行政書士試験に合格したおっさんの 不合格体験記と行政書士未登録の現状
私は1972年生まれの、独身のおっさんである。
6度目の受験で、行政書士試験に合格する事が出来た。
ここから先に書いてあるのは、『合格体験記』ではない。
不合格体験記である。
「こんな事していると、間違い無く不合格だよ。」
と言う内容を伝えている(つもりである)。
私が行政書士試験の不合格を続けた原因は、
『間違った勉強方法を延々と続けて、当日の本試験で失敗した。』
と、一言で言ってしまうと、そういう事になる。
単に不合格となってしまう原因を知りたいのであれば、もうそれだけで十分だと思うので、ここから先は、読む必要は無いと思う。
試験合格後、行政書士未登録の状況も書き加えている。
目的を持って行政書士試験合格を目指している方々には、一切関係の無い内容である。
こんな雑な文章を読む人がいるとは思えないが、行政書士試験を頑張っている方々に何らかのメッセージ?となればと思う。
〔受験のきっかけ〕
平成23年1月2日の夜、酒に酔った父から
「役に立つ資格の一つも取らないで、そのトシ(年齢)までフラフラしやがって。」
と、言われた。
何の話題から、父がその発言をしたのかは記憶に無い。
「そのトシまでフラフラしやがって。」
と言うのは、私が独身であるコトを指摘していた。
独身と言う生き方は私自身で決めた事なので、それを指摘される筋合いは無いと思った。
私と父の仲は、昔から現在に至るまで良くない。
仲の良くない者から価値観を否定される事は殺意すら感じる。
この時も、正月早々、父と口喧嘩となった。
だが、「役に立つ資格の一つも取らないで」
と言う表現は、後から考えれば一理あるような気もしないではなかった。
とは言っても、最初から行政書士を目指していたワケでは無い。
そもそも、役に立つ資格とは何なのか?
それがわからないまま2年ほど経過した。
ある日、ある書店の資格試験の書籍コーナーにいた。
様々な資格試験関連の書籍が並んでいた。
まだ、文章が日本語で書かれている法律系の資格の方が勝目があるか・・・。と考えた。
とは言え、司法試験・司法書士試験はハードルが高い。
その時、目に入ったのが『行政書士』の漢字四文字だった。
行政書士試験なら・・・何とか・・・なる?
と言う頼りない連想が出た。
そこから、自分の人生でも一番勉強した6年と言う期間が始まった。
〔平成25年 1回目の受験〕
この時は、行政書士試験を完全に舐めていた。
そして、叩きのめされた。
この年、書店で某予備校が出している基本書を購入。
それを使って勉強を始めた。
読み進めていくうちに、段々と内容を理解・・・出来なかった。
読めば読むほど、何が書いてあるのか判らなくなっていった。
『行政書士試験って、こんなに難しいのか?』
当たり前だろう。と、指摘されるコトではあるが、率直な感想だった。
この時点で、良い方向に軌道修正が出来ていれば良かったが、そうは出来なかった。
ある日、書店で
〔行政書士試験 予想問題〕
と、書かれた書籍が数冊目に入った。
『あ、なんだ予想問題あるんだ。 これに出ている答え覚えれば何とかなるだろ。』
完全に誤った考えだった。
書店で販売されている〔予想問題〕の類いは、予備校が主催する模擬試験を書籍したモノである。
行政書士試験は資格試験予備校が出題する模擬試験の通りに出題されるコトは、先ず無い。
行政書士試験合格者なら、判りきっている事である。
だが、当時の自分には、その認識が無かった。
そして、試験当日までの間、数冊の予想問題集だけをひたすらやり込むという無駄な時間を過ごした。
試験当日、直前までは自信満々だった。
あれだけ予想問題をやりこんだ。
合格しないワケが無い。
試験場で配布された試験問題を見て、文字通り絶句した。
そして、心の中で叫んだ。
『全然、〔予想問題〕で出てた問題、出てないじゃないか! 何が予想問題だよ!』
今から考えると、実に能天気と言うか世間知らずと言うか・・・。
試験時間終了まで座り続けた。が、それしか出来なかった。
当たり前だが、手も足も出ない状態だった。
そもそも、問題に取り組めるレベルではないのだ。
試験終了後、不合格を確信した。
そして、今まで無駄に時間を過ごしたコトを悔いた。
前に、自分の人生でも一番勉強した6年。と表現した。
だが、この1年に関しては、勉強した期間には含まない方が正確なのかもしれない。
翌年届いた合否通知書に記載された合否区分は、当然『不合格』。
総得点54点。
内訳は覚えていないが、54点と言う数字は覚えている。
300点満点の試験の得点が54点である。
俗に言う『記念受験』でも、もう少し点数は取れるだろう。
それよりも点数は取れなかった。
