やっと、見つけた
昼休憩に研究所を出てお気に入りのカフェへ行くことがあたしの日課。
ずっとあんな地下に潜ってると人間としてダメになる気がしてくるのだ。今日もあたしはそのカフェでエスプレッソを嗜みながら、スマホでSNSをチェックしていた。
「ん……」
とある投稿者のアップした動画に手が止まる。
どうやら飛び降り自殺の現場を撮影したものらしいが……あたしが釘付けになったのは自殺者本人よりもその手前にいる人物だった。
動画を見る限り、ある一人の女の子の体から、風が巻き起こって自殺者のいるビルのほうへと飛んでいったように見えたのだ。
一般人が見たならさほどの疑問を抱くこともなかっただろう。
だが、あたしはこれが、ただの風でもなければ合成動画じゃないことも瞬時に理解した。
なぜなら、見たことがあるから。
体温が上がり、汗が噴き出る。
呼吸が速くなり、自分の人生の目標としてきた対象者を発見した興奮と責務に手が震えた。
あの日。
記憶に刻まれた悪夢の日。
今でも鮮明に思い出せる。あたしは、周囲の雑踏も気にならないほどに、その記憶の再生に耽っていた。
◾️ ◾️ ◾️
研究室でモニターに集中していると、周りの声が聞こえない時がある。あたしにもそんな時はあるけれど、こいつはいつもそうなのだ。
あたしは自席の椅子の背もたれに上半身を預けながら、すぐそこで監視用モニターにかじりついている上司の結城主任に、もう一度声をかけた。
「結城さん?」
「…………え?」
まるで雑音で振り向かされたような顔をする彼は、ようやく三度目の呼び掛けで反応した。
「なに?」
「そろそろコーヒーでも飲んで休憩したらどうですか? そんなに長い時間見ていても、何も変わらないと思いますが」
彼が睨みつけているモニターには、小さな子供たちがたくさん映っている。
年齢はバラバラで、概ね三歳から一五歳くらいまで。
ある子供は目の前で自由自在に積み木を浮かび上がらせ、ある子供は手を触れずに宙に舞わせたプラスチックボールを互いにぶつけ合って遊んでいる。
それ以外の子供達もプラモデルを組み立て、テーブルの上に炎を出し、何もないコップの中に水を出現させ……手を触れずになされるこれらの行為は全て、脳の未開領域に秘められた力────「念動力」と定義される力によるものだ。
あたしと結城さんがいるこの場所は、極秘裏に国が運営する国立超常現象研究所の特殊生物第6研究室。
一般人が真実を知ったらパニックになること請け合いの、生物分野に関する超常現象の類を研究しているところ。だから、あたしたちの仕事内容が一般人に説明されることはないし、説明したところで頭のおかしい人間だと思われるのがオチなのだ。
就活の時に、同じ大学院出身の結城さんと偶然出会った。
陰キャそのものだが顔は良く、縁のないメガネと無意識に前髪を掻き上げる姿がサマになるスマートな彼のことを、あたしは学生時代から密かに好きだった。
二人で入った居酒屋でそんな彼から言われたセリフは今でも覚えている。
「ねえ、超能力って信じる?」
「…………はい?」
まさにこんな感じであたしは反応した。
きっと彼からの誘いじゃなかったら迷うことなく袖にしただろうが、胡散臭い話の内容よりも彼自身に惹かれていたあたしはホイホイついて行き……。
まあ、なんやかんやで、今あたしは彼と同じ職場にいるのだ。
エスパーの卵達がいる実験室の中の監視カメラを操って結城主任がモニター中央に映し込んでいるのは、二人でくっついて仲良さそうに遊んでいる六歳の女の子と、同い年の男の子。
「No.89とNo.90ですか。この子達がどうしたんですか? どっちかというと、あまり持ってないほうの子達だと思いますけど」
「見逃してはならないからな」
「でも、さすがに見過ぎじゃないですか? もうかれこれ一年間、あの二人は能力を発現させていませんし」
「ああそうだ。他の個体は毎日のように発現させているにもかかわらずな。
No.89──刃川瑠偉は手を触れずに物体を動かす正統派の念動力使い、No.90──海堂莉乃は風と電気を自在に操る力を発現して当初は『風神雷神の御子』なんて言われていたんだ。それが、めっきり力を出さなくなった」
