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841,劣等魔法士は指摘する

 久々に見たリティアの百面相に、ディオンは自己の立ち位置に困惑している。こちらを見ては、顔を赤くして、そして頬を膨らまし、セイリンを見ては、若干の涙目と、口元が小波を作る。セイリンと顔を見合わせるディオンは、リティアが落ち着くまで、それは予鈴が鳴っても、床に散らばった資料を眺めるフリをするしかない。セイリンが声を掛けても、リティアは動かない。次の授業はどうするべきか、と悩んだ時、ディオンの紺色のレザーブレスが光った気がした。ディオンが名前を呼ぶ前に、リティアの瞳がこちらに向けられ、

「サクヤさん、笑わないで下さい!わ、私が、鈍感だっただけですから!」

再び頬が膨らんだ。2人が何を話しているのかが、全く分からない。彼女は何か慌てるように、散らかした資料を集めると、マチ付きの封筒に押し込み、

「…リンノさんに手紙を書きますので、次の授業は欠席します。グレスさんに、多大な迷惑がかかる前に。」

掻き消えそうな程に小さな声でそう言うと、勝手に通路を走り出す。セイリンと共に追いかけたが、彼女の全力は結構速い。フラリと、図書室から出てきたケッチャが腕を出してくれたおかげで、彼女は布団が干されたような格好で捕獲されたのだ。

「考えあってなのか、考えなしなのか。お前の兄に似て、予測がつき辛い。」

「今は、恥ずかしさが勝ってます。調合室に1人で籠もりたいんです。」

顔を真赤にするリティアをディオンに引き渡したケッチャは、

「駄目だ。何かやりたきゃ、放課後の寮からの引っ越しが終わってからだ。」

彼女の額を指で弾く。大人しく萎れたリティアは、ディオン達に何も言葉を漏らす事なく、いつもと変わらぬ授業態度で時間を過ごした。


 放課後は、ソラを巻き込んだ引っ越しだ。これには、セイリンも同様に引っ越しとなる。どうもホテルを借り上げたようで、2人ともそちらに長期滞在のようだ。ただ、寮室を明け渡すわけではないらしい。リティアの居場所を分散し、敵の襲撃に備えるのだろう。だから、

「そんなに少なくて良いのか?」

ソラが引き受けようとしたリティアの荷物は、リュック1つしかなく、ディオンはセイリンの元より少ない木箱を担いだ。

「買える物を持ち出す必要は、ありませんから。折角なので、ホテルの部屋は薬の材料の収納に使おうと思ってます。」

「それは、ハルドの家にしておけ。ホテルが、爆発するぞ。」

何処からともなくやってきたケッチャから、げんこつを受けるリティアは、背中を丸める。ディオンは、そんな彼女達と指定されたホテルへ向かう。誰の出迎えがあるのか、ないのか。それすら、知らされていない。リティアと行動を共にするように言われた昼休みから今まで、それ以外の指示がない。だが、騎士として指示を待つ事も必要だ。下手に動いた事で悪手に回る事は、避けたい。以前、ルビネリアが企画した演奏会で使われた広場の前にあるホテル。思い出したくはないが、叔父のオギィスが2度目に死んでいた広場。その前で聳えるホテルだった。白銀の髪を揺らす、白い団服に似た女性物の服を身に着けた知人の隣に、黒いマスクをつけた赤茶色のうねった髪の知人の男性。魔法士が、2人。リティアの護衛は、彼らだけなのか?と不安を覚えたが、この街にはオウカ、ケッチャ、ラド、リファラル、リーキーが居る。既に人数としては、足りているのだと理解した。ただ、オウカを数に入れて良いかは分からないが。リティアが、誰よりも先に2人へと駆け寄った。

「お兄ちゃんの我儘に付き合わせてしまい、ごめんなさい。」

「いえ。大切な貴女様を御守りする為ですから。」

スカートの裾を抓むリーフィと、首を横に振るキリン。2人に挟まれて、彼女はホテルに入っていく。こちらも彼女達について足を踏み入れると、ホテルの従業員が1列に並んで深々と礼をしていた。彼らの後ろには、馴染みの顔が多い。学校に来ていなかったカルファスやマドン、そして少し前に別れたロディ等の魔術士団員達や、ディオンの兄であるデークと共に五番隊が来ている。これは、と眉間にシワを寄せてしまう。リティアは、魔法士達に狙われている。そんな中で、騎士団は役に立つのだろうか。リティアは、彼らの前で何度も頭を下げ、

