852,元狩人は通過する
月が顔を出す前までに、宿の主人が女性である所を探し、リルミーを宿に住ませるつもりで書類を書いていると、先に部屋で寝かせておいた彼女は壁伝いに降りてくる。力が上手く伝わっていない足は、ガクガクと震え、大怪我で奪われた体力を擦り減らして故に、肩で大きく息をして、それでも尚、彼女はカウンターまで自らの意志で到達した。リーキーが肩を貸すが、彼女はこちらを頼ろうとはしない。
「良いから、休んでいろ。」
「ここまでして頂いて、のうのうと休める訳がございません。この命を持って、御恩を返します。」
座り込みそうなリルミーの脇に、左腕を入れて支える。必死に自分で立とうとするリルミーの瞳は、炎を宿しているようであった。以前もだが、こちらが上であっても反論する強さはある女性だ。だからこそ、幼い頃のリティアを守ってこられた。そこは、評価に値する。だが、
「その恩返しには、体力が必要だ。早く、休め。」
「私は…っ!お嬢様の為に、この命を!」
ある意味、こちらの指示を聞かない頑固さには、手を焼かされる。自分もそういうところがあり、他人の事を言えないが、ここは口論をする場面ではない。彼女の頭に血が上る事で、不調を来たすと面倒だ。書きかけの書類をジャケットのポケットに押し込んだリーキーは、
「分かった。分かったから。すまないが、後程また来る。」
女主人に断って、こちらの手を断るリルミーを担ぐ。耳元で騒ぐリルミーには、煩わしい、と叱り、彼女に充てがわれた部屋のベッドに転がす。リーキーは隣の部屋を借りている為、大人しく寝ていて欲しかった。胸が大きく上下するリルミー。無理を強いて、あそこまで降りてきたのだ。少しすれば、眠気に襲われるであろう。靴を脱がせ、布団をかけてやる。だが、寝てやらないぞ、と言わんばかりのギラギラと燃やす眼差しに、リーキーは吹き出して笑うしかない。これで戦士であれば、名を揚げていただろうが、サンニィール一族の女性は求められていない。故に、今からでは遅い。非常に残念だ、と思ってしまう。
「お前が男であったなら、お嬢の元に連れて行っただろうが、満足に戦えない者は悪戯にお嬢を悲しませる。王都で、休んでいろ。」
「戦う事に性別なんて、関係ありません!」
リーキーの左腕に爪を立てたが、その細い手首はこちらの右手で押さえてやる。彼女の指は悲鳴をあげ、リーキーの手首には親指が当たっていた掌の境界線のみに、傷がついた。どうせ、すぐ消える。
「そうかもしれないが、そうではない。やはり、目立つ女は真っ先に狙われる。戦えるようになってから、反論しろ。」
「分かりました!必ず、遅れを取らずに戦えるようになってみせます!」
彼女のベッドから離れ、テーブルの上に祖母への手土産だった焼き菓子と、両手で掬える程度の金貨を積むと、彼女の顔が青褪めた。リーキーに置いていかれる事を、すぐに理解してくれたらしい。口をパクパクと動かすだけのリルミーに、
「そうか、期待しているぞ。」
そう声を掛けると、青かった顔は一瞬で赤くなるのであった。
日が昇る頃には、マルタの町を通過した。時々、ユニコーンが鼻を鳴らす為、
「どうした?」
と聞くが、彼女は全く答えない。話せないわけではない。答える気がないようだ。恐らく、拗ねている。
「リーナと話したいか?」
《違いますよ。鈍感には、何も言いません。》
もしやと思って聞いてみると、どうも自分に怒っているようだ。降ってくる種爆弾を華麗に避けるユニコーンの背から、蕾を膨らますリングチューリップを探す。どうも、見える位置には居なさそうだ。
《あー、もう!上空の鳥に寄生してますよ!一気に十個の蕾が、こちらに発射してきます。》