「そうですねぇ。でも、途中で能力が消えちゃうこともよくあることじゃないですか。そういう子はこっそりと親元の近くに放り出すわけだし。国家主導の神隠しから無事におうちへ帰れるわけだし、きっとここに残るより幸せなんじゃないすか」
「君、次は主任に上がるんだったな」
「ええ? ああ……そうですね。ベテランの結城さんほどのことはできませんけど、まあ精一杯頑張りますよ」
「なら、昇任研修前だが先に本当のことを教えておいてやる。この子達は、能力が消失したと確定判断されたら処分される。二人は今日が最終判定日だ」
「……は?」
まるで漫画とかアニメの話でもしているかのような現実味のない会話のせいであたしはしばらく無言になってしまった。
結城さんは、相変わらずモニターと向かい合ったままだ。
「……なんか、走れなくなった競走馬みたいですね」
「ふふ。君はこの仕事に向いてるよ」
「だって、しょうがないじゃないですか。悩んだって……」
「その通りだ。だが、責任は重い。だから目を離さないんだ」
「でも、処分なんて。なんでそこまで? 別に親元に返しても問題なくないですか?」
「万が一にも、この研究所から開放した後にとんでもない能力を発揮したら困るからね」
「……じゃあ、あたしたち下っ端研究者に秘密にしておく理由は?」
「研究対象とニュートラルに接することができなくなる危険性が高い。かばう者が出始める」
全ては研究のため、ってことね。
刃川瑠偉と、海堂莉乃……か。
「よく名前なんて覚えてますね。全ての研究対象を番号で呼ぶこの施設で」
「僕は、処分する子供たちの名は全員覚えておくことにしている」
あたしたちは無言でモニターを見つめた。その視線は、今の話で少しばかり重くなったかもしれない。
このままだと、まもなく失われる命。
たったの六歳。気の毒だと思わないでもない。
でも、これが、国が裏でやっていること。いや、世界が裏でやっていること。
トップシークレットとして取り扱われる特殊能力者たちのことは、世間に知られてはならないのだから……。
自己暗示のように繰り返していると、モニターに映る女の子と男の子の会話がマイクに拾われ流されてくる。
【ねえ、ルイ。聞いて】
【ん?】
男の子──この施設においてNo.89と呼ばれている子供は、ミニカーを手で前後させながら答えた。
そのNo.89の顔に、自分の顔をくっつけるようにして、女の子──No.90は言う。
【このままここにいちゃ、ダメだ】
【え? どうして?】
【ここからいなくなった友達、きっと、みんな死んじゃったんだよ。一回だけ、連れて行かれた扉の向こうから叫び声と銃の音が聞こえたことがあるんだ。ルイ、逃げよう。大丈夫、私に全部まかせておいて! 少しだけなら道がわかるんだ。いろいろつれて行かれたときに、ちゃんと覚えたから!】
【でも……リノ、見つかったら、きっとすごくおこられちゃうよ】
No.90は、No.89のことをギュッと抱きしめた。
【ルイにだけは死んでほしくない。私、ルイのことが大好きなの。ここから無事に逃げ延びたら、ルイとケッコンしたいって思ってる。だから私のことを信じて!】
【あ……うん! ぼくも、リノのこと大好き! おとなになったらケッコンしようね!】
【うん! 次にこのお部屋の外へつれて行かれるのは夕ご飯のとき。もうすぐご飯でしょ? おててを洗うとき、きっと外へつながってるんだろうな、ってドアが見えるはずなんだ】
【うん、わかった!】
女の子が男の子をぐいぐい引っ張る幼いカップル。
どこにでもいる幼稚園児の会話だ。これが普通の幼稚園での会話なら、微笑ましい限りなのだが。
「……自分たちの会話が常時盗聴されてるだなんて、想像だにしていないんだろうな」
「ええ。脱走しようとした子は、捕まって教育部屋ですね」
「普通なら。でも、この二人の場合は……」
主任は、どこかへ電話をする。
「例のNo.89と90ですが。やはり能力の発現は見られません。……ええ、わかりました。それともう一つご報告が。その二人が、今日の夕食時に脱走を企んでまして。……ええ。……わかりました。処分室へ誘導します」
主任が今までこんな会話をしていたなんて、全然知らなかった。
なんか……なんだろうな。
