801,優等魔術士は嗤ってやる
学園都市に到着して馬車を降りた時、足元に違和感を憶えた。変に、土が凹凸している。魔獣が潜んでいるのか、とスティックを取り出した時、ミカに手首を掴まれた。
「それは、バフィンさんのワームだから!倒したら、俺が怒られる!」
慌てるミカの前でため息を吐き、スティックを内ポケットに戻すと、街よりもかなり遠方で、しかも赤い煉瓦の道から外れた位置で、太めの白い棒がぶんぶんと振られ、それを見たミカが疾風の如く街を飛び出す。
「俺は、帰るから!またな!」
こちらが声を上げる頃には、ミカの姿は見えなくなり、地面がゆっくり揺れた。ミカのお守りを終えたソラは、疲労感に苛まれた足で、喫茶スインキーに向かう。久々に通い慣れた店の扉を開くと、知らない白銀の老婦人が微笑んでいた。客としてソラを出迎える彼女の瞳は、リファラルによく似ている。厨房から出てくる笑い声は、ソラの聞き慣れた声達。まずは、テルが駆け寄ってきて、ニッと笑顔を見せた。次に、黒髪女子2人。互いに小突き合って、今にも喧嘩に発展しそうな雰囲気を醸し出している。最後に、リファラル。彼の目尻を下げた表情は、目の前の老婦人にそっくりだった。
「ただいま、帰りました。リファラルさんの御親戚の方ですか?」
ソラは、意識して言葉を選んだ。彼は、リティアの親戚だ。その髪色も目の色も、彼女の一族は皆同じ。だから、少しリファラルが濁しても、その一族であると断言できた。ただ、ソラの予想は少しだけ外れたようで、
「ええ。以前は親戚でしたが、今は私の最愛です。愛しのカーナ。彼が、テルさんの御兄弟のソラさんです。」
いつも以上に目尻にシワが寄るリファラルに、微笑む老婦人。
「リカーナです。ソラさんのお話は、皆さんから聞いてます。」
彼女が握手を求めてきたので、とりあえずはこちらも手を差し出す。シワシワの手だが、指の力はしっかりとしていて、見た目よりも若いのだろうと想像できた。このくらいの年齢から結婚する人もあるもんだ、と軽く思っていると、
「ソラ!リカーナさんとリファラルさんは、運命の赤い糸で結ばれてるんだぞ!」
シャーリーに真顔で迫られ、後ろのオウカが肩を竦める。テルが眉を下げながら笑みを浮かべ、
「何十年も想い続けて、再会できるって凄いと思う!だけど、オウカさんはそう思わないみたいでさ。」
「思わない、とまでは言ってないですが?ずっと、誰かの魔法で守られていたのですから、いずれは再会の道筋が立っていただけであって、奇跡でも運命でもないかと。予定調和って話。」
全員でオウカに視線を送ると、腕を組んで見下ろすオウカ。リファラルが、いつもの3人の間に割って入り、宥めていた。テルに合わせても良かったが、
「俺からしたら何でも良いが、リファラルさん達が嬉しければ、それで良いだろ。」
「乙女心が、分かってない!オウカと一緒!」
率直な感想を述べただけで、シャーリーに耳を引っ張られる。リカーナの握手から手を引き抜き、シャーリーの指を払った。睨んでくるシャーリーに、鼻で笑うオウカ。
「やめてよ。自分より背が低い男なんて。」
「オウカさん、偶には別の切り口はないのか?」
よく聞くフレーズを聞き流しても良かったが、少し突っ込んでみると、
「魔法士以外と婚姻したところで、一族に何のメリットももたらさないからね。」
彼女にとっては、こちらが無価値というレッテルを一瞬で貼られた。これにはテルの頬が膨れたが、リファラルは目尻を下げたままだ。
「オウカさんは、一族の血を絶やすまいと頑張っておられますから。そう怒らないであげてください。」
「それって、そんなに大切なものなんですか?」
ソラは、眉間にシワを寄せた。自分は、いずれ家業を継ぐと思っていたが、今後テルと一緒に生きるには、捨てるべき負債だ。そのせいか、親から押し付けられた生き方に縛られて生きるオウカだけでなく、聖女として地位を得たリティアにも、大きな違和感を覚えた。リティアは必死で何かを成そうとしているが、それに比べてオウカは、全てを諦めているように見えたのだ。
