表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

17/28

第17話「陽炎と月光」

お待たせしました!

今回は静香が自分の力の本質に迫る重要な回となっています。

残念ながら今回はイラストを省かせていただきましたが、文章で静香の心情や成長をしっかりと描いていきたいと思います。

引き続き、応援よろしくお願いします!

 1.「夜明けを待つ静寂」


 誰かとあんなに言い合ったのは久しぶりだった。いつだったろうと

 思い返しても、静香には思い出せないほど昔だった。

 

 サルの最後の言葉が頭から離れない。摩利支天の事を何も知らないまま、

 その力を振りかざしていた自分に気づき、慚愧ざんきの念に駆られた。

 だが、前世のように気軽に検索するわけにも行かない。


 この状態で、忍仲間に尋ねれば心配されるだけだ。昨夜の消耗で倒れた身

 では、動き回ることすら許されないだろう。


 しかし、皆が思うほど体は弱っていない。それに、このまま静かに

 休んでいることは、どこか違うような気がしてならなかった。


 長屋を抜け出し、表通りの木戸番や馴染みの茶屋で尋ねてみると、

 下谷広小路――前世で言う上野広小路に、その名の通り摩利支天寺があると

 聞き出せた。迷わず北へと向かって歩き出す。


 空気が重く、埃っぽい中に焦げた匂いが混じる。町の様子もいつもより

 慌ただしく、昨日の吉原の火事が江戸の空気を一変させていた。


    ◆


 (ああ、私、ここに来てどれくらい経ったのかしら?)


 ふと足を止め、湯屋の煙突に目を留める。弟たちを連れて行った銭湯を

 思い出した。貧しい暮らしの中、父母は遅くまで働き、兄弟の面倒は静香が

 見ていた。目の前で棒手振からお菓子を買ってもらう子供を見て、

 

(もっと弟たちに何か買ってあげられれば...)

 と、どうにもならない後悔が込み上げる。


 季節さえも意識していなかったことに気づく。陽炎の力のせいか、暑さ寒さ

 を感じなくなり、着物姿の人々を見ても、時の移ろいが掴めない。

 江戸の街路に木々が一本もないことにも、今更ながら驚く。


 あれほど苦しいと思っていた前世の暮らしにも、確かな支え合いの

 システムがあった。時代それぞれの事情があることに、今まで

 気づかなかった。


 (私はもう、ここに来てから変わることを選んでいたのね)


 鼻から秋の空気を深く吸い込み、かすかに微笑む。

 (さて、私に何ができるのかしら?)


 目の前に広がる不忍池の水面が、その問いに応えるように煌めいていた。   

     ◆


 静香は下谷広小路に佇む摩利支天寺の石段を上がっていった。落ち着いた

 佇まいの寺の境内に入ると、参拝客もまばらで、ただ木々を渡る風の音

 だけが響いていた。


「あの……摩利支天様はどちらに? 」

 静香は境内を掃除していた住職に声をかけた。体の奥底で溜めていた

 問いが、ようやく形になった。


「すまんのぉ……もうすぐ京の方からお像が来おるので……」


 住職の申し訳なさそうな返事に、静香は少し肩を落とした。

 その様子を見た住職はほうきを置き、


「お嬢さん、丁度手が空きましたので少しご覧に入れましょう」

 住職に連れられた静香は本堂の脇へ進み、掛け軸が並ぶ小さな部屋に

 案内された。


 二つの掛け軸が、静かに並んでいた。

 一つ目は明らかにインドで描かれたもので、七体の猪の上にふくよかな裸体

 の女神が座している。その姿は慈愛に満ち、見る者を優しく包み込むような

 柔らかさがあった。しかし、その顔は三面――正面に女神、左に猪、

 そして右に……。


(え? サル? )