優しい顔の主任には、こんなこと似合わない気もするなぁ……。
モニターを眺めていると、研究室の職員が実験室へ入ってきた。子供達を食堂へと連れていくためだ。
No.90は、89の手を引きながら、他の子達に紛れて目立たないように歩いていた。
食堂の直前にある手洗い場で列に並ぶ二人は、職員が目を離した隙に突如として駆け出した。目的のドアを開けたNo.90は、89の手を引っ張って奥の通路へと走っていく。
二人の様子をモニター上で見守る主任は、ぼそっと呟いた。
「……わざとだ。この先の通路は、処分室へ向かう扉だけが開錠されている」
電子ロックで全てのドアを施錠できるこの施設で、「開いているドア」など存在しない。
仮に存在したとしても、地下六〇メートルよりも深くに建てられたこの研究所は水平投影面積だけで東京ドームほど。深さにして地下五〇階に位置する迷路のようなこのフロアから六歳の子供二人が逃げ出すことなど不可能だ。
扉をガチャガチャと引っ張ったり押したりして、施錠されていない扉を必死に探して走り惑う二人の幼児。その姿は、超高解像度を誇る監視カメラのおかげでどこにいても不安そうな表情までわかるほどだ。
終わりが近づいている。あたしの心臓は、知らぬまにバクンバクンと音をあげていた。
【あっ! リノ、あれ見て! 扉のランプが緑に光ってるよ! ぼくね、だいたいわかってきたよ。ランプが緑のやつが、きっと開いてるやつだよ!】
No.89が、無邪気に走ってその扉へと近寄っていく。
扉へ触ろうと手を伸ばし──しかし彼の手が扉へ届く前に、扉はスッと開いた。
そこには男が二人立っていて、そのうちの一人が、手に持っている銃をNo.89へ向けている。
パン、と爆竹のような軽い音が鳴り、No.89のお腹の辺りに真っ赤な血が爆ぜるように飛び散った。
膝から床に落ち、スローモーションのようにパタン、と前のめりに倒れる。
震える手で必死に体を動かし、No.89は、No.90へ痛みで歪めた顔を向ける。
しばらくウネウネと動いていたNo.89は、涙が床に溜まる頃には、やがてピクリとも動かなくなった。
真っ白で無機質な廊下に響く二人の男たちの下種な会話を、マイクが拾って研究室へと伝えてくる。
【おい、処分室まで待て馬鹿! 研究員どもには極秘なんだぜ、見つかっちまうだろが】
【待ってたら別のやつに盗られちまうじゃねえかよ。俺はこのためにこんな穴倉にこもってんだぜ。公然と人を殺せる、このクソみたいな仕事のためにな】
【どうして頭を狙わなかった?】
【即死じゃねえからだよ】
あたしは、手で引っ掻くようにして胸を掴んでいた。
向いている? この仕事が?
主任。あなたは、ずっとこんなことを、してきたっていうの……?
【俺に説教するなら、もう一人のガキも俺が殺っていいか?】
【ふざけろ。じゃあ俺はなんのためにここへ来たんだ?】
【キキキ……結局、同じ穴のムジナだろうがよ】
【俺はお前とは違う。苦しませたりせずに頭で死なせて…………ん?】
No.90に銃を向けようとした男の手が止まる。
まるで金縛りに遭ったように、指一本すら動かしていない。
主任は、慌てて別の角度の監視カメラに切り替えた。
モニターに映るNo.90は、立ち尽くしたまま目をカッと見開き、床に横たわる死亡したNo.89をじっと見つめていた。
その瞳が、鮮やかな青色へサアッと移り変わり────。
No.90の足元から、空間が歪んだかのような波動が、まるで湖面を広がる波紋の如く床を這ってザアッと広がる。
瞬間、男二人は鋭利な刃物で斬り刻まれたかのように全身がバラバラになってその場に落ちる。落ちたときには、すでに人ではなくなっていた。
主任は、モニターの置かれているデスクをバン! と叩いて立ち上がる。放送設備のスイッチを入れ、叫ぶように言った。
「『か…くせいした…………覚醒したぁっ!! 緊急事態! 緊急事態! 特殊生物研究場エリア1の8番通路でNo.90が暴走、能力判定はクラスS+!!』 中野君、君はここで監視を続けてくれ。僕は現場へ向かう!」
「ちょっ……主任! 待って」
あたしの言うことなんて全く耳に入っていない主任は、No.90がいる8番通路の両端にある扉を二つとも遠隔ロックして区画を閉鎖したのち、バタバタと研究室を駆け出ていく。
