初めてのデートの待ち合わせ
土曜日。
二人っきりの初お出かけ、今日は待ちに待ったお買い物デート。
空はカンカンに晴れていて、楽しい楽しい海デート本番を連想させるような良いお天気だった。
莉緒みたいな可愛い女の子と二人っきりでお出かけできるなんて、数日前には想像すらしていなかった。土曜日の予定なんてきっとゲーム実況の動画配信を見るか、ゲーム仲間とオンラインゲームでもするか、秋葉原へ行くか、中野ブロードウェイへ行くかで迷っていたことだろう。
一緒に歩くだけでも周りの男が振り返る美少女。暗い表情と冷たい目つきはあれど、きっと「あんな彼女と付き合えて羨ましいなあぁ」なんて思われるに違いないのだ。
けれど、莉緒はあくまで友達。あまりにも期待しすぎてテンション爆上がりするのは後が虚しくなるだけなので厳に慎むべきだろう。
それに、莉緒を傷つけないようにするためにも性的対象として見ているかのような態度は厳禁だ。
よって俺はいつでも聖人憑依ができるよう精神を統一し、過剰にウキウキしないよう気持ちを引き締めていた。
俺と莉緒の家は一緒のマンション。待ち合わせは莉緒の家の玄関前にした。
その理由は、オーナー仕様である莉緒の部屋の玄関はメインエントランスとは全然違う裏手のほうにあったから。なので玄関前で俺が待っていても目立つことはないだろう。
別に二人でいるところを誰かに見られたら嫌とか思ってる訳じゃないけど何かちょっと恥ずかしいし。
同じマンションに住んでるくせに待ち合わせ時間の二〇分前に玄関前へ到着してしまった。
ちょっと張り切りすぎたかなぁと思いつつ時間潰しにスマホを取り出したときに、玄関ドアがガチャっと開いた。
ハイポニーテールにした髪、サロペットとTシャツというシンプルな服装は特になんの変哲もない一般的な女子の格好だったが、制服とは違う私服ってのはいつもと異なる新鮮さがあって良いもんだ。なんだか莉緒のことを独り占めした気分を味わえる。
彼女は後ろで手を組みながら、モジモジしつつ口を尖らした。
「……なによ。どうせ地味な格好してるなって思ったんでしょ。男は派手な服を着た女の人が好きだもんね」
「え? あ、ああ……ううん、そんなことない。すごく可愛いよ」
「っっ──……」
顔色が赤く変わっていくので照れて恥ずかしがっているのかと思ったんだけど、なんだか眉間の辺りの険しさが増した感じもする。
おかしいな。これって怒ってるの? 本心から褒めたはずなのにな。
よく考えたら、可愛いとか小っ恥ずかしいことを何の臆面もなく言っちゃったから、上っ面で言ってる感が漂ったのかも。
ということは、逆に欲望を正直に話したほうが良かったのかな?
確かにそのほうが正直者だと思ってもらえるかもしれない。
「まあ……その服だとおっきい胸がわかりにくくなるから、そういう意味では残念だけどね。あはは」
俺のセリフを聞いた瞬間、莉緒は口を半開きにして目を大きく見張る。これはもう誰が見てもわかるほどに驚愕した表情だ。
口をキュッと固く結んで上目遣いで俺を睨み、「む〜〜っ」と唸ったりもしている。
どういうことだよ。マジで難解なんだが。
「……悠人は、私にエロい服を着て欲しいの?」
「え……と。まあ…………そりゃ、そのほうが嬉しいけど」
「…………!!」
まるで親の仇を見るような目。
これはもう女の敵と言わんばかりだ。
そんなことがあったからか、俺の横を歩く莉緒はずっと俺を疑わしげにチラチラ見てきた。
どうやら俺は初球から失敗したらしいが、いったいどこで道を踏み外したのか。待ち合わせの段階から失敗するなんてさすがにちょっと凹むなぁ。
ピーカンの空とは真逆で、沈んだ気分のまま駅に到着した。
「家から学校近いし定期券なんて持ってないよね。交通系のICカードとか持ってる?」
「……あんまり出掛けないから、そういうの使わないんだ。……何? まさか馬鹿にしてんの? 悪かったな、持ってなくて。持ってなかったらなんか問題ある──」
眉をひそめながらスラスラ毒づき始めた莉緒は、ここでピタッと言葉を止める。
クルッと壁のほうを向いて、頭を振りかぶり──。
どっこい、今回は予測できたぜ!
