830,現聖女は浸ける
祝!830話!名前が似てる子が揃うと、ミスリードを誘発しそうで怖いですね。この回だけですが、似てる…
長袖のワンピースで腕を隠すセイレーンは、リティアの隣をついて歩く。セイリンに無理やり野菜を食べさせられているラドの台に到着すると、セイレーンは暗い髪色を明るい茶色に変化させた。腰にかかったストレートの髪に、ウエーブがかかる。自由自在に遊んでいるようだが、誰も気にする様子がない。
「トングで取るから、素手で触るな。」
ピーマンを咥えさせられたラドが、乱暴に焼けた豚肉を乗せた皿をセイレーンに差し出した。彼女の瞳はキラキラと輝き、
「イフベアと人間の息子君は、優しいねー。」
指で抓んで舌に乗せた。ラドが持っているトングが、一瞬にして割れる。セイレーンとラドの間に割って入り、まだ割られていない野菜の盛り合わせの大皿を受け取るリティア。セイリンが、トングを壊した手首を握ると、牙を剥き出したラドは懸命に耐えていた。セイレーンと共に、別の台に行った方が良さそうだ。ラドに迷惑をかけてしまう。セイレーンを促そうとして振り返ると、こちらが持っていた大皿の野菜をセイレーンがそのまま食べる。彼女は可愛らしく首を傾げ、
「…悲しいねー。今や、追いかけ回されてるもんねー。」
リティアの後頭部に胸を当ててきた。爬虫類のような長い舌が、リティアの視界の上部に僅かに入り込む。
「自分の意識を失っても尚、血を悪用されないように奮闘してるんだよ?」
可哀想だと思わなーい?、とリティアの視界を玉ねぎの輪切りで遮るセイレーンに、
「何だ、貴様は?」
ラドの拳が飛んだ。セイレーンがバックステップで軽々と躱すと、リティアはラドの胸に引き寄せられる。セイリンに掴まれている腕を持ち上げ、リティアを押す。セイリンにくっつく形になったが、セイリンは動揺する事なくリティアを背中に隠す。セイレーンを連れてきたのは、リティアだ。まるで、リティアが被害者のように扱われてしまって、トングを放り捨てるラドを止めようと手を伸ばすが、セイリンの腕の中で伸びやしない。セイレーンは、リティアの手から取った大皿をペロリと舐めてから、
「貴方が、最期に選ばれた。貴方を殺したくない理由が、イフベアにはあった。けれど、今の彼はそれすら憶えていない。」
大皿に齧り付いた為、ナックのゴーレムの手が彼女の隣に生えた。大皿は、無事にゴーレムに引ったくられて、セイレーンが頬を膨らます。皿は食べ物ではない事は、知っている筈。そんな彼女には、ラドの冷めた視線が注がれている。
「勝手な事を言う。」
「他人事だからね。あの炎は、大地を灼き尽くす威力を持つ。だから、欲されている。ここを襲った輩に。」
腕を組んでゴーレムの手に寄りかかったセイレーンだが、ゴーレムの手は逃げていってしまう。真面目な話の中で、彼女は腰を打った。ラドはため息と共に手を差し出し、
「…ならば、俺が狙われていても不思議はないだろ。嘘を並べて、何が楽しい?」
彼女を起こす。セイリンの腕に若干力が入り、リティアは目を瞑って耐えるしかない。そこにクラゲが降りてきて、セイリンの注意を逸らしてくれる。リティアは自由の身になったが、それは束の間。今度は、ゴーレムの指に輪の檻を作られてしまった。理由は分からないが、ナックはリティアをここに置いておきたいらしい。
「貴方は、気が付かれていないだけ。魔獣とのハーフである事が有名であって、その親とは結びついていない。そして、彼が奪われたら最後、貴方しか止められない。あの炎は、血族にしか耐えられない。」
「親父と知り合いなのか?」