法令問題よりも一般知識の方が得点出来たと言うオチも付いた。
〔平成26年 2回目の受験〕
予想問題の類いをやり込むだけでは合格出来ないと言うコトを身に染みて実感した自分は、平成25年の試験翌日から基本書を読む勉強を始めていた。
その行為を継続していれば、合否は別にして、そこそこの採点に繋がった可能性はある。
残念ながら、この行為は長く続かなかった。
読んで覚えるよりも、書いた方が覚える。と、考えた私は、基本書に書かれている文面をそのままノートに書き写すと言う勉強を始めた。
それは作業だろ。と言う指摘が聞こえてくるのが判るが、当時の私は、それが勉強だと思っていた。
だが、最初はヤル気に満ちた『勉強』も、段々と困難を感じる様になった。
最初は、時間を無駄に過ごした悔しさから、基本書を読み、書き写す『勉強』を続けていた。
時間が経つにつれて悔しさが薄れてきた。
私の短所は、困難にぶつかるとラクな方へ逃げる性格と言うモノがある。
そして、何とかラクに合格出来ないか?と、考える様になった。
ある日、立ち寄った書店で〔行政書士試験 要点チェック〕と書かれた書籍を見つけた。
左側に問題。右側に問題の正誤が記載されている物だった。
「そうか。基本書を書き写すよりも、これを書き写して覚えた方が効率が良いぞ。」
また、誤った考えをしてしまった。
そして、試験当日までの間、要点チェックに記載された問題と解説を書き写す作業を、ひたすら続けた。
今から考えると、これも無駄な努力だった。
予想問題だけをやり込むよりは、僅かにマシな行為かもしれない。
だが、基本書を読み込むコトをやり込んだ上で活用する要点チェックだけを読み込んでも意味は無い。
試験当日、昨年の様な自信は無かった。
試験自体は、何とか手や足は出せたが相手に全く当たらない。と言う感覚だった。
合否通知に記載された得点は120点台後半だった記憶がある。
ちなみに、この年は合格基準点が180点以上から166点以上に引き下げられる補正措置が取られた年でもある。
例え補正措置が取られたとしても、それに見合う実力が無いと無意味である。
どうすれば、この試験合格出来るんだよ。と言う気持ちに苛まされた。
〔平成27年 3回目の受験〕
この時も、平成26年の試験の翌日から勉強を始めている。
が、「どうすれば、この試験合格出来るんだよ。」
と言う気持ちに苛まされる気持ちも続いていた。
そんなある日、某通信教育の広告が目に止まった。
今までは、所謂、独学だった。
そして、独学の悪い特徴が大きく出た2年間だった。
通信教育で講義を受けて受験すれば、合格出来るのでは?
淡い期待が出た。
その通信教育の講師は、実にハキハキとした話し方で、今まで基本書を読んで理解出来なかった箇所が理解に至ったと言う利点はあった。
六法も初めて購入した。
過去2年と比べると充実感自体はあった様な気がする。
この充実感が仇となった。
基本講義ばかりを受けすぎて、過去問の解説講義を受けるのが疎かになった。
言い訳にならないのは承知の上だが、基本講義から過去問解説講義への切り替えが上手く出来なかった。
どうすれば良いか、判らなかった。
切り替えのアプローチは、その講師もしていたと思う。
していたと思う。と言う表現に留まってしまうのは、その講師に申し訳ないと思うが、そのアプローチの部分を掴むコトが出来なかった。
合否通知に記載された得点は、この年も120点台後半だったと記憶している。
具体的な金額は記憶していないが、それなりの金銭を支払って教材を購入した。
カネ払っても結果が出せないのか。と、思った。
行政書士試験は高い教材費を払えば合格出来る試験ではない。
だから、この考えは完全に間違っている。
だが、この時の自分は、こういう思考回路でしかなかった。
〔平成28年 4回目の受験〕
前年に受講した通信教育の馬が合わないと考えた私は、別の通信教育を受ける事にした。
この時受けた通信教育も基本講義はシッカリとしていた。
また、過去問解説講義への切り替えも明確だった。
ただ、講義を受け身で受けるだけの状態になっていた。
何となく、このままではいけない。と考えていた時、某有名資格予備校の直前期講習の広告が目に止まった。
似たような直前期講習は、既に受けている通信教育でも用意されていた。
それでも、藁をもつかむ思いで、この直前期講習を申し込んだ。
通学のコースもあったが、自分は通信で申し込んだ。
直前期講習の教材の内容は至ってシンプルで、届いた教材を見て、
「え? これだけ?」
と、言う気持ちになったのを覚えている。
だが、このシンプルな教材の威力が凄まじかった。
今まで停滞していた何かが、勢い良く進んだ感覚があった。
この年は、個人的には、惜しい結果となった。
合否通知に記載された得点は162点。
