834,現聖女はズレる
家に到着すると、庭にユニコーンとヒメ、馬車を引いた馬達がうたた寝していた。リビングでは、毛布の上にスズランが寝そべり、その愛らしい寝顔にリーフィがうっとりとする。セイリンがスズランを抱き上げると、リーフィの視線がひたすらに注がれ、
「私も可愛いと思いますが、寝ている子を起こす訳にはいきませんので、自重願います。」
「…はい、ごめんなさい。」
セイリンは唇を震わせ、リーフィは背中を丸くする。2人のやり取りを見守っていたリティアは、リンノに寝支度するよう言われ、ラドにカノンの部屋の鍵を渡される。誰よりも先にシャワーを借り、その後を子どもが先にと順番に回す。リビングのソファに座るソラは、テルが使っていたポシェットを撫でていた。精霊で固められたポシェット。そこには緑色と黄緑色、赤色の割合が多く、魔法士数人に守られていると感じた。ソラはは、重そうに頭を上げる。
「…もっと帰ってくるまでに、時間がかかると思ってた。」
「私もです。けれど、私の方も休暇を取らなくてはいけないようで、王都ではなくこちらに来ました。来たからには、学校に戻ります。」
この家に留まっていたら、ミィリが押し掛けてくるかもしれない。長らく会っていないし、あの時の勇姿にお礼を言っていない。どのくらいの期間、学校生活に戻るかは定かではないが。
「そしてまた、居なくなるんだろうな。」
「問題は、解決してませんから。ただ、私に割く人員が減れば、動ける人が増えます。当分は、レインさんの所で世話になります。」
何処か諦めたような眼差しを向けるソラに、否定は出来ない。ただ、すぐには居なくならない、という事を伝える事くらいしか出来なかった。ソラが、ポシェットを握り込む。
「…テルは、精霊人形アリシアにやられた。あいつの上に雷が落ちて、俺はリティアさんと同じ姿の人に、レインって人に助けられた。学校に戻った時にはテルの身体がなくて、これだけ落ちてた。」
アリシアから、守られたポシェット。それだけで、違和感が拭えない。アリシアには、それを奪う事が出来なかったという事だ。リティアが手を伸ばそうか迷った時、
「リティア、触るなよー。今開けると、面倒な事になる。」
ナックが、2人の間に出現した。帰宅してからリビング内に居なかったが、何処に行っていたのだろうか。カノンやサクヤで見慣れたであろう、動く人形に、ソラは驚く素振りはない。
「どういう意味だ。」
「その缶の仕掛け、解ける奴には解けてしまう。その中にさ、精霊で固められた記憶の結晶が見えるわけ。記憶って概念だから、実体はないかもしれないけれど、それを精霊達に浸透させて凝固する事で、結晶を作れる。要は、魔石や精霊石と同じ。だから、そこには誰かの記憶がいる。」
眉を潜めるソラに、ナックはドヤ顔で説明をし、
「器がなくては、その精霊達は浮遊するだけですね。」
リティアは、そのポシェットが精霊に守られている理由を理解した。分かる魔法士には、分かる。悪意ある者に触れられたら、集められた記憶は飛散してしまう。
「そういう事。何処かで、ハルドが守っているっていう器を探してから、開けた方が良い。守っているんだ。死体じゃない。」
ナックが、2人の狭い間で肘を張り出す。リティアは少しだけ外側にズレたが、ソラはその肘に顔を擦り付けた。
「あ、ありがとう。そう、聞けただけで、まだ救いがある。俺は、テルの遺体だけでも取り戻そうと思っていたから。あいつは、何処かで生きてるんだな。」
声を上げて泣くソラの頭をナックの小さな左手が、撫でる。心配そうに廊下から見守るセイリンとリーフィと、リティアの視線が交わり、皆が気を使ってくれていたようだ。恐らく、皆が廊下で待機の状態になっている。
「生きているが正しいか、生かされているが正しいか。俺には、分からない。けれど、そうしたからにはハルドなりの算段がある。」
