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不良から逃げるのとは訳が違うよね



 

 風華ちゃんの彼氏だという男は帰して、俺は強引に莉緒の家へ上がり込んでいた。

 二人でソファーに座り、事情を聞くために俺は莉緒を問い詰めた。


「さっきのは、どういうこと?」


 衝撃のキスシーンが頭に焼き付いて離れない。今日も「大好き」だとかそんな言葉を俺に伝えてくれていたのに……あまりのショックで胃液が上がってくる。

 一応は、莉緒は悪いと思っていそうな態度に見えた。そこだけは唯一俺を安心させてくれる要素だった。


「……ごめん。黙ってて」


「風華ちゃんの彼氏って……それじゃ、あの人と莉緒はどういう関係なの?」


「……どういう関係でもない。ただの他人」


「でも。彼氏なんでしょ?」


「風華が和也(かずや)くん……さっきの人のことだけど。和也くんと会っている時は、体の制御権は風華に渡してるの。だから、私は体の感覚からは切り離されてる」


「でも。でも……体は莉緒のだよね?」


「そう」


「……じゃあ、キスをしたのも莉緒だよね?」


「キスをしたのは風華」


「体は一緒じゃん!」


「私はそれを味わってない。味わってるのは風華」


「莉緒は全く何も感じないってこと?」


「………………」


「ほら! やっぱり────」


「違う! 視覚と聴覚で得た情報だけは、私が拒否しなければ受け取れるの」


「……目で見た映像は見れて、耳で聞いた音も聞こえるってこと?」


「そう」


 それはまた都合のいいことで……。

 どういうルールなのか知らないが、こんな突飛な話を無条件で信じる奴なんてほとんどいないだろう。

 普通の奴ならそもそも多重人格というところから疑って、都合よくこちらを騙して単に二股をかけているだけだと結論付けるはず。


 俺だって、そういう考えが頭の片隅にこびりついて拭い去れないでいる。

 だからどうしても我慢できなくて、こんなふうに感情的になって莉緒に詰め寄ってしまったけど……俺は、莉緒を信じることにした。


 きっと、俺は最悪の現実を受け入れたくないんだと思う。

 それに、莉緒のことを傷つけたくないという気持ちもあった。莉緒の話を無条件で信じれば、自分で自分に「ちゃんと彼女を信じた、俺は彼女のために最善を尽くしたよ」と言えるから。


 でも、心の中には、「三重人格なんて都合のいい嘘をつくな、今すぐにあの男と縁を切って二度と会うな」と怒鳴りたい俺がいて。

 反面、もし莉緒の言うことが本当だった場合にそんなことを言ってしまえば関係修復が不可能になることを恐れる俺がいる。

 それに、莉緒の話を信じる信じない以前に、実際に人格が入れ替わる瞬間を目の当たりにする度にやっぱり本当なんじゃないかとどうしても思ってしまうが故に。

 

 雷人くんも、風華ちゃんも、入れ替わった瞬間から何もかもが変化する。

 表情も、声も、振る舞いも、喋る内容も……。

 

 莉緒が尻尾を出すようなことをしない限り、莉緒が言っていることを証明する方法はない。

 全ての判断基準は、莉緒のことが好きかどうかだ。

 それ以外に、俺の心の拠り所は存在しない。


「……風華ちゃんと和也さんって、付き合ってどのくらいなの?」


「……一年くらい」


「今日は、二人は何をしてたの?」


「部屋にいた」


「部屋で、何をしてたの?」


「………………」


 俺は涙が出そうになってきた。


 もはや聞くまでもなかった。仮に莉緒の言うことが本当で、和也と交わっているのが莉緒の人格じゃなく風華ちゃんだったとしても、少なくとも実際にしているのは莉緒の体なんだ。


 想像は、どんどん悪いほうへと傾く。さっき莉緒が俺へ言ったことが、さらなる拡大妄想を俺へもたらす。

 仮に人格交代していても、莉緒が望めば視覚と聴覚は取得できる。

 なら、風華ちゃんと和也の愛の営みの一部始終を、莉緒は見て、聞くことができるということになる。


 さらに言うなら……俺がエロ本の見過ぎなのかもしれないが、風華ちゃんの性格からして「莉緒もやってみなよ」的な感じで莉緒を誘っちゃいそうで。


 それで、引っ込み思案の莉緒も、あの男と風華ちゃんがするところやあの男の裸をずっと見せつけられて、喘ぎ声やぱんぱんと鳴り響く卑猥な音を聞かされ続けていたらそのうちジュン! ってなっちゃって、順番に入れ替わってあの和也とかいう男と──!

