時、植木鉢を割って暗殺者を追い払ったのも?」
「……あ、あれは偶然のドジっ子を装いましたが」
「ドジっ子なわけあるか! あのタイミング、完璧すぎたぞ!」
殿下は頭を抱えてうずくまった。
「くそっ……。僕は、国の最高戦力に向かって『僕が守る』とか言っていたのか……。なんというピエロだ……恥ずかしい、穴があったら入りたい……」
耳まで真っ赤にして悶える殿下。その姿は、いつもの冷徹な王子の面影もなく、ただの年相応の少年そのものだった。
そんな俺たちの様子を、リュシアン――ルミナリア王国のルシウス王子は、穏やかな笑みを浮かべて眺めていた。
「仲がいいですね、お二人は」
「どこを見てそう思うんだ」
俺と殿下の声が重なる。リュシアンは「ふふっ」と笑うと、表情を引き締めた。
「さて。長居は無用です。追手が来る前に場所を変えましょう」
◇◇◇
俺たちが移動したのは、商業区にあるセオドア殿下の隠れ家だった。
粗末な外見とは裏腹に、内部は最新の魔道具で防音と結界が施されている。
ソファに向かい合って座ると、リュシアンが重い口を開いた。
「改めて自己紹介を。僕はルシウス・エル・ルミナリア。ルミナリア王国の第三王子です。……もっとも、今は国を追われた反逆者扱いですが」
彼の語った内容は、想像以上に深刻だった。
『古き盟約』。
各国の歴史の裏で暗躍してきたその秘密結社が、数年前からルミナリア王国の中枢に入り込み、洗脳と脅迫によって実権を握ってしまったという。
「父王も、兄たちも、奴らの操り人形です。僕は『真実の瞳』のおかげで洗脳を免れましたが、気づいた時には城を包囲されていました。命からがら逃げ出し、この国へ助けを求めに来たのです」
リュシアンは拳を握りしめる。
「セオドア殿下、あなたの国も、内側から食い荒らされようとしている」
「……セラフィーナ嬢の一件も、その布石か」
殿下が鋭い眼光を放つ。
「ええ。奴らは手始めに、学園の有力貴族を取り込み、次期国王候補であるセオドア殿下を排除、あるいは傀儡にしようとしているのでしょう」
話を聞き終えた殿下は、腕を組み、俺の方を見た。
「アイリス。君はどう思う? 『影』として」
「……辻褄は合います」
俺は淡々と答えた。
「先日、情報屋から得た情報とも一致します。敵の目的は、大陸全土の支配構造の書き換え。放っておけば、私のスローライフどころか、この国自体が焦土と化すでしょう」
「スローライフが基準なのか……」
殿下は呆れたように呟くが、すぐに真剣な顔に戻った。
「分かった。ルシウス殿下、我が国は貴殿を保護し、共に『古き盟約』と戦うことを約束しよう」
「感謝します!」
「ただし」
殿下は人差し指を立てた。
「条件がある。……アイリスの正体については、他言無用だ。彼女が『影』であると知られれば、国内のパワーバランスが崩れる。何より……」
殿下はちらりと俺を見て、苦笑した。
「彼女の『平穏に暮らしたい』というささやかな願いを、これ以上壊したくない」
その言葉に、俺は少しだけ目を見開いた。
正体を知ってもなお、彼は俺を化け物扱いせず、俺の願いを尊重しようとしてくれている。
(……律儀な人だ)
胸の奥が、ほんのりと温かくなる。
「もちろんです」
リュシアンは深く頷いた。
「彼女は僕にとっても命の恩人。その秘密は墓場まで持っていきますよ」
こうして、三国間の……いや、三人の間の秘密同盟が結ばれた。
表向きは、アカデミーの生徒たち。
裏では、国を救うための秘密工作部隊。
「頼もしい限りだ。最高戦力のアイリス。そして……」
リュシアンが殿下を見て、にっこりと笑う。
「最高のスポンサー兼、アイリス嬢の『番犬』であるセオドア殿下」
「誰が番犬だ、誰が」
殿下の額に青筋が浮かぶ。
◇◇◇
密談を終え、俺たちがステラ寮に戻ったのは、完全に日が落ちてからだった。
リュシアンとは途中で別れ、俺と殿下は二人で寮の門をくぐる。
「……今日は、疲れたな」
「ええ、本当に」
どっと疲れが出た。デートのふりをして出かけ、襲撃を受け、正体がバレて、秘密結社と戦う同盟を結ぶ。濃厚すぎる一日だ。
「だが、悪くない一日だった」
殿下が、不意に足を止めて言った。
「君の正体を知れてよかった。……正直、君の実力には薄々気づいていたが、まさか『影』だとはな。敵わなくて当然だ」
彼は吹っ切れたような顔で笑う。
「これからは、変に隠し事をしなくていい。背中は君に預ける。だから君も……たまには、僕を頼ってくれ」
「……殿下」
「『影』としてではなく、アイリスとしてな」
その言葉は、どんな甘い愛の囁きよりも、今の俺の心に響いた。
「……善処します」
俺が素直じゃない返事をすると、彼は満足そうに頷いた。
いい雰囲気で寮に入ろうとした、その時。
「ああっ! アイリス様! それにセオドア殿下!?」
エントランスホールで待ち構えていたリヴィアが、俺たちを見つけて駆け寄ってきた。
「遅かったですわね! デートはいかがでしたか? リュシアン様とはうまくいきましたの?」
彼女の目は爛々と輝いている。
「ええと、それは……」
俺が言い淀んでいると、リヴィアは俺と殿下の距離の近さに気づき、ハッと息をのんだ。
「ま、まさか……リュシアン様とデートをした後に、殿下と夜のお散歩……? そ、そしてその空気感……」
彼女の脳内で、何かが爆発的な化学反応を起こしたようだ。
「……三角関係どころか、お二人とも手玉に取るなんて……! アイリス様、なんて罪な女性なの……! これが『悪女』というものですのね……!」
リヴィアは感動したように震えている。
(……違う。断じて違う)
俺は本日最後のため息をついた。




