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「おい、兄ちゃん! これ買って来なよ! 美味いよ!」
「お嬢さん、こんな服どうだい? この国の伝統衣装だ。安くしとくよ」
白い壁面が印象的な街並みのメイン通りには、市場が広がっていた。色とりどりの小さな出店が所せましと並び、商品を手にした店主達が競い合うように客を呼び止める。喧騒は生き生きとした生命力に溢れ、人々の顔も笑顔が絶えない。
「国内の争乱が嘘のようですね」
ミーナは初めてみる光景にすこし呆気に取られていた。
市場に溢れかえる人の波もすごく、巻き込まれないよう気を配りながら通りを進む。
野菜、果物、伝統工芸品から宝飾品まで。ニューブルーの市場には全てが揃っていた。独立戦線の街にも市場はあったが、いずれも市場と呼ぶには心もとない規模で、品ぞろえも悪い。これが独立戦線と政府軍との差なのか、本当に同じ国で起こっていることなのか疑ってしまいそうになる。
レオが、人を縫うように走り抜ける子供達を避けながら返す。
「ここに並んでいる物の殆どは帝国産だよ。帝国からはニューブルー直行のバスも出ていると聞く」
「あの工芸品もですか?」
ミーナが美しいガラス細工を指差した。
「恐らくそうだ。原料をキルビレントから取り寄せ、帝国で製品化し、またキルビレントへ輸出して、キルビレント産工芸品として売っているんだ。ああ、店主はキルビレント人だよ。だが、帝国の企業に安い賃金で雇われた、所謂雇われ店主だ。それでもキルビレントで普通に暮らすよりかは楽でね、好評らしい」
「よくご存知なのですね」
「調べれば簡単にわかるような有名な話だ」
彼らの笑顔の裏にある、キルビレントの闇が垣間見え気がした。ニューブルーと帝国との結びつきは、思っていた以上に深いのかもしれない。
二人は市場を通り抜け、ニューブルー市役所へと向かった。市場の賑わいが徐々に遠のいて行く。
レオは歩きながらニューブルーの情報を付け加える。
「そもそもニューブルーは、遥か昔からある一族が支配する地域だった。彼らはキルビレントがキルビレントたる以前から、この地域の遺産を脈々と守り続けている。遺産を守る為、独自の武装組織を持ち、独自の理念で市を運営している。観光資源の豊富な地域でね、多額の税金を政府に収めている。だから、政府もこの地域に関しては手が伸ばせない。人々が活気づいているのは、この周辺に政府軍が居ない所為もあるだろう」
街の入り口にはニューブルー市のロゴマークを付けた警備員が立っており、見た目で外国人と判断するや否や、身分証の掲示を求められる。
今回、ミーナ達は独立戦線の一人として街に入った。警備員たちは二人が独立戦線だと名乗ると不快感を示したが、既に話が通っていたのだろう、何事もなく潜入できた。しかし、だからと言って独立戦線を街の中で野放しにする筈もない。後をつける数人の男に、ミーナとレオは気付いていた。
男達の動きに警戒しながらも、市役所に入った。受付で面会予定の話をすると、すぐに秘書が下りて来て、市長室へと案内される。通された部屋で待っていたのは、眼鏡をかけた中肉中背の男。ニューブルー市長、その人だった。笑みは浮かべているが、眉間は険しい。招かれざる客に仕方なく応対してやるだけだ、と顔に書いてあるようだった。
レオは市長の顔を見るなり、自ら進んで手を差し出した。
「初めまして。私は独立戦線のレオ・レグルスと申します。急な面会のお願いにも関わらず、要望に応えて下さって大変感謝しております」
「いやいや、本当に驚きましたよ。この情勢下で独立戦線の方々が面会に訪れるとは……随分お忙しいように思いますがね?」
「いえいえ、それ程でもございませんよ」
嫌味を笑って受け流したレオを一瞥したあと、後ろのミーナに目をやった。
「後ろの方はどなたですかね」
「ああ、彼女は私の護衛です」
市長は驚いたようにミーナに目をやる。
「護衛? ほんの少女に見えますが」
「ええ、けれど、どんな戦闘員よりも頼もしいですよ。それに、あまり大人数で押し掛けるとご迷惑になると思いましたので、少数で来させていただきました」
無理がある、とはミーナもレオも当然分かっている。しかし、成功体の情報は既に出回っているだろう。これくらいの年齢の人間が近くにいることの意味はすぐに気がつくはずだ。
市長は焦った様子で、先程の高圧的な態度を僅かに軟化させた。
「ま、まあ立ち話ではなんですから、こちらへどうぞ」
レオは指定された応接セットに座ると、ミーナはその後ろに控えた。
