第12話:暗殺者は、ダンスの裏で謎を解く
セオドア殿下に強制的にパートナー指名された、悪夢の翌日。俺は、重い足取りで授業が行われる大ホールへと向かっていた。
(……頼むから、座学であってくれ)
しかし、そんな俺のささやかな願いは、教官の陽気な声によって無慈悲に打ち砕かれる。
「ごきげんよう! 本日の授業は、王族・貴族としての必須科目、『社交ダンス』です! さあ、パートナーを組んで授業を始めますよ!」
(……は?)
社交ダンスだと?
前世で、潜入任務のために一通り叩き込まれてはいるが、自ら好んでやるものではない。
何より、俺のパートナーは……。
俺が絶望に固まっていると、すっと隣に影が差した。
「何をぼうっとしている」
セオドアだった。彼は、まるで当然のように、俺の前に手を差し出している。その有無を言わせぬ態度に、俺は観念して、その手を取るしかなかった。
優雅なワルツの曲が流れ始める。俺は、他の生徒たちの嫉妬と好奇の視線を一身に浴びながら、ホールの中心で踊り始めた。
(……近い)
リードする殿下の顔が、すぐそこにある。その空色の瞳が、俺の全てを見透かそうとするように、じっとこちらを見つめている。俺は、完璧な淑女の笑みを貼り付けながらも、内心では冷や汗が止まらなかった。
その時だった。
俺の、暗殺者として研ぎ澄まされた聴覚が、頭上から聞こえる、ごく微かな金属の断裂音を捉えたのは。
視線を上げると、生徒たちの頭上で輝く巨大なシャンデリアを吊るす複数の鎖の一本が、ぶらりと垂れ下がっている。バランスを失ったシャンデリアが、大きく揺れながら、残りの鎖に全体重をかけてきしみ音を立て始めた。
(……まずい!)
俺がそう判断したのと、連鎖的に数本の鎖が甲高い音を立てて断ち切れるのは、ほぼ同時だった。
数トンの鉄と水晶の塊が、振り子のように揺れながら、生徒たちの頭上へと落下を始める。狙われたのは、最も生徒が密集している、ホールの中心部。
「きゃあああ!」
悲鳴が上がる。誰もが、避けられない惨劇を前に、ただ立ち尽くすだけだった。
(……くそっ!)
俺は、セオドアの動きに逆らい、わざと足をもつれさせたふりをした。
「きゃっ!」
「なっ!?」
俺は、体勢を崩して倒れ込みながら、その勢いを利用して、ドレスの裾に隠していた小さな銀のボタンを、指先で弾いた。それは、ただのボタンではない。魔力を込めれば、鋼鉄以上の硬度を持つ、俺の護身用の暗器だ。
銀の一閃が、誰にも気づかれぬ速さで宙を舞い、揺れながら落下してくるシャンデリアをかろうじて支える、残った鎖の一点に、正確無比に命中した。
ガキン! という硬質な音と共に、最後の支えだった鎖が断ち切れる。
それによって、シャンデリアは振り子の勢いを失い、致命的なホールの中心部から数メートルずれ、生徒がまばらな場所へと落下コースを変えた。
轟音と共に、シャンデリアが床に激突し、砕け散る。
数人の生徒が破片で怪我をしたが、幸い、誰一人として命に別状はなかった。教官が、すぐに治癒魔法をかけて回っている。
他の生徒たちが呆然とする中、俺はただ一人、冷静に思考を巡らせていた。
床に落ちた鎖の切れ端、その断面は、金属疲労によるものではない。明らかに、魔法的な腐食薬によって、脆くされていた痕跡があった。
(これはただの事故じゃない。だが、狙いは王子じゃない……無差別だ)
俺は、生徒たちの救護を手伝うふりをしながら、現場を素早く観察する。そして、視線を上げた。
二階の観覧席。そこに、一人の教授の姿があった。いつも金に困窮し、裕福な貴族の生徒たちを妬んでいた、魔法工学のオルブライト教授。彼は、他の者たちのように驚愕するでもなく、ただ忌々しげに舌打ちをし、その場を足早に去っていった。
(……間違いない。あの男が犯人だ)
その日の午後。アカデミーでは、この事件は老朽化による不幸な事故として処理されようとしていた。
俺は、誰にも気づかれぬよう、オルブライト教授の研究室の前に、一枚の羊皮紙をそっと置いた。
そこには、美しい令嬢の筆跡で、いくつかの化学式と物質名だけが、無機質に羅列されていた。
『月光苔の抽出液、水銀と魔鉱石の混合触媒……この配合、素晴らしいですが、少々痕跡が残りやすいようですわね』
それは、オルブライト教授が長年、誰にも明かさず研究していた、オリジナルの金属腐食薬の、完璧なレシピだった。
俺のスローライフを邪魔する者は、誰であろうと、容赦はしない。