「本来なら、聖女は大聖堂に居るべきなのですが、魔獣の被害が増えている中で何もしないなんて選択肢は、ありません。ご迷惑をおかけしますが、どうぞよろしくお願い致します。」

聖女としての言葉なのか。リティアが口にしないような、そう、セイリンならば納得がいく物言いで、彼らに握手を求めていく。まず1人目であるデークとの握手寸前で、キリンに止められてしまったリティアだが、

「では、デークさん。後ほど、皆さんの紹介をして頂ければと思います。」

部下に目を向ける新任の上司かのような振る舞いを見せた。知っている彼女とは、大きく異なる目の前の彼女は、『聖女』を演じている。デークが深々と頭を下げると、リティアはキリンに連れられて階段を昇る。ディオン達も、リーフィに促されて追いかける。黄色味を帯びたブラウンの長髪を結んだ兄の隣を通る際、

「ディオン。庇護する家が変わっても、君とは家族でありたいと思うよ。」

彼の言葉に、ディオンは唇を結んだ。ディオンは遠くない将来に、ラグリード家からテラ家へと変わる事になるのだから。


 リティアが目を輝かせる先には、木箱の山。キリンの冷めた眼差しが刺さっているが、彼女は気にせずに木箱の蓋を取る。その中身は、見るからに魔獣の身体の一部ばかりで、端から見たらドン引きしそうな趣味に見える。

「これは、キリンさんが?」

リティアの期待混じりの質問に、キリンは首を横に振るだけ。リーフィへと視線が移ると、

「リデッキ様からです。」

「分かりました!ケッチャさんには、ホテルで保管するな、と言われたので、ハルさん宅へ…。うー。」

リーフィの微笑みに、リティアは一瞬応えたが、すぐに背中を丸めた。キリンが肩を竦め、

「先程、来たのですよ。家に、その物体は運び込むな、と奴は言いました。」

マスクを顎に下げて、鼻で笑う。その瞬間、リティアの笑顔が炸裂し、キリンが硬直した。耳まで赤くなるキリンはマスクをつけ直して、彼女から目を逸らす。

「…ティアちゃん。窮屈な生活になるけど、辛抱してね。」

リーフィが彼女を抱きしめれば、その笑顔はリーフィへと向けられ、

「フィーさんと一緒だから、淋しくないですよ!」

彼女は背中に腕を回した。あらゆる方面へと気を使っているリティアは、こちらへも微笑んだ。

「皆さんにも、ご迷惑をおかけします。」

「この後、聖女親衛隊の発足式を執り行いますので、それまではご歓談なさってて下さい。」

リーフィもこちらに微笑み、キリンがベッドの下からスーツケースを引き出す。開けられたケースから、見慣れた団服が出てきた。団服に似せられたフレアスカートまである。そして、団服よりも軽装なジャケットまで。聖女の正装もあり、着替えるように指示される。ディオンとソラはキリンに案内されて、目の前の部屋へ。扉を閉めた途端、キリンがマスクを外す。

「絶対に、動き回るなよ?お前らにも、こちらが付く事になっている。」

口が悪くなったキリンに、

「弟が見つかったら、制止を振りほどいてでも助けに行きますから、無理です。」

ソラが即答した。キリンの目が丸くなり、

「それを言われたら、俺も。兄さんが見つかったら、聖女を捨ててでも行く。他に強い奴が付いているんだ。俺が居なくても、大丈夫。」

まるで自分に言い聞かせるかのように、胸に手を当てる。冬季休暇中は、あれ程楽しく話していたリティアを捨てる、なんて発言が彼から出るとは。ディオンが着替えながらも、マスクを外したままのキリンに声を掛ける。

「リティアさんの事で、何かありましたか?」

「はあ?彼女に対しては何もないが、本当にリルド隊長に似ていて、虫の居所が悪い、だけで。…彼女に失礼ですね。」

キリンが、敬語に戻った。これは、リルドの命令で動いているという事か。その苛立ちをリティアに向けている、と。

「あの方は気が付かないふりをしているだけですので、後ほど謝って下さい。」

「…そうですね。そうします。」

ディオンからしたら、別の部署の上司でもあるキリンだったが、こちらからの指摘に彼は大人しく従う。3人で部屋に戻ると、着替えが終わってメイクをされているリティアの前で、キリンは土下座するのであった。

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