「この街に来るのは初めてなのですが、本当に美しい街ですね。市場にも活気があり、非常に潤っているようにお見受けしました」
「ええ、我々は他の地域と違い、環境に恵まれているのは事実ですね。独立戦線の方々も最近は、調子が良いようで」
「いえいえ、こちらは必死です。ああ、でも心配しないで下さい。この街は美しい。我々は手を伸ばすつもりはありませんよ」
「それを聞いてホッとしましたよ」
手始めのように始まった雑談は、すぐに途切れた。しかし、レオはじっと動かない。にこにことしているレオに反して市長は額に汗をにじませていた。
面会を求めた側が本題を切り出すのが筋だと思うが、レオは自分から話題を振ることはないだろう。引っかかるのを待っているのだ。実際、容易くこの会談が組まれたのは、市長側がその情報を知りたがっている証拠だ。
沈黙を破ったのはやはり市長だった。ピリピリとした空気に耐え切れなくなったのか、恐る恐る口を開く。
「……少しお尋ねしても宜しいですか?」
「ええ、なんでしょうか?」
レオが身体を少し乗り出す。
「私自身、何処で耳にしたかも分からないようなほんの噂なんですがね、独立戦線には帝国の生体実験で生まれた成功体が参加していると聞き及びまして……少し、興味を持っておりまして」
市長は言いながらちらりとミーナの方に視線をやる。やはり気づいている。
「ああ、その話ですか。そうですね。彼は我々の行動に賛同してくれ、行動を共にしてくれています。彼のお陰で風向きが変わりました。感謝してもしきれませんね」
レオが、彼、と表現したのはわざとだ。後ろにいるミーナが成功体ではないと知らせたのだろう。
では後ろにいる少女は何なのか。市長は戸惑いを滲ませながら背後のミーナをもう一度見る。市長の感情は手に取るようにわかった。
「けれど、独立戦線が接触しているのはその国だけではないんですよ……」
レオは「ここだけの話なのですがね」と故意に声色を落として囁くように言った。
「実はカムナガラとも密かに接触しております」
その国名に、ミーナも目を見開いた。しかし、すぐに我に返り市長の様子を伺う。彼も驚愕していて、ミーナの変化など気にも止めていない。
カムナガラ。二大国の片割れであり、マルクト帝国が最も憎む国である。キルビレントにおけるマルクト帝国の台頭。また、帝国が成功させた人体兵器。いずれも、その矛先は二カムナガラに向けられている。兵器脱走を受けて真っ先に動いてもおかしくない国が、未だに目立った報道がない。
――この男は一体何を言っている……?
レオの方に顔が向きそうになるのをなんとか堪える。
「カムナガラ? 今、カムナガラと仰いましたかな?」
「ええ」
レオは深く頷いた。
「カムナガラ……本当にですか? 信じられない。あの大国が?」
「驚かれましたか? ですが、カムナガラも緩衝地帯に接しています。キルビレント内戦に心砕いていてもおかしくないと思いますが」
そうだが、と市長はひとつ咳払いをすると座る位置を正した。
「か、彼らは何を求めて独立戦線……あなた方に接触を?」
「彼らは市場を求めているようです。資本主義国家ですからね、当然です。ああ、そうですね、特にこの町は美しいですから、もしキルビレントの市場が公に開かれたなら、カムナガラ国民もこぞってやってくるでしょうね」
レオは重ねる。
「思うに、市長は我々を見誤っているようです。我々がただ、戦う為だけの組織だと。今日はそれを訂正させて頂きます。我々は未来を見据え動いている組織です。キルビレントという国の未来をね。大局を見て次の政権を取るのは、今内戦を起こしている我々です」
レオの断定的で活力に満ちた高説は場の空気を惹き込んでいた。市長の心理はみるからに大きく揺らいでいる。
「それで、本題なのですが。できれば独立戦線の今後の動きに協力して頂きたいのです。勿論、市長のお立場もありますので、表向きには現状のままで結構です。ですが、今後は我々の動きを黙認して頂きたい。その方がきっとこの街の為になります。何度も申し上げますが、この街は素晴らしい。美しい街並み、活気のある人々。キルビレントの中でも独立的な都市として成り立っているのも頷けます。ご存知のようにカムナガラは発展した国です。一般的な市民でもある程度の裕福な生活をしており、旅行にも頻繁に出かけています。キルビレントが帝国から解放され、自由国家となった暁には、カムナガラの国民はこぞってこの街にやって来るのではないでしょうか?」
濃い懊悩を映していた市長の顔色が、夢を見つけた少年のように刹那輝いた。