不合格には変わりない。
だが、前年より30点以上アップした事は、驚きでもあった。
記述式の得点が36点取れていた事も驚きだった。
過去3年間の試験では、記述式は全く得点出来なかった。
行政法の正解が13問に止まった事、一般知識が足切りギリギリの得点しか取れなかった事。
そして、直前期講習の講義ばかりに傾き過ぎた事が不合格の原因と言える。
何度も言うが、不合格には変わりない。
それでも、ようやく「惜しかったな」と言える点数を得点出来た事が、変な満足感を生んでいた。
これが翌年の悲(喜)劇に繋がった。
〔平成29年 5回目の受験〕
前年に引き続いて、昨年と同じ通信教育を受講した。
それに付け加えて、昨年受けた某有名資格予備校の直前期講習を再度、直前期に申し込んだ。
この年にやった事は、前年と差程変わりない。
付け加えた事は、一般知識対策で経済ニュースの類いを視聴する事をしていた。
今度こそ、合格出来る。
根拠の無い自信があった。
結果は不合格。
一般知識で足切りに遭い、採点されなかった。(得点の表記が無かった。)
自己採点で一般知識足切りである事が判った時は、絶望感を感じた。
だが、一般知識で足切りで無かったとしても、法令科目の総得点は前年と差程差が無い事が、後で判った。
いずれにしても、不合格だったワケである。
そして、それは前年の無意味な自信が招いた悲(喜)劇であった。
「悲(喜)劇」と言う表記は、自分自身としては「悲劇」であるが、傍から見れば喜劇の様なモノだと言う事を意味している。
〔平成30年 6回目の受験〕
この年の受験で合格する事が出来た。
総得点 190点
法令 150点(記述式 30点)
一般知識 40点
合格体験自体は、私にも存在する事にはなるが、参考にはならない。
合格体験を書く事は控える。
この年の勉強方法は、前年(平成29年)と差程大差は無い。
どうして合格出来たのか、今でも不思議に思う事がある。
〔全ての受験年で共通している事〕
試験終了直後から丸1日以上、頭が熱を持った状態になった事は、強く記憶に残っている。
この状態は、全く手も足も出ない状態だった平成25年と合格する事が出来た平成30年を含めて、全ての年で共通している。
熱を持った。と言うより、煮えてしまった状態。と言えば良いのか・・・。
これは、精神的疲労とでも言えば良いのだろうか?
試験翌日も有給休暇を取り、休養に充てた。
前に、「試験翌日から基本書を読む勉強を始めていた。」と書いている為、それと矛盾すると指摘を受けるかもしれない。
言い訳にもならないが、不合格である事が確信出来た翌日から基本書を読む勉強自体は始めていた。
だが、頭が「煮えた」状態の為、ほとんど頭の中に文言が入らない状態であった。
例外で、試験後に夜勤だった年と試験翌日が勤務だった年があったが、この時の勤務は辛かった。
「考える」事全般をやりたくない状態だった。
資格予備校各校は解答速報会を開催している。
試験終了後、それに足を運ぶ受験生も多いと聞いたが、私にはそんな気力は無かった。
自己採点も、試験終了後2日位経ってからやった。
平成25年から平成29年にかけては、不合格である事が確実と判っていたのでヤル気がしなかった。
平成30年は恐る恐る自己採点をした。
この時の自己採点の得点は178点~182点。
何て微妙な得点なんだと思った。
だから、合否通知書に記載されていた得点(190点)を見て、意外に感じた。
私の当時(と今現在)の仕事は施設警備員である。
基本的には24時間勤務。
朝9時に出勤して、翌朝9時に退勤するのが基本的な勤務になる。
この為、勤務明けの日は勉強時間に充てる事が出来た。
勤務明け日の翌日は公休日である事が多かった為、都合2日間を勉強時間に充てる事が出来た。
また、勤務時間中も突発的な緊急事態が無ければ、待機時間を勉強に充てる事が出来た。
他の業種に就いてる方々と比べれば、勉強時間の確保には恵まれたと言える。
また、独り者故に、「家族の都合」と言った制約も無かった。
試験1週間前は、まとめて有給休暇を取る事も出来た。
当時の同僚には迷惑をかけたかもしれない。
その分、同僚が有給休暇を取る時は、勤務の協力をしたつもりではある。
平成25年の試験の時だけは、この有給休暇の取得を申し訳なく感じた記憶がある。
〔合格した事が判った時〕
行政書士試験センターの合格者受験番号に私の受験番号が記載されていたのを見た時、正直、信じられなかった。
本当に、その受験番号が自分の受験番号なのか、判らなくなった。
合格発表の翌日、合否通知書の合否区分に『合格』の文字が記載されているのを見ても、まだ、信じられなかった。
数日後、書留郵便で送付された行政書士試験合格証を見て、ようやく実感出来た。
