第18話:甘いものは、たしなむ程度で
約束の週末。俺は、アカデミーに来て初めて、友人と街へ出かけるという経験をしていた。
「こちらですわ、アイリス様。王都で今、一番人気のパティスリーですの」
リヴィアに案内されて訪れたのは、白い壁に蔦が絡まる、まるでおとぎ話に出てくるような可愛らしいケーキ屋さんだった。ショーケースの中には、宝石のように輝くケーキがずらりと並んでいる。俺は、平静を装いながらも、内心では歓喜の声を上げていた。
テラス席に座り、俺たちの前に運ばれてきたのは、雪のように白いクリームと、真っ赤な苺がふんだんに使われたミルクレープ。フォークを入れると、何層にも重なったクレープ生地が、心地よい抵抗感と共に切れていく。
一口、口に運ぶ。
濃厚だがしつこくない生クリームの甘さと、苺の爽やかな酸味が、口の中いっぱいに広がった。
(……美味い)
思わず、頬が緩む。前世では、こんな風に誰かとゆっくりお菓子を味わうことなど、一度もなかった。俺は、アカデミーでの心労や、スローライフ計画の崩壊も忘れ、ただ目の前のケーキに夢中になった。
「ふふっ。アイリス様、本当に甘いものがお好きなのですね」
向かいの席で、リヴィアが優しく微笑んでいる。その言葉に、俺ははっと我に返った。いけない、公爵令嬢としての仮面が完全に剥がれていた。
「い、いえ、これはその……たしなむ程度でして……」
俺は慌ててそう取り繕うが、口の端にクリームがついているのをリヴィアに指摘され、顔から火が出るほど恥ずかしくなった。隠しきれていない俺の様子に、リヴィアは楽しそうに笑うだけだった。
その時、俺たちは気づいていなかった。
通りの向こう側から、二人の様子を静かに見つめる、一対の空色の瞳があったことに。
翌日。
俺がステラ寮の談話室を通りかかると、テーブルの上に一枚のチラシが置かれているのが目に入った。まるで、俺に見つけてほしがっているかのように。
『王家の聖菓祭 開催のお知らせ』
それは、国中から最高のパティシエが集い、その腕を競う、伝統的な菓子作りコンテストの案内だった。俺の視線は、チラシの下部に書かれた、ある一文に釘付けになる。
『優勝者には、王家秘伝のレシピと共に、十年一度しか実らぬ伝説の果実星光のベリーを贈呈』
(……星光の、ベリー……!)
ゴクリ、と喉が鳴る。どんな味がするのだろう。食べてみたい。心の底から、そう思った。
「これは参加したい……。いや、しかし、それでは目立ってしまう……」
俺がチラシを手に取り、内心で激しく葛藤していると、背後から声をかけられた。
「まあ、アイリス様! 聖菓祭のチラシですわね!」
リヴィアだった。俺は慌ててチラシを隠そうとするが、もう遅い。
「もしかして、ご興味が?」
「いえ、ただ、デザインが綺麗でしたので……」
「まあ、ご謙遜を」
リヴィアは、俺の言い訳を信じていないようだった。彼女は、ケーキを食べていた時の俺の幸せそうな顔を思い出し、確信を持って俺の背中を押した。
「アイリス様ほど手先が器用な方なら、きっと素晴らしいお菓子が作れますわ! わたくし、応援します!」
その純粋な応援の言葉が、俺の心を大きく揺さぶる。
伝説のベリーへの尽きない欲求と、目立ちたくないという信条。そして、初めてできた友人の期待。
俺は、人生で最も甘く、そして最も悩ましい選択を迫られていた。