肩を竦めるセイレーンに、ラドは網の上で焦げていく肉を自身の口に放り込んだ。セイリンは、他の台用の野菜の大皿とトングを拝借して、ラドが陣取っている網に野菜の陣地を広げていく。ロディが追加の大皿を持ってきてくれ、リーフィもやってきた。一緒に居た筈のリンノは町の階段から降りてきて、大樽を砂浜へと運んでいる。追加の酒だろうか。よく見ると、ディオンもリーキーも、リゾンドでさえ階段の上まで運んでいた。セイリンが頑張って火を通している、まだ生焼けの野菜を口に運ぶセイレーンは、ロディの空いている手を取って、
「発生時期は、私の方が後。けれど、何度も自殺紛いの入水があったから、その度に陸に打ち上げてやったわ。海が、干上がってしまうもの。」
クルン、と回ってみせる。2人の仲の良さが、伺える。リーフィはリティアに視線を送ってから、ロディの足を指差した。両足に密着する黄色の精霊達。セイレーンが結界を解いたら、この足はなくなるのだろう。ナックに頼んで拘束を解いてもらったリティアの耳に、
「俺は、溺れて死ぬだけだな。干上がらせる力はない。勝てる訳が、無い。」
自嘲を孕んだラドの乾いた笑いが、反響するのであった。
リーフィと共に、ロディの足の治療をさせてもらうリティアは、騒がしい男達の盛り上がりの中に、リーキーの名乗り上げる声を聞いた。不思議に思って顔を上げると、先程の大樽が並べられて、腕相撲大会が開催されていたのだ。ディオンも、サンシィーと真剣勝負をしていて、リゾンドが審判らしい動きをしていた。リンノはリシャラに詰め寄られて見えるが、大会から離れていく。リティアの傍のセイリンから、小さな声が漏れる。ラドが首を捻ると、彼女は慌てて、
「リガ様からの頼まれ物を、リンノ先生に渡す事をすっかり失念しておりました!」
リンノへと駆け出した。ラドの眉間にシワが寄ったが、焼かれた野菜を隅に避けて、肉を追加していく。リーフィとリティアは、目を合わせて苦笑するしかない。セイレーンはロディの手を離して、リティアの隣に屈む。
「日が昇る時、私は消失する。そうしたら、あそこに居る幼獣の魔石を呼んであげて。水龍も、一緒よ。もう私達は、精霊に戻るの。」
「私は水龍さんとお話がしたかったんですが、難しいんですね。」
彼女が選んだのであれば、リティアに拒否する権利はない。心残りだけを口にすると、ゴーレムの手の中からナックは姿を現す。
「まだ、夜が明けるまでに時間があるよ。」
リティアは治療が終わっていないというのに、彼の小さな手を差し伸べられ、その手を取ってしまった。クラゲに声を掛けて、3人で駆けていく。
「この結界が壊れた時の反動は、責任を取る。けれど、その後は頼むね。」
「人手はあるから、海に還すさ。」
この場から離れていくナックに、微笑むセイレーン。ナックは陽気に手を振って、リティアをエスコートする。波の音が大きくなり、岩場へと差し掛かった時、
「…遂に、なのですね。」
ロディの震えた声が風に乗せられ、リティアに届く。リティアは振り返る事はせずに、ナックがちゃちゃっと作った氷の小船に乗り込んだ。揺らめく星の光と精霊の輝きが、濃紺の海面に龍のシルエットを作り上げる。アメトリンのブレスレットごと手を海に浸け、水龍を探す。すると、彼の方から手に触れてきた。太い爪が、リティアの手のひらを押し上げる。水の鱗に包まれた彼は、
《語る程のものは、何も無い。強いて言うなれば、今は強き龍の元で羽を休めなさい。無意識に疲れを蓄積している。それでは、すぐに喰われてしまう。》
「こんな時でも、私を気にかけて下さるんですね。」
クラゲの灯りに照らされて、以前見せてくれた顔を鮮明に映し出す。ウミウシが色鮮やかに光る海底へは、もう行けない。今こうやって、波打ち際から少し離れただけの場所での逢瀬しかできない。明日には、言葉を交わす事も出来なくなる。知りたい事をセイレーンから聞いたとしても、彼と話がしたかった。リーフィとの思い出の相手だ。彼が見せてくれた天空城へ行った事の報告は、限られた時間を無駄にする。水龍の声を可能な限り長く聞きたくて、リティアは彼に話を促した。