父親に合格が記載された合否通知書と合格証を見せた時、嬉しそうな顔をしていた。
が、それまでは、そんなに嬉しがるコトをしていないと言う証明にも取れてしまい、複雑な気持ちになった。
〔合格した後に知った事〕
行政書士登録をするには、行政書士事務所に所属するか、自身で行政書士事務所を立ち上げなければいけない。
そうしないと、行政書士登録は出来ない。
行政書士証票を手にする事が出来ない。
私は、それを知らなかった。
世間知らずとか勉強不足とか言われる事は承知している。
だが、自動車運転免許の申請要領の様な感じで、行政書士証票を手にする事が出来ると考えていた者にとっては、衝撃的な事実であった。
〔行政書士未登録の現状〕
行政書士登録は、今現在、行っていない。
何故、開業しないのか? と、言う疑問を受ける事がたまにある。
私は、行政書士試験に合格出来れば、年齢関係無く、どこかの行政書士事務所に就職出来る事が可能なのだろうと考えていた。
求人サイトの類いを見ると、行政書士事務所の求人を確認する事が出来る。
行政書士試験合格後、求人サイトで募集を出していた複数の行政書士事務所に履歴書を送った。
全て、書類選考で落とされてしまった。
冷静に考えれば当然だ。
当時、私は46歳。
確かに、行政書士試験に合格した。
だが、たとえ有資格者だとしても、全く未経験の業種に転職するには、年齢が高すぎる。
『年齢不問 未経験者歓迎』と言う表記は見られるが、建前と言うモノなのだろう。
「それなら、自分で開業すれば良いじゃないか」
と、言う人もいる。
私は、高校を卒業してから、会社に就職してそこで働き給料を得る。と、言う生活を続けている。
私は典型的な『雇われる人間』である。
自営業で生活する。と言う決断にどうしても踏み切れない。
雇われる人間と独立する人間とでは人種が違う。と、ある行政書士YouTuberの方が動画で語っていた。
『雇われる人間』に該当する人種が、独立開業に特化する資格を取得しても意味は無い(かもしれない)事に気付くのが遅れた。
更に付け加えるなら、行政書士事務所に就職出来たとしても、上手く行かないだろうと思う。
何となく、そんな気がする。
行政書士試験に限らないが、試験に合格、資格を取得する事は大切だが、そこから先が保証される訳ではない。
それなのに、試験に合格、資格を取得した事で、そこから先が安泰だと勘違いするのは絶対に禁物だ。
私は16歳の時に電話級(現第四級)アマチュア無線技士の資格を、18歳の時に第一級陸上特殊無線技士の資格を独学で取得した。
第一級陸上特殊無線技士の資格は、当時の情報通信系の専門学校等で所得出来る資格と謳われていた。
専門学校等で取得出来ると謳われている資格を、当時高校三年生だった私は、独学で取得してしまった。
私自身、数学、物理の知識は全く無い。
数学、物理の知識は全く無いが、資格を取得してしまえば安泰だと勘違いをしてしまった。
独学と言っても予想問題集の類いを蛍光ペンで塗りつぶして、とにかく丸暗記する。と、言う勉強(?)だった。
この方法は、前に書いた〔平成25年 1回目の受験〕の失敗の遠因となったと思っている。
高校卒業後、無線関係の会社に就職したが、資格を持っているのに仕事が出来ずヤル気にも欠けた存在となった。
当時の会社の上司、先輩、同僚、後輩、全てを呆れさせた。
行政書士と無線関係の資格を同じ視点で見るのは、無理があるのは承知している。
だが、資格試験に合格出来れば、その先は安泰だ。と、考えてしまった事が当時の、そして今現在の悲(喜)劇だと思う。
某有名資格予備校の専任講師の方が、
『合格した、その先が大事』
と、受講生に呼び掛けている。
私は51年生きて、その意味を、ようやく、少しだけ理解してきている(と、思っている)。
総務大臣名と東京都知事名の入った行政書士試験合格証。
改めて取った、東京都知事名の入った行政書士試験合格証明書。
最近、この二つを眺めて、自分は本当に行政書士試験に合格したのか疑わしく感じる時がある。
今現在の施設警備の仕事では、行政書士の資格も行政書士試験の知識も必要とはされない。
それでも、行政書士試験合格者としての立場は大切にしたいと思っている。
『行政書士試験合格者の立場』と言っても行政書士事務所に所属(勤務)していなければ、あまり意味は無いかもしれない。
少しでも知識を増やそうと、実務に関連する本を数冊購入したが、正直、内容が頭に入ってこない。
実際に実務をしながら読み進めれば、違うイメージが湧くのだろうか。
今現在、行政書士試験合格を目指している方々が、この文章を読んだとは思えない。
もし、いるとするなら、「頑張って下さい。」の、一言に尽きる。
私でも合格出来たのだから、あなたが合格出来ない訳が無い。