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802,夢見る魔術士は決意が込み上げる

 ソラの蔑みを初めて見たテルは、大笑いするオウカなんかよりも、大きく心が震え上がった。あまり他人に興味を持たなかった兄弟のあんな表情を見た事がない故、耐性がなかったのだ。自分に向けられたわけではない、とは頭で理解している。だが、

「…俺、今のソラは真似ができない。」

昔からの習慣が抜けないテルの口から、漏れてしまった呟きは、

「しなくていい。何を言ってるんだ。」

ソラに拾われ、彼に首を傾げられてしまった。そうだ。もう、兄弟として向き合えている筈だったんだ。喧嘩ができる対等な兄弟になりたい、と望んだというのに、すぐに逆戻りしてしまう。背中を丸めるテルの肩を、オウカが叩いてきた。

「生き方って、そう簡単に変えられないのは、私も一緒です。いくら何でも、叔父に抱きしめてもらうわけにはいきませんから。ケーフィス様だって、私をそういうふうに見てないと理解してます。皆さんの百面相は、楽しく眺められました。」

エプロンを外すオウカは、畳む事なくテーブルに放り、表の扉へと歩みを進める。シャーリーが、慌てて自身のエプロンを外しながら、

「オウカ、散歩行くかー。」

「シャーリーのお守りは、勘弁してよ。1人で良いの。」

彼女に駆け寄るが、オウカに額を弾かれた。オウカだけが、この重苦しい空間から脱出していくのであった。何も言わないリファラルを振り返ると、リカーナが静かに彼の涙を拭っていた。

「皆さんは、私達のような呪縛を受ける事なく、ご自身の愛する方と結ばれて下さいね。私には、幸運の女神が微笑んで下さいましたが、多くの方はそうではありません。オウカさんも、理解しております。本心を曝け出しても、叶わぬ事も。ケーフィス殿には、許婚がいらっしゃいます。それは、オウカさんもケーフィス殿も生まれる前から決まっていた話。彼女なりの妥協点を見つけた、としても、それはディオンさんのご意思も関係してきますから、単純な話ではありません。分かっていて、彼女はあのように振る舞うのです。猫を被る事なく、己を見せ続けております。」

彼の唇は小さく震え、きつく閉じられる。その後に浮かべる微笑みは、あまりにも痛々しかった。

「俺が、悪かったみたいだ。謝ってくる。」

「今は、1人にさせてあげて下さい。」

ソラが踵を返すが、リファラルに止められる。ソラはエプロンを掴み、オウカの代わりに働き始めた。厨房にあまり入らないソラだが、全く出来ないわけではない。オウカのようには料理できないが、ハンバーグのタネの作り方をリファラルから聞き、テルと一緒に玉ねぎをみじん切りしていく。

「テル。久々に、リティアさんに会った。」

玉ねぎの汁を受けながら涙を流すソラは、瞬きする事なく包丁を動かしていく。ボロっ、と大きな涙がテルから落ちたが、それは玉ねぎのせいにしておく。嬉し涙が溢れる中、

「帰ってきたの!?ここに寄らずに、寮に行っちゃった…?」

「いや。王都にいる筈。母親が亡くなったようで、忙しいようだ。」

自然とテルの声が弾むが、ソラは至って冷静に話してくる。ここに、リティアが帰ってきていない。それだけで、テルの心は萎んでいく。彼女が無事でいる事は喜ばしい事だが、テルは一刻も早く会いたいのだ。