だから、もう少し頑張ろうな、と人のように優しいナックを、ソラにしては珍しく強く抱き締めた。人形の器が、軋む音がする。その気になれば抜けられるナックだが、それをしないのだから本当に優しい。結局、彼は優しいに辿り着く。そんな空気を壊すのは、
「おい、ソラ。お前も、シャワー行け。」
ラド。わざわざ、その役を買って出たとしか思えない。泣きじゃくりながら頷くソラの頭を、ラドの大きな手が乱暴に撫で、ソラはナックからラドにしがみつく。軽々と片手で持ち上げるラドに、廊下の皆は道を開け、音を立てずにリビングへと入ってきた。ロディも先にシャワーに行ったようで、肩にタオルを掛けるディオンに抱えられてきた。
「俺が、無神経な事言っちゃったからだよね。」
「いえ。再会したからには、ソラさんは聞いてきたと思います。あの人が疑問に思った事は、単刀直入に聞いてきますから。」
気を使って小声で謝るロディに、リティアは首を横に振る。スインキーに入店した時から、ソラの視線は刺さっていた。彼は、聞きたくて仕方がなかっただろう。セイリンは、リティアの隣に腰を下ろして腕を組む。深く息を吐き、
「私達が知ろうが知らなかろうが、ソラは泣いていたと思う。大切な弟の事だ。しかし、私に何が出来るんだろうか。」
瞼を閉じる彼女に、ナックが彼女の膝を叩いた。
「時期を待つしかないさ。それは、必ずお膳立てされる。ハルドが、そうする。下手な場面で出会えば、失敗する危険性が高いからね。」
今は休養を取るんだぞ、と、セイリンの膝枕で横になるナック。ロディをソファに下ろしたディオンの視線と、ソラをシャワー室に入れたであろうラドの視線が、ナックに集中する。一瞬でナックは姿を消し、庭のユニコーンの背中に避難していた。
ハルドの部屋をリーキーに、までは良かった。リーフィのリビングでの雑魚寝を認められないリンノと、若干揉める事になる。リティアはセイリンと一緒に寝る筈だったが、
「では、私はラド先生と寝ますよ。」
セイリンのこれが、更に炎上を生む。ラドの顔が、真っ青になる。リンノからの軽蔑に満ちた視線とディオンの敵視に近い鋭い眼差しを、ラドが浴びなくてはいけない。リーキーはため息を吐き、
「ハルドのとこは、リーフィが使え。これで良いだろ。」
「大丈夫ですよ。リティと一緒に、どうぞ。」
折角の妥協案をセイリンがぶった斬る。ラドは頭を抱え、
「早くて明日には、教師業に戻るんだぞ。火種を増やすな。」
悲痛の叫びが漏れた。リーキーに部屋を渡そうとして、ラドが雑魚寝を選べば、セイリンがそこに行きそうで怖い。リティアは、リーフィと視線を交じらせてから、
「フィーさん、私が使う部屋の床に布団を敷くでも大丈夫ですか?」
「ええ。僕は、大丈夫です。ナックさんでも、抱き枕代わりに…」
提案をすると、ユニコーンに避難していたナックを捕まえたリーフィが微笑む。反論が出なさそうなので、この妥協案で何とかなりそうだ。ラドも、胸を撫で下ろしていた。
「なんかさ、リティアもリーフィもさ、俺は歩けるのに抱っこ好きよな。子どもじゃないよ?」
「そのサイズ感だと、ぬいぐるみ感覚だろ。」
頬を膨らますナックをリーキーが笑うと、ゴーレムの手が床から生え、ソラの裏返った声が聞こえる。
「ごめんねー。怖かったかい。俺、氷を操るんだよ。ほら、子どもは寝なさい。明日は、もうすぐそこだよ。」
ほらほら、と促すナックに釣られて、リティアは挨拶してから部屋に戻る。先に寝かしていたスズランは、ベッドから転がっていて、床に落ちていた。リンノが毛布を運んできてくれて、そこにスズランとナックを並べ、リーフィも転がる。ベッドの壁側で横になるセイリンが、軽く顔を上げた。
「リーフィ殿は、リンノ殿に女性扱いされて、お嫌ではないのですか?」
「愛情を感じてますから、それ程。それに性別はありませんから、そこは好きにして頂いて良くって。三人兄弟だった兄さんに、遂に妹が出来たんです。可愛く思って貰えてるんだと、思います。」
リーフィの柔らかい笑みで、リティアはリーフィに感じていた罪悪感を少しだけ拭われた気がした。




