785,君主は収める
ハルドが昼食を作ろうとすると、一族の大半が作らせまいと厨房までの道を阻む。致命的な程に料理が下手だというのであれば、仕方がないかもしれないが、
「料理は、息抜きだよ。毎回、作って貰わなくて大丈夫。」
「そういうわけにはいきません。我等が君主。料理は、我々、世話係の仕事であります。我々の仕事を奪わないで下さい。」
頭を下げて懇願してくる彼らに、ハルドは肩を竦めた。色目を気にした料理や、無駄に種類が多い食事ばかりではなく、たまには自分の好きな物を好きなふうに食べたい。ルナは、与えられた物を文句を言わずに食べるが、折角自由を謳歌するのであれば、庶民的な食事だって経験させてやりたい、と思うのは、ハルドではなく飛龍だろうか。従者達を殴るわけにはいかないハルドが、諦めて踵を返した時、
「じゃあ、ハルド。私に、料理を教えて。」
狼姿の父に跨ったルナが、駆け寄ってくる。父公認ならば、従者達だって強く出られない。口元が上がりそうになる衝動を必死に抑えつつ、
「だってよ。厨房に行かせてくれるよね?」
爽やかな笑みを見せれば、従者達は素直に道を開けてくれた。父にも声をかけて厨房に入ると、既に用意を進めている者達が、青い顔になった。
「隅の方を借りるよ。ルナ、何を食べたい?」
「私、手で持って食べやすい物が良いの。サンドイッチとか、ハンバーガーとか、そういうの。」
ハルドが勝手にレタスを千切る中、ルナはこちらが求めた言葉をくれる。笑顔を見せてやれば、得意気に口元を上げるルナ。これは、後ほど礼をしないといけない、と理解する。気が利く料理人達が、ハルドの目の前に材料を揃えてくれる。時々、お利口に待っている父にハムやパンを放おっては、ドヤ顔のルナと一緒に山盛りのサンドイッチを作った。
父が隣に居る状態で、ピクニックをするハルド。十何年ぶりに眺める平原に、何の感動も抱かない。ルナは父に寄りかかって、サンドイッチを頬張り、最早父の孫娘か何かかと思わせる。厚切りベーコンを挟んだバーガーを食べるハルドは、そんな彼女を何となく観察し、
「歯は、精霊に作らせたのかい?」
「そ。このくらい、造作もないからね。それで、他の町に協力は仰げたの?ここからウインディアを連れて行くと、町が狙われるでしょ?」
人形にない筈の白い歯を指差すと、ルナはわざわざ見せてくれた。せっせと、精霊達が食べ物を消化してしていく。それが、ルナの糧になるのだから、悪くない共生関係なのだろう。ハーネットが遠くから聞いていると知っている中、ここで話すかを多少は悩んだが、ハルドは口角を上げてみせた。
「…魔法士は、少人数で良い。欲しいのは、純粋な暴力だ。」
「はあ?人間を捨て駒にするの?」
想像通りのルナの反応に、笑い出すハルド。過去の人間であるルナに、今を生きる人間の命なんて関係がない筈なのに、そういう部分では一般的な意見を述べてくる。長い年月閉じ込められていても、擦れていない心に感心する部分もある。ルナの顔がむくれていく。向こう側ではこちらに居てもらわなければいけない彼女の機嫌を、今損ねるわけにはいかない。素直に白状してみせる。
「まさか。服従させた魔獣達を連れて行くだけさ。」
「嘘、人間は嗜好品よ?そこに居たら、襲うじゃない?」
仰け反るルナの反応は、そこらの町娘と変わらないだろう。いくら、ルナが魔獣と仲が良かったといえど、それは協力関係にあった古代魔獣限定だ。亜種魔獣と戦ってきた彼女が、魔獣に良い感情を抱くわけがない。追加のサンドイッチを彼女に押し付けて、
「この俺に恐れを為す魔獣が、積極的に俺の怒りを買うとでも?彼等は、そこまで愚かではない。それに、人間との戦闘だと勘違いしている輩に、この奇襲には持って来いだ。」
向こうだって、生きた人間は使わないだろ?と、笑ってみせれば、
「始末は、しっかりとしなさいよ。」