「そ、そうなんだ…。学校が始まるまでに帰ってくるかな?」

「…ディオンも、セイリンさんも、リティアさんも、俺の鞄に休学届が入ってる。当分は、会えない。」

学校が始まるまでに、あと数日。ソラが言い辛そうに、床に置かれた鞄に視線を注ぐ。いつもならば、「仕方ないね。」がテルの返答になる。だが、

「そっか。セイリンさん達も葬式に出る、わけじゃないよね。ソラ、隠し事は難しいんじゃない?」

ソラを見つめて、目を赤くした者同士で視線を交じらわせる。シャーリーが、グラスを落としても、そちらを向かずにソラだけを見る。ソラは、

「だろうな。空気を読まないテルなんて、珍しい。」

「ソラの真似だよ。気になるから、聞きたい。」

やっと瞬きをした。テルは彼に微笑み、泣き袋に溜めていた涙を溢す。2人で刻んだ玉ねぎをフライパンに移しながら、肩を寄せ合い、

「俺は、セイリンさん達に隠されている事実を殆ど知らないが、リティアさんはクピアに向かうようだ。」

動揺しているシャーリーに聞こえないくらいの小声で、ソラは教えてくれる。クピアの町に、リティアが行く。それは、恐らく観光ではない。観光ならば、ソラだって連れて行ってもらえる筈だから。彼だけは、帰ってきた。3人分の休学届を持って。魔獣絡みだろうか。それとも、リティアに危害を加えた奴等絡みだろうか。どちらにせよ、

「行く!」

会いたい一心で、シャーリーにも煩い声量で宣言するテル。ソラが止めても、行ってやる。そう意気込んでいると、

「俺は、行かない。帰ってくるまで、ここを守る。それが、今の俺にできる事だ。」

ソラは、テルを止めなかった。彼だけの意思表明に、テルの眉間が狭くなる。ソラは、小麦粉の袋を手に取り、袋の中に匙を滑り落とす。明らかな彼の動揺に、テルはきつね色の玉ねぎから木べらを離す。

「どういう事?」

テルが手を止めた事により、リファラルが代わってくれた。もしかして、またダイロ達のような悪意が攻めてくるというのか。テルは、静かに拳を握る。今度は、オウカもシャーリーも、痛い思いはさせない。密かな決意が込み上げる中、

「オウカさんが帰って来てから、話す。断片的な話だが、そこはリファラルさんが補完してくれるだろう。」

ソラは粉だらけの匙を取り出し、ボウルに入った挽き肉にかけていく。普段より少し多い小麦粉の量に、思わず声が漏れるテルに被るように、

「私に語る事ができる話でしたら。」

リファラルの落ち着いた声が、頭の上から降りてくるのであった。


 夜の営業までにはオウカが帰ってきて、スイーツ目当ての婦人達を喜ばせる。いつも以上に明るく振る舞うオウカは、誰よりも率先して閉店の札を掛けた。テルは、賄いのハンバーグを焼いて運ぶ。小麦粉が多いハンバーグは、客には提供できなかった。いつものように、店の真ん中のテーブルに皆で集まり、夕飯を口に運ぶ。ハンバーグを半分残して、フォークを置いたソラが口を開こうとした時、オウカの弾んだ声が先に飛び出した。

「ソラさんには、感謝してます。なんたって、先程外出したお陰で、あのババアが潰せる側にいるって分かりましたから。」

「…何の話だ?」

嬉々として話すオウカに、ソラがテルに視線を送る。こちらも知らない、と首を横に振ると、ソラは肩を竦めた。

「私のケーフィス様の!ふざけた許婚のババアですよ。たった数個上なだけで、ケーフィス様確定のババア。」

「オウカさんの口から、そんな汚い言葉を聞く日が来るなんて。」

鼻を鳴らすオウカをまじまじと眺めるテルも、食事の手を止めた。何だか、彼女が別人に見えてくる。

「テルさん。私は、別に綺麗とか汚いとか気にした事はありませんけど。ふふふ。あはははっ!ケーフィス様に仇を為す者を潰しても、何の問題はありませんよね!」

声高らかに笑うオウカの変貌ぶりに、シャーリーとリカーナもフォークを置いた。リファラルだけが、変わらぬ表情を浮かべ、

「ケイネ殿は、長らく姿を晦ましておりましたよね?」

スープを口に運ぶ。ソラが言うように、リファラルは本当に色々と知っているようだ。テルもカップへと手を伸ばした瞬間、

「そうですね。でも、やっと見つけたんですから、しっかりご挨拶しておきました。」

オウカの花びらが、スープの上に浮かんだ。

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