第19話:暗殺者は、精密技巧で魅せる
『王家の聖菓祭』開催を翌日に控えた夜。俺は、寮の自室のベッドの上で、頭を抱えていた。
(どうする……。『星光のベリー』は、どうしても味わってみたい……。だが、コンテストに出場すれば、間違いなく目立ってしまう……)
伝説の果実への尽きない欲求と、平穏を愛する信条。二つの間で揺れ動く俺の脳裏に、友人であるリヴィアの純粋な応援の言葉が蘇る。
『アイリス様ほど手先が器用な方なら、きっと素晴らしいお菓子が作れますわ!』
……決めた。
目立たず、されどベリーは味わう。その両方を成し遂げてみせる。
こうして俺は、平凡な町娘『アイリ』として、人生で最も甘い戦いに挑む覚悟を決めたのだった。
そして、アカデミーの休日である聖菓祭の当日。会場である王城の特設ガーデンは、国中から集まったパティシエたちの熱気と、甘い香りで満ち溢れていた。
俺は、蜂蜜色の髪をポニーテールにし、そばかすを魔法で描いた平凡な町娘『アイリ』として、その中に紛れ込んでいた。クロも、小さな黒猫の姿で俺の足元にぴったりと寄り添っている。クロは、どうやら色んな姿に変身できるらしい。
「うわあ……すごい人ですわね、アイリス様!」
「しっ。リヴィア様、わたくしはただのアイリですわ」
俺の隣では、リヴィアが目をキラキラさせながら興奮を隠せないでいた。彼女は、俺の唯一の応援団として、甲斐甲斐しく世話を焼いてくれている。
やがて、壇上に審査員たちが姿を現した。その中には、特別審査員として招かれたセオドア王子の姿もあった。彼の冷たい視線が会場全体を見渡し、俺は思わず身を縮こませる。
「――それでは、一次予選を開始いたします! 課題は、『飴細工』! 制限時間は三時間! テーマは、『王国の輝き』!」
号令と共に、参加者たちは一斉に作業を開始。煮詰めた飴を巧みに操り、思い思いの作品を作り上げていく。
「ふふん、ご覧になっていて、殿下。わたくしの才能をお見せする絶好の機会ですわ!」
少し離れた場所では、セラフィーナが巨大な赤い薔薇の飴細工を作り始めていた。派手で目を引くが、繊細さには欠けている。
俺は、周囲の喧騒から意識を切り離し、目の前の鍋に全神経を集中させた。
前世で、一滴の誤差も許されない毒物を調合してきた、あの時の感覚。指先の、極限の集中力を思い出す。
魔力を極細の糸のように操り、鍋の中の飴の温度を完璧に、コンマ一度の狂いもなく管理する。そして、冷め始める一瞬を捉え、息を止め、飴を引いていく。
それは、もはやお菓子作りというよりは、精密機械の組み立て作業に近いものだった。
審査の時間。会場には、参加者たちの力作がずらりと並んでいた。
特別審査員のセオドア王子は、一つ一つの作品を無表情で見て回っていたが、その足が、ある作品の前でピタリと止まった。
俺が作った『氷の城』だ。
無色透明の飴だけで作られた、繊細で、儚く、そして荘厳な城。城壁の一枚一枚、窓の一つ一つが、まるで本物の氷で作られたかのように精巧に再現されている。
「……素晴らしい」
王子が、思わずといったように、小さな声で呟いた。彼は、作品の横に立つ、そばかすの町娘『アイリ』に視線を移す。その真剣な作業に没頭していた横顔が、彼の脳裏に焼き付いたかのようだった。
「まあ、すごいですわ、アイリ! まるで、わたくしの大好きな影様のような、完璧な精密さですわ!」
客席で見ていたリヴィアが、大興奮で俺に駆け寄ってくる。その無邪気な賛辞に、俺は背筋が凍るのを感じた。
セオドア王子の眉が、ぴくりと動く。
俺は、その鋭い視線から逃れるように、俯くことしかできなかった。
無名の新人『アイリ』は、この日、一躍、優勝候補のダークホースとして、王都中の注目を浴びることになった。