 静香は思わず目を凝らし、その描写がサルタヒコそっくりであることに

 気づいた。


 二つ目の掛け軸には、一転して猪に跨がる勇壮な武神の姿。六本の腕は弓を

 引き、槍を構え、まさに戦いの真っ只中にいるかのようだ。こちらもまた

 三面だが、それが誰の面であるかは定かではなく、ただ戦いを戒める力強さ

 だけが伝わってきた。


「摩利支天様は男神、女神どちらもいらっしゃります」

 住職の言葉に、静香は小さく頷いた。


 本堂を後にした静香は、夕暮れに染まる梵鐘を見上げながら石の台座に

 腰を下ろした。


「サル、あなたは女神にご執心よね」

 鈴を転がすような声で問いかけると、


「わざわざこんな所まで来るとは、ご熱心なことだ」

 首から下げたお守りの中から、珍しく照れた様子の返事が返ってきた。


「俺が知ってる摩利支天はもちろん女神の方だ。帝釈天と阿修羅の戦いに

 巻き込まれた俺と猪を助けてくれた時に、あの三面の姿になったんだ」

 サルの声には、懐かしさと切なさが混じっていた。


「人にとっては、女神より戦いの時の男神のほうが印象が良いんだろうよ」


「あら、ずいぶん伝説級の話じゃない」

 静香は柔らかく微笑んだ。サルの言葉の端々に、長い時を超えた

 思いが溢れていた。


「それで? 」


「その後、力を使い過ぎた摩利支天は、それこそ陽炎かげろう

 なって……俺も猪もバラバラになったんだ」


 その言葉に、静香は自分の体に宿る力の始まりを初めて理解し、そこに

 サルの願いが込められている気がした。


「大抵、神々の話って荒唐無稽よね」


 静香の言葉に、サルは慌てたように言い訳を始めた。


「お前さんが見た掛け軸の姿は、その戦いの名残だ。だけど、本来の摩利支天は 顔がひとつの女神だ。俺は、その元の姿に戻ってほしいと思っているんだ」


「元の姿?」

「ああ。それには『太陽の光』と『月の光』の両方が必要なんだ」


「は~、それで私を利用した訳ね」

 静香の言葉は意外にも優しく、責めるような調子はなかった。


「いや……だから利用した訳じゃないって! 」

 サルタヒコの焦った声に、静香は思わず笑みがこぼれた。


「あ~いいのいいの! 利用されたとしても、必要としてもらった事に

 変わりは無いし……」

 静香は夕陽に照らされる鐘楼を見つめながら続けた。


「訳を聞けばあなた神というより人間みたいね。長屋であなたと話して、私、

 大事なことを想い出したわ。『人を信じ、人を許す』っていう座右の銘。

 こっちへ来ていろんな経験もした。感謝こそすれ、恨んだりしてないわ」


「ありがとう。静香」


「あら、初めて名前を呼んでくれたわね」


「ん…… そうだったかな? 」


 足下にある猪の石像が西日の紫に色づき、確かに微笑んでいた。その瞬間、

 静香の中で何かが静かに、しかし確実に変化していく感覚があった。

 それは摩利支天の力なのか、それとも自分自身の変化なのか――

 まだ答えは出ないままだった。



 2.「吉原、揺れる夜」



 夕闇が忍び寄る頃、吉原の大門前に人だかりができていた。


「さあさあ旦那方、寄ってらっしゃい見てらっしゃい!」


 がらがらと振り鳴らす当りかねの音に、通行人が振り返る。顔が

 見えない程大きい手拭いを被った読売が、提灯の明かりに照らされた

 高台の上から声を張り上げていた。風にすすけた着物の裾を翻し、

 手にした瓦版を掲げる姿は、まるで芝居の一場面のようだ。


「火事があろうとここは吉原。嘆いてばかりじゃいられねえ。焼け跡からは

 新しい花が咲く。なぁそうだろ、皆の衆! 」


 読売は、まだ残る焦げ臭い空気を吹き飛ばすように声を上げる。江戸の

 人々は災いを乗り越えようとする時、こうして賑やかに騒ぐのが常だった。


「旦那方、聞いたかい? 噂じゃ華玉楼かぎょくろう『月姫』が玉響様も

 霞むほどの美貌だとか。神楽院勘三郎もぞっこんで、連日通いつめ、

 身請けの話も進んでいるとか……! 」


 吉原付近だけでなく、江戸の町中を駆け巡っていた。


 千代婆の蔵では、忍びたちが集まっていた。華玉楼と神楽院の名が

 結びついたことで、焔影一族の次なる企みを察知した面々の表情は硬い。


「百合、人形町での様子はどうだった?」

 千代婆の問いに、百合は静かに答えた。


「ええ。神楽院一座の動きを見ていたところ、また読売が現れました」

「何と?」

「次のとりの日に、吉原の焼け跡で『娘道成寺』を上演する

 そうです」


 百合の言葉に、一同は意図をはかりかねた。静香は思わず眉をひそめる。

 道成寺といえば、恋に狂った女が蛇体となって鐘に巻きつく物語―。

 その意味するところが分からなかった。


「私、お囃子方として潜り込めそうです」

 百合の提案に、静香も頷く。

「なら私は玉響として客席から様子を見ましょう」


 千代婆は二人の決意を黙って見つめた。灯明の火が揺れ、影が壁を這う。

 焼け跡に建つ舞台で、一体何が演じられるのか。全員が同じ思いを胸に

 秘めていた。


 今度こそ、焔影一族の企みを打ち砕かねばならない。静香は自分の腕の中に

 眠る陽炎の力を感じながら、ギュッと手を握りしめた。


最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

静香が「変化」という言葉の意味を少しずつ理解していく展開、いかがでしたでしょうか。

摩利支天の力の謎も徐々に明らかになってきましたが、まだまだ謎は尽きません。

次回もお楽しみに!


※お気づきの点がございましたら、ご指摘いただけると幸いです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