 なんか頭も目もぐるぐる回ってる。パニックってまさにこのことだ。


「……ごめん。悠人のこと、傷つけたくなかった。きっとショックを受けると思って」


「受けてるよ! マジで混乱してるよ! だって──」


 莉緒の目尻から涙が落ちた。

 そんなこと言っても……むしろ俺が泣きたいんだが。

 ……仕方ないか。莉緒の責任じゃないんだ。


「ごめん。つい……ほんと、どうしていいかわかんなくて」


「うん。わかってる。ごめん」

 

 俺たちは、しばらく無言だった。

 すぐには気持ちの整理がつけられそうにない。 


「……風華が、話したいって」


「……どうぞ」


 何を話したいのだろうか。もう全然頭が回らない。

 莉緒の表情は、いつもの無表情を経由して、すぐに朗らかな笑顔になった。

 でも、その顔にはさすがに感傷的な色が混ざっている。


「ごめんね、悠人。やっぱりショックだよね」


「………………」


「莉緒はね、風華が彼氏とセックスをするときは、自分の意識を心の奥深くに閉じ込めて、出てこないんだよ。そうした時は映像も音も何もかもが遮断されて受け取れない。さっきみたいにキスをするだけならそこまでしないから、見えてるし聞こえてるけどね」


「………………」


「でもね、同じ体をシェアしてるってところは、どうしようもないんだ。この体はベースとしては莉緒のものだけど、でも、風華や雷人も一人の人格なんだ。風華たちも、生きてるんだよ。自分の人生を生きてる。それだけは、悠人にもわかってほしいな」


 少しだけ悲しそうに微笑む風華ちゃんに、俺はどんな顔をしていいかわからなかった。

「あとは莉緒とお話ししてね」と言って、風華ちゃんはまた入れ替わる。

 うつむいて、沈んだ顔をする莉緒が、戻ってきた。


 さっき聞いた話を俺の中で消化するには、まだかなりの時間が要るだろう。

 俺は天井を見ながら考えた。


 莉緒の意識が表に出ていようがいまいが、あの男は間違いなく莉緒の体とヤっている。

 莉緒の体は隅々まであの男にいじくり回され、あの男のいろんな体液を受け入れ、体にそれが残ったまま……その体で俺と会うんだ。


 それに、仮にこれから俺と莉緒が付き合ったとして、俺たちがすることは全て、あの雷人くんや風華ちゃんに見られちゃうんじゃないの?

 だって、莉緒は風華ちゃんがしてる時には意識を閉じ込めてるかもしれないけど、他の二人が閉じこもってくれるかどうかはわかんないよね!? いやむしろ嬉々として鑑賞してくる気しかしない。


 えっ、そしたら他二名(・・・)に見られながらすることになっちゃうじゃん……うわー、それはそれで激ハズなんだけど。


 色んな思いが駆け巡って一人で悶える。

 そんな俺の顔色を黙ってうかがっている感じだった莉緒は、いつものようにうつむいて、陰のある表情をして言った。


「……こんな女、嫌だよね」


 沈んだように言う莉緒を見て、俺はハッとした。


 前に部屋で二人っきりになった時、莉緒は俺に寄りかかって泣いた。

 友達はいないと言ってたから、ずっと人を近寄らせないようにして生きてきたのは間違いないだろう。そもそも苦しい過去を背負っていなけりゃ、あんなふうに泣くわけがないと思う。

 それに、前に風華ちゃんも言ってたんだ。莉緒が「男の子をお昼に誘ってほしい」って頼んできたのは初めてだって。


 つまり、ずっと一人で生きてきた莉緒が、初めて勇気を出したのが俺だったんだ。

 俺が、莉緒の一人目(・・・・・・)に選ばれた。


 その俺が、ただ彼女の事情を知っただけの段階で、色々ややこしそうだってだけの理由で、即座に莉緒を切り捨てて尻尾を巻いて逃げるのか?


 そりゃ不良からはいつも逃げてきた。もちろん理不尽だと思っているが俺は怪我をしないためにすぐに財布を出すようにしている。あんな奴らに逆らって怪我するのは馬鹿らしい。二、三千円程度の金で難を逃れられるなら安いものだから。この前はたまたま千円だったから怒られちゃったけど……。


 でも、ここで逃げるのは訳が違う。

 勇気を出して俺を選んでくれた莉緒のことを見捨てて切り捨てるのは、不良に屈服するのとは訳が違う。

 

 莉緒と付き合えたらいいな、って思ってたろ?


 なら、努力してみろよ俺!  

 もしかすると、何か方法があるかもしれない。三重人格をなんとかすることはできなくても、俺や莉緒が幸せになれる方法が、何か。


 だから俺は、敢えての笑顔でニヤッとしてやった。

 莉緒はまさに鳩が豆鉄砲を喰らったように、口を半開きにしてアホみたいな顔をする。


「……は。んなわけねーだろ。俺はお前のことが大好きだ、莉緒」


 唖然としていたが、莉緒はやがてひくひくと小さく震え始める。

 俺をじっと見つめたまま、表情を変えることなくスッと涙の筋が落ちた。

 表情はほとんど変わっていないはずなのに、張り付いていた陰はいつの間にか消え失せて、幸せそうな感情がはち切れそうなほどに広がっている。


「……私も好き。あなたのことが大好きだよ、悠人」


 互いの体を無我夢中で引き寄せて、俺たちはまたキスをする。

 この日、俺たちは付き合うことになった。






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