「はあ!?ソラの頭をかち割ってやりましょうか!?大切に決まっているでしょ!だから」
「オウカさんは、道具じゃない。まるで、自分に決定権がないかのように見える。」
珍しく感情を一気に噴火させるオウカの言葉を遮り、彼女を見上げる。大きく見開かれた瞳から、大粒の涙が溢れ始める。激情に任せるシャーリーとは異なり、普段から本心かどうかも分からない貶す言葉を使い、他人の反応を見て遊ぶ彼女が、だ。たった今、自身の感情を抑制出来なくなっていた。
「違う。私が、一族を繋ぐ事を望むの。望んでいる。だって、そうじゃないと…お母さんが私を遺してくれた意味がない…」
徐々に俯き始めるオウカの涙を拭ってはやれないが、ソラの代わりにリカーナがハンカチを差し出し、そして拒絶された。オウカはハンカチを叩き落とし、拳を握る。
「唯一無二の家族とも言える、ケーフィス様やケッチャさんに見捨てられたら、幸せになれるわけがない。私は、あの人達の『物』になってこそ、私という存在意義が確立するのよ。」
どす黒い瞳で、ソラを射抜く。こちらに向けられた怒りは、嫌でも肌に触れてくるが、
「その割には、ディオンにちょっかいかけるじゃないか。」
「アテスラ・ブルドール。それは、テラ一族の親戚。いずれ、テラ一族に降る彼をこちらに組み込めば、一族としての繁栄を見込める。」
オウカを慰めようとして、気を引こうとするテルの腕で避けつつ、オウカの手が届く範囲まで近寄るソラ。彼女の軽蔑の眼差しを、真っ向から受ける。ディオンは、オウカと同じように『魔法』が使えるという事か。それを言ったら、リティアもそうだが、二人共が使ったところは見たことがない。自分達に見せないようにしていたのだろうか。本人達に聞かなくては分からない為、そこは頭の隅に避けておく事にした。
「いや、だって、それならさっきの2人は何だ?そんなに結婚は無理だろう。」
本当は、ディオンを好ましいと思っているのであれば、それで良いじゃないか、と、リティアと別れた後のディオンならば、何の障害もない筈だ。そこに、どう2人が食い込むのか。ソラが首を傾げると、
「結婚?ケーフィス様は従兄弟だから有り得るかもしれないけど、ケッチャさんは叔父。サンニィール家のように、血族内婚姻が確立されていないテラ家では、まず血が近過ぎては話にならない。だから、アテスラなの。そこから子を作り、あわよくば、密かに迫ってケーフィス様の子を持つ。ケッチャさんは、頑なに嫌がるでしょうから、私が産み落とした子を差し出す。さすれば、私は2人と関係を持てる。」
鼻で笑うオウカ。不倫前提の話を想像していなかったソラは、口が開いてしまい、閉じる事が出来ない。リファラルに助けを求めるように、視線を送るが、彼は優しい眼差しをオウカに注ぐだけ。この不健全な思考は、黙認なのか。リファラルの本心が、気になった。沈黙が流れる中、
「オウカ。不謹慎とは分かっているが、小説のネタにして良い?」
「シャーリー。良いと思って?」
その雰囲気を壊したのは、目を輝かせたシャーリーで、オウカは盛大なため息を漏らす。自分で振っておいて、収集つかなくなったソラとしては有り難い。シャーリーの頬が、オウカによって抓まれ、
「私の幸せは、私が決める。道具なわけないでしょ。」
冷ややかな視線をソラに向けるオウカに、
「そこに自分の子どもを使ったら、その子が可哀想だと思わない?」
テルが首を小さく横に振り、唇を震わせた。オウカの軽蔑の眼差しが、テルへと向く事はなく、ソラを見下ろしたままだ。
「刷り込みって、知っています?恐らくセイリンさんもリティアさんも幼い頃から、大人達にされてきた事ですよ。社会の常識と一緒。それが当たり前で、何の疑問も抱かなければ、本人の意志で行動する事と同義。」
肩を竦める彼女を、丸い目で見上げるシャーリーとテル。その理屈は、分からなくもない。事実、テルがそうだ。自分もそうだろう。だから、
「そのカラクリを知っても尚、その常識に浸かってるなんて、オウカさんらしくないじゃないか?」
彼女を嗤ってやった。




