フィクションにおけるブラック企業と社畜について
自分は世間で言うところの元「社畜」社員だった。そういう人間からするとフィクションのブラック企業と社畜について違和感を覚えることは少なくない。これからブラック企業や社畜をモチーフに話を作る人の参考になったり、自分と同じく「社畜」の方もしくは「社畜」だった方にあるある!と共感していただけたりすれば幸いである。
①ブラック企業は何時でも明るいし、人がいる
フィクションにおけるブラック企業の図は、もう会社の照明が消えた中で一人の社員がPCの灯りの元もくもくと作業をする……というものである。これはそもそもおかしいのだ。ブラック企業は夜からが本番なのである。だから会社の照明は消す意味が分からないし、誰かしら人はいる。会社で寝泊まりするというのも日常茶飯事である。もし前者のような社畜がいるのだとしたら、それはその人が仕事を一人押し付けられている可哀想な人か、よっぽど仕事が出来ない無能である。
②社畜の帰りは終電またはそれ以上
某イラスト系SNSで見かけた社畜が主人公の漫画の話をする。その漫画は社畜である主人公と未知の生命体の交流……というものである。結構そういう話は定番化しているように思う。その漫画で社畜が未知の生命体のためにペットショップに寄って餌になるようなものがないか探すシーンがあった。もう違和感しかない。何故なら社畜が帰宅出来る時間にはもうペットショップはとっくに営業時間を終えている。社畜が帰りに寄れるような店はコンビニくらいである。場合によっては休日もないので、家賃や食費やその他の必要最低限の経費にしか金を使う機会がなかったりする(でもお賃金が高いとは限らないので貧乏な可能性はある)
③「社畜」を名乗るということ
ここからは申し訳ないが個人的な愚痴になる。SNS等で「マジ社畜だわ~」とか呟いている人を見かけると、羨ましさすら湧く。自分が「社畜」だったときSNSで呟く余裕なんてなかった。考えているのは、目の前の仕事のことと「普通」の生活がしたいということ、それだけ。「普通」の生活って何かというと、毎日風呂に入り、夕食を食べ、就寝が出来ることだった。それすら叶わない生活の中で、SNSにそうやって呟けるのはとても尊い行為であった。その人が辛いのも、わかる。なまじ、家に帰れるからこそ明日の仕事のことで頭がいっぱいになり大きな不安感が脳裏を襲い深夜までネットをして「マジ社畜だわ~」とか呟くのもわかるんです。でもそれがどれだけ恵まれた行為なのか一度考えてみて欲しいということです。自分で「社畜」と名乗るのはやめましょう。心まで「社畜」になったら終わりです。
ちなみに自分は元AV会社のADです。(終)