ユニコーンに呆れられて、空を見上げれば、確かに。1つ目ガチョウのケツの穴から、リングチューリップが生えている。珍しい組み合わせだが、リーキーは大金槌で種爆弾を弾き返す。リングチューリップは、自分の種爆弾に弱い。だが、1つ目ガチョウが飛び回るせいで当たらないときた。氷のブロックを出現させて、1つ目ガチョウの飛行範囲を狭めつつ、ユニコーンからブロックに飛び移ったリーキーは種爆弾を弾きながら、距離を詰めていく。そして、その1つがリングチューリップに命中し、1つ目ガチョウと共に破裂した時、魔獣達の身体から白銀の髪の毛が落ちた。黒い泥がこびりついた髪の毛を見送った後、リーキーの頭上から人間の肉片が落下する。薄紫色の眼球が、1つ。シワの深い人差し指が2本。まだ肉がついた肋骨が、割れて落ちた。地面に叩きつけられた遺体の元へ飛び降り、その断片から誰であるかを推測する。
《止めなさい。魔獣化して自我がない人間の為に、心を傾ける必要はないでしょう。》
「自発的にしたのではなく、させられたのでないだろうか。俺は、そう考える。」
ユニコーンに止められ、肉片にこそ触れなかったが、愚父の実験ではないか、と危機感を募らせる。これは王都にも、学園都市にも早めに伝えるべき案件だ。ここから近いのは、王都だ。引き返すか、とユニコーンの手綱を掴んだ時、大地が大きく揺れた。ユニコーンが立つ地面を氷のブロックで浮かせると、巨大ミミズが地面から顔を出した。
「バフィンの相棒か!」
リーキーが声を張り上げると、ミミズの長い口が開き、大柄の人間の手が振られていた。
「お前は、何しているんだ?」
「何って、地下の散策だ。相手は、地下に巣窟を張り巡らせるからな。任務だ。」
ミミズから這い上がってきたバフィンは、粘液を身体に纏っていた為、リーキーは氷を溶かして、バフィンに噴射する。臭い、汚い。鼻が、曲がりそうだ。
「ひでえぞ。わざわざ、付着させたってのに。」
「知らん。ここから、王都に帰るか?」
あからさまに残念がるミミズの顔を撫でるバフィンに、氷のブロックを飛ばした。彼は笑いながら、その拳で破壊をする。ジャラっ、と鎖鎌を見せる癖に、結局拳が強い男だ。また、水を掛けてやると、白い歯を見せてくる。
「帰っても良いが、どうした?」
軽く互いの力比べとして、拳での殴り合いをしながら頼み事をしていると、ユニコーンのため息が漏れた。早めにリティアの元へ、帰らねばいけない。名残惜しいが、バフィンと別れる事になった。
収穫直前の畑が燃え上がる。守るべき民が、喰い殺される。領主自ら、今にも壊れそうな人形の軍に飛び込んだ。見知ったブーメランが飛び交い、援護攻撃をしてくれたが、小さな呻き声が頻りに聞こえるようになり、振り返った。
「ルシアン様!お逃げ下さい!」
人形共に肉を喰われる我が忠臣の叫びに、ルシアンは赤い髪を乱して駆ける。剣を振り上げ、人形を一掃する。事切れそうな程に、血を流す老いた忠臣を抱き上げれば、人形共に囲まれた。魔法が使えたら。あるいは、魔法士の血を持つ子を持てていたら。今更、後悔しても何も変わらない。
「ハルド。お前を恨みたくなってしまったよ。」
ハッ、と自嘲するルシアンの耳に、領民達の悲鳴が劈く。人形共が一斉に襲いかかってきて、忠臣が身を呈して、ルシアンの盾となる。生きたまま喰われる忠臣を助ける事すら出来ない。
「貴様ら…!」
吐き気を催しながらも、忠臣が命を賭して作り上げた隙に逃げ出し、剣を振るう。壊しても壊しても、人形は壊れた状態で向かってくる。民を守らずして、逃げ延びるなんぞ!領主として生きた意地が、恐怖に立ち向かう。斬られて、喰われて、女としての部位が曝け出されても、この剣を止める事はない。足に絡みついた人形を払い退ける力すらなくなった頃、炎が目の前を飛んだ。人形が轟々と燃える。狼の遠吠えが後方から聞こえ、
「君主の命により、助けに来た!」
若い男性の声に、不意に笑みが溢れるのであった。