ため息混じりに睨むルナ。彼女の後ろで、眠そうに欠伸をかく親父。親父の頭を撫でようと、
「生き残りは、連れて帰るよ。可哀想だろ?リティが、悲しんでしまう。」
「呆れた。そんなに好きなら、手を繋げば良いのに、それはしないんだもの。」
手を伸ばしたが、ルナの前で噛まれそうになった。代わりにルナが撫でる。流石、山程子どもを作っただけあって、無類の女好きの親父だ。反面教師の親父を誂ってやろう。
「…だって俺には、ルナがいるし?」
ルナのリップを指でなぞって、微笑むハルド。ルナの目が、汚物でも見るかのような眼差しに変わり、親父を抱きしめる。
「お父さん、こいつを殴って。」
ワンワンワン!!!そこらの番犬の鳴き方で、至近距離で騒ぐ親父。ハルドは堪らず、
「ルナの親父じゃないだろ!?親父も吠えるな、煩い!」
大風を起こして、親父の声を自分と反対方向へと流した。ルナの髪がボサボサに乱れ、彼女の不機嫌剥き出しだ。櫛を異空間から出して、謝りながら梳かそうとするが、彼女は激しく首を振って嫌がる。どんどん酷くなる髪の絡まりに見兼ねたハルドは、彼女の腰に腕を回して、自分に引き寄せる。丸い目のルナが硬直する中、
「絡まり過ぎると、ウィッグを新調する羽目になるから、大切にしないとね。」
元の原因を棚に上げて、彼女の髪を梳かす。石化したルナに笑いを堪えながらも、彼女の髪の間から、要注意人物を観察する。何故、あいつまで連れてきたのか。ここで喰われてしまえば早いというのに、こちらは不本意の接待をしなくてはいけない状況だ。髪を整え終わって、彼女の腰から手を離すと、その男が大股で駆け寄ってくる。ハルドの風達が行く手を阻み、
「君は、俺達とは異なる。ルナに懐いているのかもしれないけど、それ以上来るなら、聖地への侵略行為と見做すよ?」
物理的に来られないようにしながらも、警告した。石化状態のルナが現実に戻ってきて、そいつを振り返る。
「ラティオ。貴方の身勝手な行動で、私の首が落ちる危険性があります。元の部屋に戻りなさい。」
「聖女様が襲われそうだというのに、助けるなと言うのですか!?」
ルナがこちらの味方をすると、ラティオの瞳が大きく揺れた。ハルドは野獣ではないし、人形を襲ったところで…何にもならない。寧ろ、変な虫から守る側だ。リティアの顔で歩いている彼女が、男に言い寄られていたら、ハルドがしっかりと潰しにかかるつもりだ。あの男も例外ではない、と拳を握ったところで、
「あら?私とハルドは、そういう仲ですよ。そうでなくては、こちらの民に説明がつきません。」
あまりにも自然に頬に唇を押し付けるルナ。ハルドは彼女に気を取られ、
「えっ?」
ラティオと声が被った。してやった、という笑顔のルナに、こちらは肩を竦めるしかない。ワナワナ、と拳を震わせるラティオが声を発する前に、ハルドの大風が吹き飛ばす。ラティオが何処かの家の屋根に当たった音を聞いてから、ルナを離すと、
「あらあらあらー?ときめいちゃった?」
「有り得ると思う?」
いたずらっぽく笑う彼女の頬を指でつつく。人形だというのに、柔らかな質感。なかなかに面白い。
「あったら、大笑いしてあげる。」
「そう、飛龍に伝えておいであげるよ。」
ふふん、と勝ち誇っているルナに、こちらも笑顔で答えてあげれば、すぐに逆転するものだ。
「あの子を巻き込まないで!」
若干半泣きくらいまで変わったルナの反応を楽しみながら、次のバーガーに手を出すハルドの指に、激痛が走る。
「親父…。今から、殺し合う?」
《娘を虐める馬鹿息子には、灸を据えねばな。》
ハルドが無感情で見下ろす父は、食いついた指から離れない。口の中で風を爆発させてやろうか、と指を微かに動かした瞬間、ルナが腕にしがみついてきて、
「飛龍を傷付けたら、人形にしてあげる。」
ルナまで父に加担して、2対1。ハルドは、肩を竦めて降参する事で、場を収めることにした。




