第14話:女友達は、嵐の予感
俺の日常は、いつの間にか平穏とは程遠いものになっていた。
「見ろ、あれが殿下のお気に入りだぜ」
「王子にあれだけ執着されるなんて、一体何者なのかしら」
クリスタル・クラッカーという不名誉なあだ名はいつの間にか消え、今や俺は『殿下のお気に入り』あるいは『謎多きパートナー』として、一部の生徒から奇妙な注目を集めるようになっていた。
セオドア殿下は、俺の幸運が計算されたものであると確信し、その正体を探ろうと、日に日に距離を詰めてきている。おかげで俺は、心休まる暇もなかった。
そんなある日の昼休み。俺は喧騒を避けて、ステラ寮の談話室の隅で、透明化したクロを膝に乗せながら静かに本を読んでいた。
これぞ束の間のスローライフだ。
「まあ、あなたがアイリス・フォン・アルトスね?」
突如、鈴を転がすような、しかし有無を言わせぬ華やかな声が頭上から降ってきた。
顔を上げると、そこに立っていたのは、燃えるような赤い髪を縦ロールにした、気の強そうな美少女だった。エメラルドグリーンの瞳は、品定めするように俺を上から下まで眺めている。
彼女は、国内でも有数の大貴族、ルミナス公爵家の一人娘、セラフィーナ・フォン・ルミナス。セオドア殿下の婚約者候補と噂される、学園の女王的存在だ。
「ごきげんよう、ルミナス嬢」
俺は内心の警戒を押し殺し、完璧な淑女の笑みで立ち上がり、カーテシーをする。
セラフィーナは、取り巻きの令嬢たちを従え、優雅に微笑んだ。
「お堅い挨拶はよしにして。最近のあなたは、随分と有名ですわね。殿下のお気に入り様」
彼女の言葉には、棘があった。俺は曖昧に微笑んでやり過ごそうとする。
「あなた、殿下のパートナーなんですってね」
セラフィーナは、本題に入ってきた。
「あの方は、少し周りに誤解されやすいけれど、本当はとてもお優しい方なの。あなたがパートナーで、わたくし、安心したわ」
嘘をつけ、と俺は心の中で毒づいた。その目は、俺という存在が邪魔で仕方ないと言っている。
「あなたのような、物静かで可愛らしい方なら、殿下のお側にいても安心だもの。ねえ、アイリス。わたくしたち、お友達になりましょう?」
それは、拒否を許さない提案だった。友人という名の、監視下に置くという宣言だ。俺がどう返答したものかと思案していると、談話室の入り口がにわかに騒がしくなった。
セオドアが、まっすぐにこちらへ歩いてくる。
「セオドア様、ごきげんよう」
セラフィーナは、ぱっと表情を輝かせ、完璧な淑女の笑みで王子に挨拶する。しかし、セオドアは彼女に一瞥もくれなかった。
彼の視線は、ただ俺だけに向けられている。
「アイリス。次の実技訓練の作戦会議をする。行くぞ」
「え……」
「返事は?」
「……はい」
セオドアは、俺が返事をするや否や、その腕を掴んで歩き出した。俺はなすすべもなく、彼に引かれていく。
取り残されたセラフィーナは、その場に立ち尽くしていた。
彼女の顔には完璧な笑みが張り付いたままだが、そのエメラルドグリーンの瞳の奥には、冷たい炎が燃え上がっているのが、俺にははっきりと見えた。
腕を引かれながら、俺は本日何度目かのため息をつく。
面倒な護衛対象に、面倒な恋のライバル(?)。
俺の望む平穏なスローライフは、一体どこへ行ってしまったのだろうか。