男装の麗人
加津子は、女であった。そして、男でもある。簡単に言えば、男装女子なのであった。
カクテルグラスが揺れるパーティーで、男の加津子は、黒のスーツに身を固めて、美貌の顔立ちに、微笑みを浮かべ、颯爽と立ち居、振る舞う。
幼少期から、加津子は、男装の趣味の真似事をして遊んでいた。そんな加津子を、親は、困ったものだと、遠くから見ていたが、あえて止めようとはしなかった。寛容な親であった。やがて、歳を重ね、加津子の男装趣味は、深みを増していった。やがて、彼女の美貌あふれる外見に魅了された財産家の裕福な男が、彼女に目をつけて、結婚を申し出た。加津子は、彼が、加津子の男装趣味を理解して、優しく対応してくれたことに、感激し、快く結婚を承諾した。
今日も、某アパレル企業の開催する夕食会に、加津子は、参加していた。加津子は、グラスを手に、女性と話している最中であった。そこへ、目の覚めるような美人の女性がやってくると、加津子に、声をかけた。
「あら、以前にどこかでお会いしてませんかしら?」
すると、加津子は、
「ああ、これは失念してましたわ。どうも。何てお名前でしたかしら」
「多実子で結構ですわ。素敵なお衣装ね、お高くしたんでしょう?」
「ありがとうございます。このようなパーティーには、よく出席されるんですか?」
「いいえ、今回が初めてですわ。でも、貴女のような方がいらっしゃるんなら、もっと早く来るべきでしたわね?」
「これは、恐縮です。もう、お酒は、召し上がられたんですか?美味しいですわよ、ここのカクテル。飲んでみられては?」
そう言うと、加津子は、近くのボーイを呼び寄せて、盆のグラスをひとつ取り、多実子に手渡した。
「ありがとうございます。さっそく、いただきますわ。では」
と、去っていった。
でも、加津子は、気づかなかったのだ。これが、多実子の密かなる挑戦状であることを。
それからも、加津子は、何人もの女性と快く談笑した。話が弾み、話題に花が咲いた。颯爽と、女性から女性へと渡り歩く加津子の姿は、女性たちの憧れの的であった。そんな加津子を、会場の隅から、多実子はじっと見つめているのであった。
それから、数日が経って、また加津子は、別のファッションモデルたちが集うパーティーに参加していた。そこでも、男装に身を纏う加津子の艶やかな姿は、モデルたちの衆目を浴びた。彼女は、豪勢に盛りつけられたディナー料理にはあまり手を付けずに、もっぱら、何人かの女性たちと話していた。参加者は大勢であった。広いパーテイー会場には、溢れかえらんばかりの客が食べ、飲み、そして会談していた。
ふと、気づいて、加津子が背後を振り返ると、そこに、多実子がいた。じっと彼女は、加津子を見上げていたが、
「あら、奇遇ね。また、お会いできるなんて。いつも、素敵ね、加津子さんって。いつか、あたしも、その美貌の秘訣を教えて頂きたいわ」
「まあ、多実子さんたら、ご冗談を。あたしなんか、多実子さんの美しさには、いつも感服致しますわ、素敵ですわよ、本当」
多実子は、沈黙した。それで、何か気まずくなったのか、加津子は、テーブルのワイングラスを取ると、多実子に軽く会釈して、その場を離れた。
多実子は土下座していた。
それも、大勢の女性たちの前である。床に、頭を擦りつけて、深々と土下座していたのだ。
「お願い。あたしからの、一生で一度きりのお願いなの。みんなで、あの加津子って女を、無視して欲しいの。それだけでいいのよ。他の人とは、普通に今まで通りに、会話して、飲食してくれていいのよ。あの女だけ、無視してくれたら、あたし、満足なの」
「でもさあ」
と、集まった大勢の女性たちの先頭にいる、若い女が言った。
「どうしたのよ、多実子?何なのか、理由を聴かせてよ?どういうわけなの?」
「それだけは、聞かないで。とにかく、ある事情があって、あの女に恨みがあるの。あたしの恨みなの。だから、一度でいいから、あの女に復讐したくて、お願いしてるのよ。それで、あたしは気が済むの。たった、一度よ。ねえ、お願い!」
それで、女たちも、ついに折れて、多実子の願いを聞き入れることにした。そして、その広い部屋から、大勢の女達は去っていった。
多実子は、心底、嬉しかった。復讐できる。あの加津子に。
多実子は、恨んでいた。というよりも、本当のところは、彼女に羨望していた。加津子の美貌が、多実子よりも、秀でていることに嫉妬していたのだ。それは、女としてのプライドの高い多実子にとって許せないことであった。それで、女たちに土下座してもいいから、彼女の鼻を明かしたかったのだ。そして、その約束は、成された。あとは、本番だ。多実子は、じっと、その時を待った。
その日も、いつものように、加津子は、白いスーツに身を包んで、パーティー会場に姿を見せた。いつにも増して、彼女の男装は、華麗で艶やかであった。そして、いつものように、彼女は、自分に集まってくる女性たちの視線を期待して周囲を見渡した。しかし、そこにいる女性の誰もが、皆、他の者たちと談笑の最中で、彼女に見向きする者は、誰一人いなかった。
加津子は、衝撃を受けた。激しいショックである。こんなことになるのは、生まれて初めてのことである。(自分が、誰にも注目されない、これは、いったいどういうことよ?)加津子は、足取りが、ふらついた。思わず、よろめいたのだ。すると、そばにいた若い男が、急いで、手を出して、彼女を抱きかかえようとした。すると、とたんに、加津子が、烈火のごとく、怒り出して、その手を払いのけて、
「やめてよ!あたし、男にだけは、触れられたくないの!嫌いなのよ、男は!あっちへ行ってよ」
彼は、変な顔をして、どこかへ姿を消した。
加津子は、ふらついた足で、近くにいた女性に歩み寄り、
「ねえ、あなた、どちらから?」
しかし、その女性は、無言で、他のところへ、移っていく。慌てた様子で、加津子は、次々と女性に声をかけたが、皆が無言でどこかへ去っていく。
もう、絶望的であった。加津子の目の前は、闇であった。あたし、もう、駄目だわ…………………。
加津子は、手にしたバッグを硬く握りしめると、急いで、そのパーティー会場をあとにして、去っていくのであった…………………。
翌朝、自宅の邸宅で、加津子が、寝室で、首を吊って自殺しているのを、夫が、発見した。手遅れであった。すぐに、彼は、警察に通報した。
その自殺の記事は、新聞に、小さく報道された。遺書もなく、自殺の理由も不明だという。
その記事を眺めて、多実子は、密かに、笑みを浮かべるのであった………………………………。