俺は壁と莉緒の額の間に手を差し込んだ。
どぐっ
「うえっ!」
「…………!!」
想像以上におもっくそ頭突きしてたんだな。マジでめっちゃくちゃ痛てぇ。
この威力じゃ、昨日だって頭割れてないのが不思議なくらいだ。
「莉緒、大丈夫? 怪我しなかった?」
「……っっ。ごめんっ……。あの、悠人のほうが──」
「ああ、大丈夫だよ。気にしないで。ってか、もう壁に頭突きすんのやめてくれる?」
見ると、指のところから血が出ていた。手がジンジンしているけど、不良からよく殴られる俺の自己診断によると、この程度は全然大丈夫────とか冷静に考えていた矢先、莉緒は血が出ている俺の指をぺろっと舐めた。
「ちょっ──!! 何して──」
止める間もなく、ちゅう、っと吸って舐める。
傷口を確認して、ペロッとまた舐める。
俺の指を口に含んで、なんかムニュムニュやってる。
柔らかい唇が俺の指に何度も押し付けられ、舌がウネウネ動きながら傷口を柔らかく包む。
頭突きされた痛みなんて速攻でどっかに飛んで、くすぐったいような快感だけがモゾモゾと這い回った。
「あっ、あのっ! ちょっ……恥ずいよ、これ……」
通行人がジロジロ見ていくのだ。
ハッと気づいてようやく俺の指を離した莉緒は、またもや顔を沸騰させた。
「あっ、あのっ! 違うの。これは、その。傷が、その」
目ん玉をグルグルさせながら必死にあたふた弁解している。
この反応からして、どうやら反射的にやっちゃったらしい。指を舐めるなんてそんな発想、俺なら全然思い浮かばないなぁ。それくらい俺のことを心配してくれたのかな? いや異性の友達の指、いきなり舐めようとしないだろ普通。
「傷口って舐めたほうがいいの?」
「……え? 違うの? だって風華が──……。あ! あのやろーめ……」
何やら「しまった!」とでも言いたげだ。
首まで真っ赤にして、口惜しさを顔一面に滲ませて、莉緒は黙ってしまった。
舐めるのが効果あるのかどうかは知らんけど、一生懸命に舐めてくれる様子を思い出すとなんか自然と笑顔になってしまう。
俺は莉緒の頭をポンポンしてやった。
「大丈夫。痛いの、どっか飛んでいった。ありがと」
照れたようにウロウロと視線を泳がし、垂らした前髪をいじる。
チラッと見えた額には、昨日貼ったバンソーコーがまだあった。
お、まだ貼ってる。お風呂入る前に取っちゃうかなぁって思ってたけど、貼りっぱなしでいいの、知ってたんだな。
「そのバンドエイドは結構長めに貼りっぱなしでも良いやつなんだ。傷が治りやすくなるんだってさ。よく知ってたね」
「……えっ、そうなの?」
「えっ? 知らなかったの? じゃあ、なんで貼りっぱなしだったの?」
「…………」
うつむき、パチパチと瞬きが多めになる。
ササッと前髪を触り、バンドエイドが髪で隠れるようにした。
じっと俺を見上げて、「これ以上この件に触れるな」と言わんばかりの睨み顔。
「……そんなことより、洗ってきて」
「え?」
「指。洗ってきて」
「ん〜〜……別に、このままでもいいけど」
「イヤっ! 洗って。洗ってきなさいよっっ!!」
「じゃあなんで舐めたんだよっ」
「緊急事態だから! 仕方がなかったの!」
改札を入ってすぐに俺はトイレに行かされる。
トイレから出てきた後も、「洗った? ねえ、ほんとに洗った?」としつこく問い詰められてしまった。