「……早急には決められません。少しお時間を……」
「ええ、勿論。けれど、なるべくお早いご英断をお待ちしております」
レオは微笑みながら言った。市長との会談はミーナ達の完勝に終わった。
「一つ確認させて下さい――あなたの所属国家はアルトミラではなく、カムナガラですか?」
ミーナはニューブルーからの帰り道の車の中で確信とともにそう切り出した。
「……根拠は?」
「そもそも、私はあなたと初めて顔を合わせた当初からあなたに違和感を覚えていた。一般的に諜報員という人種は、その職の異質さに反して、酷く目立たない人間です。先ほどまで会っていた筈なのに、部屋を出た瞬間から顔を忘れてしまうくらいの。けれど、あなたには明確に存在があった。根本的に秀麗眉目で目を引くあなたは、諜報員に向いていないんですよ。その違和感が市長と面会した場で、あなたがカムナガラという名を口にした瞬間に繋がりました」
ふっとレオが皮肉った笑みを零した。
「そう、俺はアルトミラ情報局諜報員ではない。カムナガラの特殊工作員だ。登録名はレオナンド・アサシナ」
情報収集を主眼に置く諜報員とは違い、特殊工作員は特定の組織、人物への妨害工作や、逆に支援を行う為に派遣される。正しくレオのこれまでの行いに符合した。そして登録名と言ったのは、本名ではないことを申告している。レオ・レグルスはアルトミラ諜報員としての偽名。レオナンド・アサシナはカムナガラ特殊工作員としての偽名だ。
「カムナガラの特殊工作員が何故、アルトミラ情報局に?」
「それは答えられない。ただ、俺がいるということはアルトミラだけではなく、カムナガラの意志も含んでいるとだけ告げておこう」
「カムナガラはキルビレントで代理戦争でも起こす気ですか」
「まさか。本国が望んでいるのは、帝国の崩壊ではない。緩やかな弱体化だよ。実際、本国はこの内戦で軍を動かす気はない。それこそ、世界戦争に発展しかねないからね。六十年前の再来だ。今回の件も君の意思を利用して、国軍を動かさずに内戦を収めたい各国の思惑が重なったからだ」
つまり、この任務にはアルトミラだけではなく、カムナガラと、恐らくエルナトも絡んでいたことになる。キルビレント政府対、独立戦線ではなく、マルクト帝国対、カムナガラ、アルトミラ、エルナトの三ヵ国、という構図が最初から出来上がっていたのだ。
レオがカムナガラの特殊工作員としてではなく、アルトミラ情報局諜報員としてミーナに近付いたのは、ミーナの警戒を避ける為だ。アルトミラに亡命した筈が、カムナガラの特殊工作員に面会させられれば、瞬間にアルトミラから姿を消してかねない。
「あなたと初めて会ってから数か月が経過しています。その段階から、各国はキルビレント内戦終結に向けた模索を――いえ、この筋道を計画していたと?」
「ああ、そうなるね。後はタイミングの問題だったように思う。結果として、成功体の独立戦線加入と、独立戦線がエルナト近郊にあった軍事施設を制圧したことが大きく影響している」
ミーナは大きく息を吐き出した。
「ようやく一つ荷が下りましたよ。これで疲労が軽減されます」
肩を下げたミーナを、レオが珍しい物でも見るように目を丸くする。
「君、疲れていたのか? そうは見えないな」
「私にも疲労感はあります。素性の知れない飄々とした男と殆ど四六時中一緒にいて、常に警戒してれいれば疲労も溜まります」
ミーナの愚痴とも取れる鬱憤の発露に、レオは苦笑する。
「それは悪かったね……で、これからどうする? ニューブルーはなんとかなったとしても、あの様子じゃあ、帝国をキルビレントから切り離すのは容易ではないだろう」
帝国がキルビレントから手を引く訳でもない。帝国が表に出て来た以上、猶予もなくなった。一先ずはライデンにこのことを報告し、今後の戦略の変更を促すべきだろう。だがその前に――ミーナはレオに向き直った。
「その前に、あなたが持つ手札を私に全て見せて頂けますか?」
レオの笑みが面白そうに深くなった。
「エルモンド長官は帝国軍が手を出す前に、と言っていました。けれど、現状から察するに、長官は帝国軍がキルビレントに浸透していることを知っていた筈です。にも関わらず、今動いた。ということは何か勝利を確信したとしか考えれられない。勿論、それは成功体ではない。成功体は確かに国家にとって魅力的な手駒ではありますが、所詮子供でしかない。だからある筈です。三ヵ国が同時に内戦終結に動くくらいの重大な手札が」
更に、言い逃れは許さないとばかりに睨み付ける。レオは頭を掻いた。
「君は本当に頭が切れる」