第22話:ご褒美は、伝説のスイーツ
混乱が支配する聖菓祭の会場。その喧騒を切り裂くように、一つの影が音もなく舞い降りた。
天井の梁から飛び降りたのは、深い紺色のローブと黒い仮面をまとった、俺――『王立十聖』第一席、影の姿だった。
「影様!?」
「なぜ、国の最高戦力がこのような場所に……!」
騎士たちが驚愕の声を上げる。その声は、壇上にいたセオドア王子の耳にも届いていた。
「……影だと? なぜここに?」
セオドアは、俺の予期せぬ登場に、驚きと、そしてどこか不満げな表情を浮かべた。彼は、俺の正体を知らない。
「……まあいい。目的は同じはずだ」
王子は忌々しげに呟くと、俺に背を預けるように立ち、襲いかかってくる敵の残党と対峙した。
戦いは、一瞬で決した。
セオドア王子が放つ眩い光の魔法が、敵の動きを派手に牽制する。その「光」が生み出す、ほんの一瞬の「影」。俺はその影から影へと飛び移るように移動し、敵の急所だけを正確無比に打ち抜き、戦闘能力を奪っていく。
光と影の、不本意ながらも完璧な円舞。
敵は、なすすべもなく、その場に崩れ落ちた。
結局、聖菓祭は前代未聞の大混乱の末、中止となった。優勝者は決まらず、伝説の『星光のベリー』も、公式には行方不明として処理されることになった。
寮の自室に戻った俺は、ベッドに倒れ込み、深くため息をついた。
(ベリー……食べたかった……)
国を救った達成感よりも、伝説のスイーツを食べ損ねた絶望感の方が、今ははるかに大きい。俺は枕に顔をうずめ、子供のように足をばたつかせた。
その夜。俺がすっかり落ち込んでいると、部屋のドアが静かにノックされた。
ドアを開けると、そこに立っていたのはセオドア王子だった。
「で、殿下……?」
「……少し、付き合え」
彼に導かれるままやってきたのは、月明かりが差し込むステラ寮の中庭だった。
「殿下、このような夜更けに、いかがなさいましたか?」
俺がそう尋ねると、セオドアは何も言わず、小さな箱をそっと差し出した。
「君の優勝だ。受け取れ」
その言葉に、俺は一瞬、息をのんだ。
箱を開けると、中には、夜空の星を閉じ込めたかのように淡く輝く、一粒の果実が収められていた。
「……! これは、星光のベリー……!?」
俺は、自分の目を疑った。あの伝説のベリーが、今、目の前に。思わず、歓喜に満ちた声が漏れ、その輝く果実に手を伸ばしかける。
しかし、次の瞬間、俺ははっと我に返った。
いけない。俺は『アイリ』ではない。
「優勝……とは、一体なんのことでしょう、殿下?」
俺はそっと手を引き、完璧な淑女の笑みを浮かべて、あくまでとぼけてみせる。
「わたくしはただのアイリス・フォン・アルトス。聖菓祭には、参加しておりませんわ」
セオドアは、そんな俺の拙い演技を、心底楽しむような、意地の悪い笑みで見つめていた。
「そうか? 僕には、君が作ったあのタルトも、飴細工の城も、そして最後のムースも、全てが優勝に値すると思えたがな。……アイリ」
彼は、最後の名前を、わざと俺の耳元で囁いた。
「賞品は、勝者のものだ。さあ、食べろ」
セオドアに促され、俺はもう観念するしかなかった。震える手でベリーをつまみ上げ、意を決して、そっと口に運ぶ。
次の瞬間、俺は言葉を失った。
甘い。ただひたすらに、優しく、深く、そしてどこか懐かしい甘さが、口の中いっぱいに広がっていく。それは、俺が前世でも今世でも味わったことのない、至福の味だった。
「……おい、しい……」
気づけば、俺の頬を、一筋の涙が伝っていた。
仮面も、令嬢の笑みも、暗殺者の顔も、全てが剥がれ落ち、ただの甘いもの好きの少女に戻った、素直な感想だった。
セオドアは、そんな俺の姿を、初めて見るような、慈しむような眼差しで見つめていた。
「そうか。……良かった」
月明かりの下、彼は、今までで一番優しい顔で、そう微笑んだ。




