812,優等魔術士は激痛が走る
都合が良い姿でも、見せられているのか。会いたかった、恋しかった、なんていう形の激情は、ソラは持ち合わせていない。ソラがやるべき事は、テルの遺体を取り戻す事だ。幻想の中のテルに縋る事ではない。鏡の中のテルを睨みつけ、
「何が、望みだ?」
スティックを向けると、
「何で君が、俺の望みを叶えられると思うの?」
テルの顔で愉快そうに笑う何か。鏡を壊してやろう、とスティックを回そうとしたが、見えない鎖のような物がスティックに絡みつき、動かす事が出来なかった。スティックが折れてしまう事を恐れて、ローブの内ポケットに仕舞えば、鏡に映るテルは眉を顰める。
「君に、我慢なんて文字があったんだ?結構、好き勝手やってた記憶しかないけど。」
「お前が、俺の何を知っていると言うんだ?」
鼻で笑うテルに、ソラは拳を握る。テルを貶すような表情に、腹が立つ。鏡を割れば見えなくなる物なのか。ソラには判断がつかないまま、ゆっくりと近づく。先程の見えない鎖に、阻まれる事はなさそうだ。
「去年の夏前から、リティアにくっついて『君達』を観察してたからさ。人間は、成長が早いね。」
「リーフィさんなのか?」
自分で言ってから、後悔する。彼は、こんな話し方をする人間ではない。自信のなさをテルのように振る舞って隠す事が出来ず、いつも何処か不安そうな話し方をする筈だ。そしてその失言は、
「何でよ!可愛い俺のリーフィなわけないだろ!あー、そっか。リティアは、君と違ってさ。人間に見えない物とも、会話が出来るんだよ。」
鏡のテルに否定された。こちらを見下すテルに、
「…魔獣か。」
呟くソラの頭を、
「今、見えないって言っただろー?」
大風が吹き荒れた。テルが、上を指差す。ソラは見上げる事なく、テルを見据え続ける。肩を竦めるテル。それでも、相手から目を逸らさない。
「あー。めちゃくちゃ、面倒な奴。こんなのの何処が良いのか、分かんないや。リティアは、嫌ってないもんな。」
「リティアさんとは、友人関係だが?」
腕を組んで盛大なため息を吐くテルから、離れるように半歩ずつ下がるソラ。テルが目を細めると、再び大風が飛び上がり、ソラの足を掬い上げた。腰から落ちたソラに目を細め、
「うんうん。何故か、君みたいなのは軽くあしらって外せば良いのに、リティアはしないね。まあ、それよりも今は。」
口元を引き上げて、笑みを浮かべる。吐き気を催すようなその表情を見せたまま、
「この魔法罠の本から、出ない?俺は、出たいよ。」
可愛くもないというのに、小首を傾げてくる。ソラは、無意識に首を縦に振った。出たいと思うが、首を振るつもりはなかったというのに。このテルと組むなんて意味が分からない。危険でしかない。
「何を言って…?」
ソラの身体が勝手に浮かび上がり、鏡に肩からぶつけられた。刺さるような激痛が走り、
「まず、俺を持ち運んで。全く、折角魔法士が入っても、内部を燃やすだけで解決しないから、出れやしない。」
肩から血が流れる。止血の為にテルのポーチを開けると、独りでに包帯が動いた。ソラの肩に巻き付き、トン、と誰かに軽く叩かれた気がした。
「お前と組む理由は?」
割れた鏡から離れて睨むが、既に鏡の破片が1つ欠けている。床には、転がっていない。ソラの髪から足まで触れて探したが、何処にもない。
「1人じゃ、絶対無理。改変され過ぎて、物語が原型を留めてないから。」
突然、テルのポーチの中から笑い声がして、急いで破片を放り投げるが、楽しそうに回りながら戻ってくるのだ。ソラの肩に乗ってみたり、目の前で舌を出してみたり、とふざけた輩だ。ポーチを閉めて駆け足で扉から飛び出したが、文字の段差がなく、地面目掛けて落下する。咄嗟にスティックを出し、風を噴射させた絨毯を作り上げた。風の絨毯が消える前に、文字の階段に飛び乗り、鏡の破片を放置して駆け上がる。鏡の破片も、付き纏って来るが。
