表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
元・暗殺者の異世界ゆるふわスローライフ計画  作者: 希羽
第1章:静寂を望んだ暗殺者
10/28

第10話:対人戦闘は、避けたいのですが

 魔法実技の授業で、俺はまたしても頭を抱えていた。本日の課題は『対人戦闘訓練』。二人一組になり、お互いの胸につけたターゲットに、魔法の光弾を当てるというものだ。


(……最悪だ)


 前世で俺がやってきたのは、対人戦闘そのものだ。だが、それはあくまで『暗殺』。相手に気づかれることなく、一撃で仕留めるのが流儀だ。こんな風に、衆人環視の中で、派手な魔法を撃ち合うなど、専門外もいいところだ。


 何より、目立つ。


 俺は教室の隅で、できるだけ気配を消し、この悪夢のような時間が過ぎ去るのを待っていた。鞄の中では、クロが俺の憂鬱を察してか、心配そうに小さく鳴いている。


「――アイリス・フォン・アルトス!」


 しかし、そんな俺の願いを打ち砕くかのように、甲高い声が響いた。声の主は、ヴィクトル・フォン・ヴァイス。彼は俺の前に仁王立ちになると、挑戦的な笑みを浮かべていた。


「貴様、俺と組め。前回の授業のまぐれを、白日の下に(さら)してやる」


 彼の周りにいた取り巻きたちが、下卑(げび)た笑い声を上げる。周囲の生徒たちも、面白そうな見世物を見つけたという顔で、こちらを遠巻きに眺めている。


(……断る)


 そう言おうとした俺より先に、教官が口を開いた。


「ほう、良いだろう。アイリス、準備はいいな?」


 教官にとっても、俺の実力は未知数であり、ヴィクトルとの手合わせは良い試金石だと考えたのだろう。もはや、逃げ場はなかった。


 俺とヴィクトルは、訓練場の中央で向かい合った。


「始め!」


 合図と共に、ヴィクトルは待ってましたとばかりに魔法を発動する。


「喰らえ! 炎槍フレイムランス!」


 彼の両手から、十数本もの炎の槍が放たれる。


(……よし、やるか。完璧な演技を)


 実力を隠し通すため、俺は、覚悟を決めた。


「きゃっ!」


 俺は、可愛らしい悲鳴を上げた。そして、迫りくる炎の槍に本気で怯えたように、慌てて後ろへ飛びのく。その拍子に、足がもつれて、みっともなく尻餅をついた。


 しかし、その()()の転倒によって、全ての炎槍は俺の頭上を空しく通り過ぎていった。


「なっ……!? 運だけの女め!」


 ヴィクトルは苛立ちを隠しもせず、次々と魔法を繰り出す。


 風の刃が飛んでくれば、俺は「いやぁっ!」と叫んで頭を抱えてしゃがみ込み、()()()()それを回避する。


 氷の礫が降り注げば、慌てて逃げようとして転び、()()()攻撃の範囲外へと転がっていく。


 周囲の生徒たちの見る目が、徐々に変わっていくのが分かった。最初はあったかもしれない期待の色は消え、侮蔑と、そして少しばかりの憐れみの視線が突き刺さる。


(……よし、いい感じだ)


 俺は、内心でガッツポーズをした。


「こ、この……! いつまでも逃げ回れると思うなよ!」


 ついに堪忍袋の緒が切れたヴィクトルが、最大級の魔法を発動させるため、大きく魔力を練り上げ始めた。その隙は、あまりに大きい。


(……そろそろ、終わらせるか)


 俺は、最後の仕上げに取り掛かった。


「も、もうやめてくださいまし!」


 涙声でそう叫びながら、俺は最後の抵抗とばかりに、ヴィクトルに向かって駆け出した。もちろん、足元はもつれさせ、今にも転びそうな、か弱い令嬢の走りで。


 案の定、俺は派手にすっ転んだ。


 そして、前に投げ出された俺の手が、まるで偶然かのように、ヴィクトルの胸にあった的に、ぺちん、と軽く触れた。


 その瞬間。


 俺が常に抑え込んでいる、極限まで圧縮された魔力が、ほんの僅かに、指先から漏れ出した。


 パリン、と乾いた音が響く。


 ヴィクトルの胸にあった的は、何の魔力光も発することなく、まるで薄いガラスのように、あっけなく砕け散っていた。


「……え?」


 ヴィクトルは、何が起こったのか理解できないという顔で、自分の胸元と俺の顔を交互に見ている。やがて、彼は膝から崩れ落ち、その場にへたり込んだ。


 俺は転んで、()()勝った。


 彼にとって、それは完膚なきまでに叩きのめされるよりも、遥かに屈辱的な敗北だった。


 訓練場は、水を打ったように静まり返っていた。生徒たちは、あまりに締まらない結末に、どう反応していいか分からず、気まずそうに顔を見合わせている。


 早くこの場から立ち去りたい。


「くっ……くくく……」


 その時、静寂を破って、押し殺すような笑い声が響いた。


 声の主は、訓練場の隅でずっと戦いを見ていたセオドア王子だった。彼は、肩を震わせ、やがて堪えきれなくなったように、声を上げて笑い出した。


「はははは! 見事だ!」


 突然笑い出した王子に、他の生徒たちはますます困惑し、気まずそうに視線を彷徨わせる。


 セオドアは、そんな周囲の空気など意にも介さず、笑いながら俺に近づいてきた。


「君の動き、実に興味深い。決めた。次の授業から、君は僕のパートナーだ。いいね?」

「……へ?」


 俺の口から、素っ頓狂な声が漏れた。


(なんだ!? なぜだ……!? 俺の完璧な演技は、誰の目にもただの幸運なドジっ子にしか見えなかったはずだ。まさか、この男、気づいたのか……!?)


 俺は、内心の動揺を完璧な淑女のカーテシーの下に隠しながら、心の中で天を仰いだ。


 俺の望む『モブ令嬢A』としての平穏な日々は、どうやら完全に、手の届かない場所へと去ってしまったらしい。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