依然として高鳴る鼓動のせいでほとんどパニックになっていたあたしはどうしていいのか分からず、結城主任の指示通りにモニターへと視線を戻した。
監視カメラに映るNo.90は、二人の男とNo.89の血が溜まった廊下でうずくまり、No.89を抱きしめたまま震えていた。
集まってきた研究所の職員たちは、処分室につながるほうの扉を開錠して通路内へ進入し、No.90を取り囲む。
が、構えた銃の引き金を引く前に、職員たちはNo.90の体から広がる竜巻のような旋風に巻かれて細切れになっていった。
職員たちの体は人の形を失い、命の灯火が消えてもなお、数えきれないほどに分離していく。
肉の破片を四方八方に撒き散らし、純白だった廊下は今や全方位が血の色で真っ赤に塗り変わっている。壁や天井には、No.90が発現させた風刃によって途轍もなく大きな亀裂が無数につけられていた。
No.90はスッと立ち上がる。さっきまで放心していたとは思えないほどにキビキビとした足取りで、施錠されたほうの扉へと歩みを進める。
赤いランプの光る施錠扉に辿り着き──その扉に片手を向けたとき、彼女の瞳の色はまた変化していた。
……黄……色?
バリバリっ、と電気が走ったように見えた。
と、No.90は扉を押し開け──どうやって開錠したのかわからないが、しかし現実に扉を開けて次の部屋へと進んでいく。
私が見つめるモニターの端に「ロックダウン」の文字が表示された。
我が研究所が誇る特殊制圧隊の配備が間に合わないとの判断だろう、この施設のすべての扉やエレベーターをロックする措置を上級幹部の誰かが判断したのだ。
にもかかわらず、放電を繰り返すNo.90は電子施錠されているはずの扉をどんどん開けて地上へのエレベーターへと向かっていく。
No.90の後ろから、一人の職員が追いついた。
モニターに映し出されるその廊下からは、聞き慣れた声が聞こえてきた。
【No.90! やめるんだ!】
「主任……だめ。No.90、だめ────っっっっ!!!!」
あたしが叫ぶのと、主任がバラバラになるのは、どちらが早かっただろうか。
フェイク動画としか思えないほどだった。かまいたちに斬られたかのように、瞬間的に細切れになる肉体。
再び瞳の色を青くしていたNo.90の前で、主任の体たちはビシャビシャと音を立てて血の海の具に加わった。
No.90は研究所の中を悠然と突破していく。この研究所のレベルではその上限を計り知れない最上位種「クラスS+」に判定される彼女のことを、もはや止めることはできなかった。
あたしは、今日誕生し社会に放たれる怪物の名を復唱し心に刻み込む。
──No.90…………海堂、莉乃。
No.90はロックダウンによって動かないはずのエレベーターを自力で動かし、地上へと向かっていく。
エレベーターの天井角に設置された監視カメラを見つめる黄金色の瞳を、あたしはモニター越しに、拳を握りしめながら睨みつけていた。
◾️ ◾️ ◾️
「やっと、見つけた」
カフェにいる他の誰にも聞こえない小さな声でつぶやき、スマホを握りしめる。
我が研究所が、創立以来初めて強行突破での脱出を許した、唯一の能力者。
あれからずっと探してきた。
結城主任の仇。その気持ちがないわけではないが……
現場処理はそもそも彼の仕事ではないのだ。なのに、彼は現場へ向かった。
やはり彼にとっても、それが多くの子どもたちを処分室送りにしてきた自分の責任なのだと心のどこかにあったのだろう。
私はそう解釈している。だから私は仇討ちがしたいわけではない。
こんなふうに、あからさまに市中で能力を発動する彼女は危険極まりない。
能力のことが明るみに出れば、どのような混乱を招くかは明らかなのだ。
同時に、国が能力者を利用してきたことも追求されかねない。となれば、政府は何がなんでも隠蔽しようと必死になるだろう。それによって能力者同士の戦闘が勃発し、最悪の場合は大勢の犠牲者が出る。
何をもってしても、収容しなければならない。
それが叶わないなら、消去するしかない。
被害を最小限にするために。
被害を、彼女だけに止めるために。
それこそが、結城主任の意志を継ぐことになるとあたしは思うのだ。