「まずは、ここの概要を。ここは、本の世界。本の虫だった子どもが、親から隠れる為に創ったもの。だから、子どもの世界を傷つける存在は排除されやすい。出来るだけ、物を壊さないように。」
「お前が、壊させたんだろ?」
笑う鏡の破片を睨むと、イヤイヤと首を横に振る。
「鏡は俺が閉じ込められている、外からの異物だから大丈夫。あの文字化け髪は、子どもの味方さ。子どもは、何処に隠れているんだろうね?」
ソラの周りを飛ぶ鏡の破片を手で払って、次の段差へと移る。運動神経が良くないソラは、ぽんぽんと軽快には飛べない。一歩一歩が遅い為、踏む予定だった段差が消えてしまう。仕方なく、別の位置に出来た段差に移るしかなかった。タンタン、タンタンタン、と軽やかに階段を駆ける誰かは、上を見上げても見えない。だが、それは迫ってくるような恐怖感は覚えなかった。不思議に思いながらも、壁側に続く階段を昇り、何も無い壁を叩く。そうすると、扉の方から近づいてくるのだ。向こう側が空洞の可能性を考え、慎重に扉を開くと、そこは書きかけの原稿が散乱する部屋だった。スティックを灯りにして、慎重に紙を拾い上げ、口角を下げる。
「これは…ホラーでも目指したのか?」
乱雑に書かれた文の所々が、水がかかったようで滲んでいる。内容を掻い摘むと、幽閉されし塔の天井の扉を開ければ、ハッピーエンドらしい。だが、その天井の扉は2箇所あると書いてある。具体的な位置にインクを零してあり、読む事が出来ない。
「親から逃げられて、素敵な夢が見られるって、どんな所だろうね?俺には分からないや。」
鏡の破片が、テルの姿で笑う。何がおかしいのかが、分からない。あんな親から逃げたいのは、自分もテルも同じだった。それにしても、
「字が拙いな。相当、幼かったんだろうな。」
「だけど、その文字は力を持っていた。そこを利用されたんだ、あいつに。この本は、世に出回っているらしい。魔法罠にはなってなくても、ね。」
ソラの率直な感想に、鏡の破片から舌打ちが聞こえた。どういう事だ、と聞いたが、鏡が答える前に、原稿の山から炎が燃え上がる。慌てて手を離すと、その炎の中に人の顔が浮かび上がるのだ。見るからに、親元を離れていない子どもの幼さを感じる顔の輪郭。銀色の髪が瞼を隠していたが、その下に微かに浮かぶ黒子。その子どもはこちらを見つめるかのように、髪1本動かさない。指差してきて、そして、
《ほら、双子の精霊達が戯れてる。》
頭の中に直接響く子どもの声。双子という言葉に誘われて振り返るが、テルは何処にも居ない。突き付けられた現実を前に、胸に開く空虚感。
《走って、走って。先に、双子の1人は到着してしまう。》
紫色の光が、ソラの肩を押す。精霊人形アリシア。そう、瞬間的に睨んだが、子どもの姿はなくなっていた。勝手に鎮火した部屋は焦げた臭いで充満し、外に出る事を余儀なくされる。鏡の破片と共に、続きの階段に飛び乗ると、
「扉の向こうは、全て物語とは別物だね。後付けされたみたいだし、上から降ってくる鉄板の回避にでも、使えれば良いね。」
「鉄板…?」
笑うこいつに指示されるように見上げれば、文字が大きく書かれた鉄板が、今にも落下してきそうな程に酷く揺れていた。この建物の広さの半分以上ある鉄板。慌てて壁に手を伸ばしたソラだが、先程の扉は移動していて、こちらには戻ってくる様子はない。
「最早、ホラーのほの字すらない。何だ、これ。」
「スリルを味わう何か?子どもの考える事なんて、君には分かんないかもよー!」
上からの落下を警戒しながら、階段を駆け上がる。何処か、退避場所を求めて。
「まあ、これは加筆された不純物だけど。」
鏡の破片が、そう呟いた。




